『要注意人物』 |
(2)……そして、いよいよ午後4時になり、またいつものようにドアベルが鳴った。行は反射的に仙石に目を向けると、仙石は無言であごをしゃくってインターホンに出ろ、という合図をする。それに従い返事をすると、やはり宅配便だった。 その間にも仙石はすかさず玄関に向かっている。行が印鑑を手に取って駆けつけるよりも早く、仙石がドアを開けていた。 「あ、あの……、たっ、田上さ……、あれ!?」 行が出てくると思いきや、いきなりむさくるしいオッサンの登場に、男が明らかに動揺しているのが声だけでも分かる。自分の前に立ちはだかる壁のような仙石の背中を押しのけるようにして、行は前に進み出た。 「はい」 いつものように印鑑を差し出すと、宅配便の男はそれをうやうやしく受け取り、伝票に丁寧に押した。そしてまた行に印鑑を返そうとして、二人の指先がわずかに触れ合った。 「わぁっ」 その途端、男は慌てて手を引っ込める。行は素晴らしい反射神経を発揮して、印鑑が床に落ちる前に受け止めたが、男が何をそんなに焦っているのか、全く分からなかった。 すると、身をかがめた行の頭の上から、仙石の大きな溜め息が降ってきた。 「んん?何やってんだ〜?」 その呆れたような、馬鹿にしたような声音に、行は内心でムッとする。別にオレのせいじゃないと言い訳するよりも早く、男が深々と頭を下げた。 「すっ、すみませんでした…っ」 そんな姿は真面目で礼儀正しい好青年という以外の何者でもなかったが、仙石はそれを軽くいなして、行の頭に大きな手のひらを乗せて、そのまま髪をくしゃりと掻き回した。 「なぁに、こう見えて、こいつはおっちょこちょいでね。しょうのない奴ですよ。はっはっは」 仙石は何が楽しいのか、やたらと高笑いを響かせる。 「……誰がおっちょこちょいだ」 行はやりきれない思いで、ボソリとつぶやいた。 だがそんな行にはお構いなしに、仙石は話し続ける。 いつの間にか、仙石の右手が行の右肩をがっしりとつかんでいた。左手は相変わらず髪を掻き回しているから、行は後ろから仙石に抱きつかれているような体勢になっている。 ……重い、邪魔だ、うっとうしい。 そう思ったものの、人前なので、心の中で愚痴をつぶやくに留めた。そうでなければ、ゲンコツの一発もお見舞いしている所だ。 対峙する宅配便の男は、戸惑ったように仙石と行の顔を見比べながら、荷物を行に渡そうとする。そこに横から仙石の太い腕が伸びてきて、ひょいと奪われた。 「また何か買ったのか〜? あんまり余計な物ばかり買うなよ。部屋が狭くなって、俺の居場所がなくなるだろ」 「何言ってんだ、あんた」 行は仙石の言葉にくすりと笑う。 行の自宅は、一人で住むには十分過ぎるほどの広さがある一軒屋で、しかも元来が物を持たない性質だから、仙石が10人居ても大丈夫なくらいのスペースはある。こんな荷物が一つ増えた所で、どうってことはない。 もちろん、そんなことを仙石は承知しているはずだから、これは単なる冗談なのだろう、と行は判断した。 しかし、その瞬間、宅配便の男の表情が目に見えて変化した。 それに気付いたのは、おそらく仙石の方が先だろう。行がそれと知ったのは、自分の横顔にぶしつけに注がれる視線を感じ、仙石に向けていた微笑みを収めて、顔をそちらに戻した時だ。 これまでは、いつでも笑顔を絶やさなかった男だが、何故かショックを受けたような表情で、茫然と立ち尽くしていた。行の顔をじっと見つめながら。 「あの……?」 男の不審な態度に、珍しく行の方から声を掛ける。だが、それだけで男は立ち直ったようだ。 「し……っ、失礼します」 深々と頭を下げると、伝票をカバンに入れて、そそくさと立ち去っていく。いつもなら、行がドアを閉めるまで、じっとこちらを見つめているのだが、今日はそれも無く、小さく背を丸めて、家の前に停めてある車に乗り込んでいった。 その背中があまりにも寂しげなことに、逆に行の方が気になって、男を見送ってしまったほどだ。 「いったい何なんだ……」 全く訳が分からず立ち尽くす行の肩に、仙石の大きな手のひらがポンと置かれた。 「ほら、中に入るぞ」 「あ……、うん」 釈然としないながらも、行は仙石に促されるままに、家の中に戻った。 リビングのソファに二人並んで腰を下ろすと、仙石がやたらと偉そうな口調で言う。 「そら見ろ、俺の言った通りじゃねえか」 「え?何が」 きょとんとする行に、仙石は深い溜め息を落とした。 「ったく。まだ気付いてねえのか。奴はお前を狙ってたんだよ」 「オレを……? でも殺気なんて感じなかった」 相手が自分に害を及ぼそうとしているのだとしたら、それを感じ取る能力は、行の方がずっと高いはずだ。仙石だけが気付いて、自分は全く察知できないなどということは有り得ない。 ますます混乱する行に、仙石は苦笑を浮かべる。 「馬鹿だな。そういう意味じゃねえ。つまりあいつはお前に惚れてんだ。だから、お前が俺と親しそうにしているのを見てショックだったんだろ。まぁ、そう思わせるために、わざとベタベタしたんだけどな」 そう言って仙石はガハガハと笑う。どうやら自分の読みが当たったことで喜んでいるようだが、行は困惑するばかりだ。 「でも……、オレはあの人のこと、全然知らないけど」 「向こうだって、お前のことは名前くらいしか知らないさ。それも偽名のな。それでも、目と目が合った瞬間に、恋に落ちてしまうことだってあるんだよ……」 不意に仙石は真剣なまなざしになった。 仙石が『恋』という言葉を発した時に、誰の顔を思い浮かべていたのか、行には分からない。行の乏しい経験では、仙石の言葉を実感することすら難しかったが、仙石がそう言うなら、そうなのだろう、と自分を納得させた。 だが、仙石の言葉を聞いていて、ふと思い出したことがある。 かつて、≪いそかぜ≫の後部甲板で、絵を描いている仙石の背中を見つけたあの時、その姿をスケッチブックに残そうと思ったのは、もしかしたら……。 「……そうかもしれないな」 行は小さく微笑んだ。 そのことに仙石は驚いたような顔で、何かを問いたげにしていたが、何も言うことはせず、ただ行の身体を引き寄せて、強く抱きしめる。 仙石の腕に抱かれて、行は静かに幸せを噛みしめるのだった……。 その日以来、例の男が行の家にやってくることはなくなった。 担当地区が変わったのか、それとも仕事を辞めたのか、行には分からなかったが、そのことを仙石に報告したら、仙石も安心してくれたようだった。 そして行の元には、いつもと同じ平穏な日々が訪れるのだった……。 おわり <<BACK |
ここまで読んで下さってありがとうございましたm(_
_)m
大変長らくお待たせ致しました。 ようやく続きが出せました。遅すぎ。 しかも引っ張るほどのネタでもないんですけどね(苦笑)。 ちなみに、私のイメージでは、 行は『ひとめぼれ』というものを信じていません。 最初はその辺の話をこちらで書く予定でしたが、 お題の『あなたにひとめぼれ』でやっちゃいましてね(笑)。 同じオチになるのもどうかと思い、 今回はちょっと『ひとめぼれ』を肯定させてみました。 両方読み比べてみると、面白いかもしれないです。 ついでに、この宅配便の男の子は、 自分が男を好きになってしまったことを悩んで、 (しかもその相手に失恋したっぽい) 職場の同僚に相談するのですが、 そこをまんまとパックリ食われちゃうんですね。 あれ?オレが下なの?そっち側なの? と困惑しながらも、受け容れてしまうのでした…。 こんなことまで考えている私。とことん腐ってるな。 2006.12.05 |