『あなたにひとめぼれ』
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「つまりあれは、俗に言う『ひとめぼれ』って奴だったんだろうな。まぁその時は自覚してなかったけどな」 照れながら仙石がつぶやくと、行は何とも表現しがたい微妙な表情になった。 他の者では、行の表情が変わったことにすら気付かないだろうが、仙石は『如月行検定1級』を自称しているくらいなので、行のそんな表情の違いを見分けるくらいは朝飯前だ。 そしてすぐに、行が仙石の言葉を決して喜んでいる訳ではないことにも気付く。 いや、喜んでいないどころか、どうやら怒っているらしい。 「どうしたよ…?」 『ひとめぼれ』と言われて、喜ぶどころか怒られては、恥ずかしさをこらえて告白した立場がなくなる。 そんな仙石の非難めいたまなざしを真っ直ぐに受け止め、行ははっきり言った。 「そんなの、オレは信じない」 「…何の話だ?」 行の話はいつも文法がめちゃくちゃで、内容を理解するのも一苦労だ。 「オレは『ひとめぼれ』なんて信じない。そんなの本当の気持ちじゃない」 「何でそう思うんだ?」 きり、と唇を噛みしめて、仙石の想いすら頑なに拒絶するかのような行の態度に、仙石は戸惑いを覚えていたが、それでも動揺を隠して穏やかに尋ねる。 すると行は、形の良い眉を小さくひそめた。 「だってそうだろ。一目見ただけで、その人がどんな人間なのか理解出来る筈もない。それなのに好きだとか惚れたとか言われても、そんなの信用出来ない」 「なるほど」 仙石は、ここは素直にうなずく。確かに行のいうことにも一理ある。特に『如月行』という人間は見た目で簡単に判断出来るような存在ではないのだから。行の言っていることは仙石が誰よりも実感していた。 「だからあんたにそんなこと言われても、全然嬉しくないからな」 そうやってきっぱりと言い切る行だったが、嬉しくないとわざわざ口に出すというのは、本当は多少なりとも嬉しかったのではないだろうか。ただそれを認めてしまいたくないだけで。 そう仙石は判断した。おそらく間違いじゃないだろう。なんせ『如月行検定1級』の腕前だ。だから、それについては深く追求はしないことにする。 しかし、そうだとしても、ここで引き下がる訳にはいかなかった。『ひとめぼれ』を否定するのは、初めて行と出会った瞬間の自分の想いをも否定するのと同じだから。 「それじゃ聞くがな。お前も俺のことを好きだと言ってくれた。だが、俺のことを完全に理解していると断言出来るか?」 仙石の言葉に、行はハッとした顔になった。やがておずおずと口を開く。不承不承という口調で。 「…出来ない」 「そうだろ。俺だってお前の全てが分かった、なんて無謀なこと言えやしねえよ。他人を知ることが出来る範囲なんてタカが知れてるんだ。その中で判断していくしかねえんだろうからな」 行はこくりとうなずく。仙石は言葉を続けた。 「それなら、『ひとめぼれ』だって少しは信じられるんじゃねえか? ただ単に持っている情報量が多いか少ないかの差だろ」 「でも…」 「ん?」 まだ納得いかない顔をする行に、仙石は黙って行の言葉を待つ。 しかし、ようやく出てきた行の答えは、仙石には驚くべきものだった。 「オレは『ひとめぼれ』されるような人間じゃないと思う。そんな風に人を惹きつける魅力が自分にあるとは思えない」 どうやら謙遜などではなく、本気で心からそう思っているらしいことに、仙石は呆れるのを通り越して途方に暮れた。自覚がないにも程がある。 だが、行がもしも自分の魅力を自覚して、それを発揮するすべを手に入れたとしたら、それはそれで大変なことになるだろう。きっと仙石は心穏やかではいられまい。 だとすれば、行が鈍くて助かったと言うべきか。 はっきり言ってしまえば、行の魅力は自分だけが知っていれば良いと思う。他の誰も気付かないで欲しい。行がどんなに、どんなに、どんなに可愛いか、なんてことは、誰にも教えてやりたくはなかった。 だから仙石は、細心の注意を払って自分の想いを伝える。 「お前が自分のことをどう思っていようが、俺はお前に魅力を感じた。初めてお前を見た時からずっと気になって、お前のことばかりを見ていたような気がする。そしてお前のことを知るたびに、その想いはますます強くなった。お前の何を知らされても、それで俺の気持ちが変わることはなかったんだ」 真摯な仙石の言葉に、行はただうなずいた。そのまま仙石は続ける。 「だからな、『ひとめぼれ』なんてのは単なるきっかけに過ぎねえんだ。よく知っていくうちに、こんな奴だったのか、とがっかりすることもあるだろう。俺たちの場合はお互いにがっかりしなかった。そういうことさ」 行はまたうなずいた。しかし、ふいに黒い瞳が不安げに揺らめく。いつもきりりと閉じられた唇がいまは何かを言いたそうにしているから、仙石はまなざしだけで、それをうながした。 やがて行は、考え考え言葉を紡いでいく。 「それはそうだけど…、でもあんただって、オレの全てを知っているとは言えないし、自分でも言えないって言っただろ。それならこれから、もっとオレを知っていくうちに、あんたもがっかりする日が来るかもしれないよな…?」 …そんなに不安なのか? と仙石は思う。 仙石のことを信じていない訳ではないのだろうが、妄信できるほどの確証もないのだろう。それはこれから教えてやるしかない。仙石がどれほど行のことを想っているか。行の不安はただの杞憂に過ぎないのだ、と。 「それじゃ、お前はどうなんだ? お前もいつか俺のことを知って、がっかりする日が来ると思うか?」 仙石が逆に尋ねてみると、行はきょとんとした顔になった。 「そんな筈ないだろ。オレがあんたにがっかりすることなんて、あり得ない」 そこまできっぱりと言われると、むしろ仙石の方が本当か? と聞き返したくなる。これほどの自信と確信が、どうして自分の方には向かないのが不思議だ。 「それじゃ俺も同じだ。俺がお前にがっかりする日なんて永遠に来ねえよ」 微笑みながら、仙石は行の頭をポンポンと叩く。すると行は目を逸らしながら、ふうん、と小さくつぶやいた。 「何だよ、それだけか?」 「あんたがそう言うなら、そうかもしれないと思った」 「ああ、たまには永遠なんてものを信じてみるのも良いだろうよ」 仙石は行の髪を撫で続ける。行はそれを黙って受け止めながら、ほんの少しだけ微笑んだ。 「……そうだな。永遠に続く『ひとめぼれ』だったら、信じてみても良いかもな」 行の言葉に二人は微笑み交わすと、どちらからともなく唇を重ねるのだった……。 おわり |
ここまで読んで下さってありがとうございましたm(_
_)m
「お題」の時は掌編と言っていいくらいの短編で、 という自分なりの設定があったのですが、 今回はやたらと長くなりました。 でも長い割には、するっと出てきて、 これだけの分量でもあっという間に書けたんです。 まるでずいぶん前から考えていたみたいだ、 すごいぞ、私、と思ったら。 実際に、別の話のネタにしようと思って、 考えていたんでしたよ。「ひとめぼれ」話を。 ああ、そうだよ、あの話の続きなんだよ! とハッと気がつきまして(苦笑)。 でももう書いちゃったから、仕方がないです。 そっちはそっちで別の方向から攻めるしかないですね(笑)。 どこか別の話で、似たようなネタが出てきても、 笑って見逃してやってください。 2006.01.11 |