【えせほし─似非星─ 】 kyo-ko

『要注意人物』

(1)

 行の家では、ほぼ週に一度の割合で、午後4時きっかりになると、来客を示すドアベルが鳴る。それはいつも一分たりとも前後することなく、半ば儀式のようになっていた。
 行は、ああ来たな、と思いながらも、インターホンで応答する。すると、はきはきした声がすかさず返って来た。
「お届けものです」
「はい」


 ちなみに行は極度の出無精だ。死ぬまで家から外に出ないで済むなら、それでも良いと思っているくらいだった。
 外に出ると、どうしても無意識のうちに周囲を警戒してしまう。ずっと気を張っているので、帰ってくると疲れるし、もう危険は無いと分かっているのに、昔のクセが未だに抜けない自分も嫌になる。

 だからよほどのことがない限り、外に出ることはなく、買い物も全て通販で済ませていた。
 仙石には少しは外に出てお日様に当たれ、と口うるさく言われ、実際にも外に連れ出されることもあるのだが、それはごくまれなことで、ほとんどは家の中にこもりきりだった。

 そもそもそれで不都合はないのだ。通販で大抵のものは買えるし、どうしても買えないものは月に一度くらい車で買い出しに行くだけで事足りる。
 仙石と再会するまでは、ずっとそうやって生活して来たのだし、これからもそうやって生きていくのだろうと思っていた。


 きっとまた荷物が届いたのだろう。
 印鑑を手にして玄関に出ると、そこには見慣れた服装の青年が立っている。ここを担当している人間は決まっているのか、いつも彼だった。
 ドアを開けた瞬間は、敬礼でもしそうなほど折り目正しい直立不動なのに、行が視線を向けた途端、いきなり様子がおかしくなるのも、またいつものことだ。

「あああ……、あのあのあの、たっ、田上さんですね」
「はい」
 行はうなずく。『田上』とは行が現在使っている仮の名前である。顔が変わる訳でもないのだから、わざわざ聞くまでもないのだが、彼は毎回こうして確認する。そういう決まりなのだろう、と行は思っていた。
 それにしては、顔は赤く、目はきょときょと落ち着きがなく、声もうわずっていて、挙動不審なこと極まりないのだけれど。

 だがしかし、初めてここにやってきた時は、そんな様子ではなかったのだ。行も普通に応対したし、彼も当たり前のように荷物を渡し、判をもらっていった。彼にとっては毎日何十回も繰り返している作業に過ぎなかっただろう。


 ところが、ある日のこと。
 また同じように荷物をもらい、同じように判をしたその直後。
「……あれ?」
 行は手にした荷物を目にして、小さな声を上げた。

「どうかしましたか?」
 仕事を済ませて去っていこうとしていた青年が慌てて振り向く。
 しかし行はそんなことは気に留めていなかった。荷物の差出人の欄に釘付けだったのである。そこには武骨な文字で『仙石恒史』と書かれていた。

 ……何を送ってきたんだ、あの人。
 不思議に思い、伝票を見返すと、『酒』などと書かれているから、どうやらこれで一杯やろうということらしい。どうりで重い訳だった。
 行はくすりと笑った。いや、笑っている自覚は本人にはなかったけれど。

 すると、なにやら突き刺さるような視線を感じ、行は顔を上げた。こちらをじっと見つめている宅配便の青年と目が合う。彼は戸惑ったような、驚いたような顔で、ただひたすら行を見ていた。
「……何か?」
 不審に思った行が訊ねると、青年はハッと我に返り、あたふたと答える。

「は、はい。いえ、その……っ、な、何でもありませんっ!」
 彼は明らかに様子がおかしかったが、首をかしげる行をよそに、逃げるようにして去っていった。行はあの時のことは、今でも何だったのか分かっていない……。


 そして、その日から、ただの宅配便の青年は、怪しい宅配便の男に変貌した。
 その態度があまりにも怪しすぎるので、行は過去の自分の正体を知って、ひそかに消しにやってきた、どこぞの工作員ではないかとすら疑ったほどだ。

 だが試しに殺気を放ってみても気付きはしないし、ポケットにしのばせたナイフをそっと握ってみても、何の反応も示さない。それに工作員だとしたら隙がありすぎる。少なくとも目の前の人間を『如月 行』と知っての上で、対峙しているとは思えなかった。
 あるいは届けられる荷物に爆発物が仕掛けられているかもしれないと、段ボール箱を開けるのにも細心の注意を払っていたりしたのだが、結局何も入っていないばかりだったので、最近は面倒くさくて止めていた。

 それに、危険人物だとしたら、外で見張っているウォッチャーたちに見咎められない筈もない。現役を離れた自分よりも、彼らの方がそういう目は鋭いだろう。彼らがあえて泳がせているなら別だが。
 おそらく『宅配便の男=工作員』である可能性は皆無だろうとは思うものの、それでも男が不審なことには変わりない。ただ自分に危害を加えようとするそぶりは見せないので、そのまま放置しているだけである。

 今日もまた男は、はにかんだように頬を染めて、行と目を合わせないようにしながら、そそくさと荷物を置いて去っていった。それでも行がドアを閉めるまで、こちらを見送っている視線だけは感じられる。
 はっきり言って、不気味だった。


 そこで、ここは一つ、仙石に聞いてみることにした。
「……という訳なんだけど」
「それで?!そいつに何かされたのか?!」
 事情を話し終えると、仙石はいきなり勢い込んで訊ねてくる。

「別に何もない」
 行は即答だ。何かされたのなら叩きのめして追い返すだけだが、逆に何もして来ないから、気味が悪いのである。
 すると仙石はあからさまにホッとした顔になった。そしてまたすぐに何かを思い出したように怒り出す。
「そいつが次に来る日はいつだ。俺がぶっ飛ばしてやる」
「そんなことしたら、あんたが警察に捕まるぞ」
 行は小さく笑った。仙石がどうしてそんなにムキになっているのかは分からないが、表情がころころ変わっていくのは眺めているだけでも楽しい。

「でも……、今日辺り来るんじゃないかな」
 壁に掛けてあるカレンダーに目を向けて、行がつぶやくと、仙石はにわかに張り切り出した。
「いつも4時に来るんだったな」
 行はうなずく。男は時間に正確だ。そして午後4時まではもうすぐである。

 仙石の気持ちが昂ぶるのが傍で見ていても如実に分かった。この調子では4時になったら、玄関の前で弁慶のように仁王立ちでも始めるかもしれない。
 それからしばらく、仙石は時間が来るまで、そわそわし続けた。部屋の中をグルグル歩きまわったり、立ったり座ったりを繰り返す。とにかく忙しい。

「少し落ち着けよ」
「これが落ち着いていられるか。平然としているお前が変なんだ」
 きっぱりと断言され、行は複雑な心境になる。
 確かにそう言われれば、明らかな不審人物がしょっちゅう家を訪ねて来るというのに、そのまま受け入れてしまっている自分の方がおかしいのかもしれない。

 だとしても、あの男は危険ではないと自分の本能がそう言っている。行は、その長年の経験とカンを信じていた。それで生き延びてきたのだから。
 だがそれを仙石にどう説明して良いか分からず、説明した所で、仙石には実感出来ないだろうとも思った。
 そこで行は口をつぐみ、仙石もまた無言でウロウロし続ける。


 ……そして、いよいよ午後4時になり、またいつものようにドアベルが鳴った。

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