【えせほし─似非星─ 】 kyo-ko

『 遠い日の花火 』

(2)



 それがきっかけになったのか、それからの二人は何も考えることなく、思いっきり楽しんだ。仙石はもとより、行も珍しく声を上げて笑って、次々に花火に火を点けていく。
 絶対に無くならないだろうと思った量の花火も、あっという間に残りわずかになっていた。仙石が一度に何本も一気に火をつけて、ぶんぶん振り回したりしたからかもしれない。
 危ないから止めろ、と言ったらますますエスカレートしていくのは子供以上に性質が悪い。
 そんな仙石に呆れながらも可笑しくてたまらなかった。

「さてと、これで最後だな」
 仙石はしゃがみ込んで、袋の中から小さな花火の束を取り出す。
「もっとこっち来いよ」
 その言葉に行が仙石の隣に並んでしゃがむと、一本の花火を手渡された。線香花火である。

 火を点けると、初めは小さかった火花が少しずつ育っていくように大きく可憐に花開いた。それでも今までの勢いのある花火と比べると、その光は弱々しく、儚げだった。
 何となく彼岸花を思わせるその形を、じっと見つめていると、やがて光は小さな玉になって、ぽとりと下に落ちた。それもまた物悲しいような気持ちにさせる。


「これって、人の一生みたいだよな」
 ふいに仙石がつぶやいた。行は黙ってうなずく。
 あまり大きな花を咲かせられなかったり、長く花を咲かせ続けたり、人によって様々なのだろうけれど、誰でも最後はこうして消えて行くのだから。

 いつか自分もこうして消える日が来るだろう。
 仙石もまた消える時が来るだろう。
 それでも、その最期の瞬間まで、どちらかが消えるその日まで、ずっと一緒にいられるだろうか。

  明日もまた、仙石が自分の隣にいてくれる保証なんて、どこにもないけれど。
 ほんの少しだけでも未来を夢見ることは、許されるだろうか……?


 いつの間にか、仙石は二本目の線香花火に火を点けている。
 行にもまた手渡されるから、同じように火を点けた。チリチリと愛らしい音を立てて弾ける火花を見つめていると、ふいにかつての情景が甦ってきた。
 自転車の後ろに行を乗せ、思いっきり速く坂を下っていく母の後ろ姿。荷物かごの中にはいっぱいの花火が詰まっている。そのまま海岸までやって来ると、二人で飽きるほど花火を楽しんだ。
 それはたとえ冬でも変わらず繰り返された、母との数少ない楽しい思い出の一つだった。

 そう、この海岸で。
 こんな風に母と二人で線香花火に火を灯したのだ。
 どうして、すぐに思い出さなかったのだろう。海岸で花火となれば、思い出さない方が不思議なくらいだったのに。

「仙石さん。オレ、昔もこうやって母さんと花火をしたんだ。いつもオレを自転車の後ろに乗せて、この海岸にやってきて、冬でも花火をしたんだ。すごく楽しかった。その時だけは母さんも幸せそうに笑って。それなのに……」
 ……それなのに、どうして母は一人で逝ってしまったのだろう。
 行は喉を詰まらせた。言葉が上手く出てきてくれなかった。


 すると、いきなり仙石の太くてたくましい腕に引き寄せられた。その勢いで、線香花火を手から離してしまうが、それを気にしている余裕は行にはなかった。
 仙石もまた花火を手放してしまったらしく、両手でしっかりと行の身体を抱きしめる。そうして耳元で、そっとささやいた。
「泣いていいんだぞ、行」
「……泣いてなんか」

 オレは泣いてなんかいない、と言おうと思ったけれど、声にはならなかった。仙石の胸に顔をぎゅっと押し当てて、ただずっと、そうしていた。
 仙石の手のひらが、自分の髪を優しく撫でてくれるのだけを、感じていた……。
「……オレは忘れてなきゃいけなかったんだな」
 やがて、行はぽつりとつぶやいた。

 自分にとって、本当に大切な母との幸せな思い出を、今まで思い出さずにいたのは、それが母を喪った苦しみや哀しみもまた、引き寄せてしまうからだ。自分が捨てられたのだということも。
 全てを忘れていなければ、生きていくことは出来なかった。仙石と出会うまでは、いつ死んでも構わないと思っていた。未来なんて夢見たことはなかった。明日のことすら考える余裕はなかった。


 しかし、もうその必要もなくなったのだ。
 それを行はようやく実感した。母と共に過ごした幸せな時間だけを思い出にして、これからを生きて良いのだ、と知った。
 そのことを教えてくれたのは仙石だ。
 きっとこれからは、花火を見るたびに仙石のことを思い出すだろう。
 そして母の笑顔も。
 行にとってはただつらい思い出でしかなかった、あの花火を仙石が塗り替えてくれたのだ。

「ありがとう……、仙石さん」
 行は顔を上げると、そっと微笑んだ。
 仙石は一瞬驚いたような顔になったが、すぐに明るい笑顔を見せる。子供のように無邪気で、屈託のないその表情を、行は何よりも愛していた。
 自分がそんな風に感情を出すことが出来ないからかもしれない。その代わりに仙石が笑ってくれているのだろう、と思った。

 やがて、仙石の顔が近づき、行は目を閉じてそれを受け止める。先刻とは違う、荒々しく奪われるような深い口付けに、おずおずと行も応えていった。
 こんなところでは誰かに見られるかもしれないと思ったが、その戸惑いもすぐに消えた。きっと夜の闇が覆い隠してくれるだろうし、甘い吐息は海鳴りが消してくれるだろう。


「ん……っ、ふ……ぁっ」
 仙石の厚みのある舌が、行の口腔内を思うままに掻き回していく。それに絡め取られるように、行も舌を伸ばした。
 すぐに仙石の歯に当たったが、それでも間を割って中へ進めると、そこを狙いすましたように軽く甘噛みされた。

 行はびっくりして舌を引っ込める。その弾みで重なっていた二人の唇もわずかに外れた。
 行は目を開けて、思いっきり仙石を睨みつけてやったが、仙石はにやにやと笑うばかりだ。それどころか、休む間もなく、すぐにキスが再開される。

 またも仙石の舌が忍び入ってきたので、今度はお返しに歯を立ててやろうとしたが、その途端、歯の裏側をざらりと撫で上げられた。
「んんぅ……ッ」
 快感で全身がわななき、たまらずに愛しい男の背中にしがみつく。
 仙石の腕の力もまた強くなり、行の全身を折れそうなほどにきつく抱きしめた。お互いの身体が熱を帯びたようになり、汗が流れていくのは夏の暑さのせいばかりではないだろう。

「行、……行っ」
 仙石の掠れた声が深い吐息と共に、行の唇に吹き込まれる。再び訪れた熱い舌先に、行は先刻よりも激しく応えた。
 と、そこに仙石の舌を伝って、とろりとしたものが口の中に流れてくる。行はそれも黙って飲み干す。こくり、と小さく喉が鳴った。

 ……美味しい、と思った。こんなものが。
 まるで水に飢えた砂漠のように、行はひたすらに、それを求め、仙石もまた応じた。
 行の形の良い唇の端からこぼれた雫は、自分のものか、それとも仙石のものか。あごに向かって伝ってゆく雫を、仙石の舌がそっと舐め取った。


 そのまま仙石の唇は、行の首筋へと下りていく。うなじに沿って舌を這わされると、行の唇からひときわ高い声が上がった。もう仙石の唇がふさいでいないから余計に。
 行はハッとして右手を口元に持っていくが、そこをすかさず仙石の腕に止められる。こんな時の仙石は驚くほど早く動けるらしい。行は内心でちょっと呆れた。だがすぐに羞恥の方がまさってゆく。

「んや……ぁ、嫌だ……っ、んっ……仙石さ……」
 必死に唇を噛みしめても、すぐに甘い吐息とあえかな嬌声に変わってしまう。
「気にすんな。誰も聞いちゃいねえよ……」
 仙石のそんな言葉も、何の慰めにもならなかった。ましてや、仙石の唇が肌の上に点々と痕を残している状況であっては。

 ずっと家にこもっているせいか、行の肌は白い。健康的に日焼けした仙石と一緒にいると、青白く生気を失って見えるほどに。
 そのことに行はほんの少し引け目を感じているのだけれど、今は上気した肌が桜色に染まっている。仙石の熱が伝わったかのようだった。
 それでも仙石の唇に吸われた痕跡は、遠目からでもそれと悟れるくらいに、はっきりと付けられていく。所有印の如くに。シャツの襟ぐりから覗く鎖骨をきつく吸われて、行は小さな喘ぎを零した。


 こうして少しずつ自分に仙石の痕跡が残されていくうちに、いつしか全てが仙石のものになってしまうのかもしれない。
 それは恐ろしくもあり、喜ばしくもあった。仙石の腕の中で、自分が生まれ変わるような気がした。
「仙石さん……」
 行は仙石の愛撫に応えるように、そっと男の背中に手を回した。陸に上がってずいぶん筋肉の落ちた身体は、適度な弾力とやわらかさを、行の指先に返してくる。

 それはいつも行に安心感をもたらしてくれた。仙石の肉体がごつごつと硬いばかりだったら、きっとこんな気持ちにはならなかっただろう。
 仙石が与えてくれるものは、行にはいつも心地良いばかりで、だから時折ひどく不安になる。この人がいきなり自分の前に現れたのと同じように、いつかまた不意にいなくなってしまうのではないかと。

 行は祈りを捧げるかのように、仙石にしがみついた。
 そこへ仙石が心配そうな口調でそっとささやく。
「大丈夫か……?」
 行は黙ってうなずく。仙石が何を心配しているのか分からなかった。
 しかし、自分を抱きしめる仙石の腕がすぐに強くなり、武骨な指先が背中から脇腹、そして前へと移って行くにつれ、行も仙石の意図を遅まきながら悟る。


 行が戸惑っているうちに、仙石の指先はすでに行の胸の突起を服の上から探り当てていた。ほんの少し触れただけで、そこは硬さを帯びて、布越しでもはっきりと分かる存在証明をしてみせた。
「……敏感だな」
「ば、バカ……ッ……んっ」
 行の言葉も、あっさりと仙石の唇にふさがれてしまった。もうこうなってしまうと、抵抗するすべはない。

 身体への愛撫と唇から与えられる快感で、どうして良いか分からなくなってしまう。それでも突起を弄る仙石の指はずっと布越しだから、あと少しの所に届かず、もどかしくてたまらなかった。
 ……もっと、もっと、もっと……っ。
 頭の中ではそんな言葉ばかりがぐるぐると回った。身体の芯から熱い昂ぶりが伝わってくる。焦らさないで欲しい。早く仙石が欲しいと思った。

(このまま、ここで…………?)
 砂の上に押し倒され、あるいは岩場に手を付いて、仙石に激しく貫かれている自分の姿を想像した瞬間、ぞくり、と全身に悪寒が走った。
 快感からではない。恐怖だった。
 こんな野外で、何も遮るものが無い場所で、それほどまでに無防備な状態になることが耐えられなかった。仙石に抱かれている時は、あまりにも幸福で、全てを忘れてしまうから。

 もちろん分かってはいるのだ。もう誰にも襲われたり、狙われたりすることなどないということを。
 警戒する必要などないのだけれど、長年の習慣で奥深くに刻み込まれた意識は、そう簡単に消えてはくれない。
 ふいに身体をこわばらせて、何の反応も示さなくなった行に気づいたのだろう。仙石がそっと手を離して、優しい声をかけてくる。
「悪かったな。無理しちまって」


 行はかぶりを振った。あれほど感じた恐怖も、仙石のぬくもりが遠ざかってしまうと、途端に惜しくなる自分が浅ましく、情けなかった。
「オレの方こそ、ごめん……」
「いや、俺が調子に乗りすぎたんだよ」
「そうじゃない、オレも」
 行が慌てて言葉を継ぐと、仙石は大きな目をもっと丸くして、首をかしげた。

 行の言いたいことは伝わっていない。むしろ逆に失言してしまったことを悟り、行は軽く頬を染めた。この暗闇の中では顔の赤さに仙石が気付かないことを祈る。
 そして、ボソリとつぶやいた。
「……オレも、あんたが欲しいから」
「…………行? ……え……?」
 一瞬、仙石は何を言われたのか分からないという顔で、ぽかんとしていたが、すぐに満面の笑みを浮かべた。笑顔という言葉に、これほど相応しい表情はないだろうと思えるくらいに。


「よし、それじゃ帰るぞ」
 その言葉と共に、仙石は行の身体を横抱きにする。
 いきなり持ち上げられて、行は情けないくらいに慌てた。頬が火照っているのが自分でも分かる。さすがにこれでは仙石も気付いてしまうだろうと思った。

「なっ、何言って……。それに後片付けしなきゃダメだろ」
「そりゃそうだな」
 すると仙石は、あっけないほどにあっさりと行の言葉に従った。つまりは本気ではなかったということか。一人で焦った自分が馬鹿みたいに思えて、行は小さく唇を尖らせた。
 そこへすかさず仙石が、ついばむようなキスを落とす。

「すねるなよ。後でちゃんとしてやるから」
「ちゃんとって……何をだよ」
「決まってるだろ」
 エロいオッサンは、にやにやと人の悪い笑みを浮かべているから、行は問答無用で一発お見舞いしてやった。うぐ……っ、と言ったきり、前かがみになって痛みをこらえているらしい仙石に、行は笑いを誘われる。
 軽やかな笑みを浮かべている行を恨めしげに見つめながら、仙石は黙々と花火の後始末をするのだった……。


 帰りの車内、真っ黒に塗りつぶされた窓の外を、車のヘッドライトや道路の照明灯だけが流星のように通りすぎていく。
 それを何気なく眺めていた行は、窓ガラスに反射して、運転する仙石の横顔が映っているのに気が付いた。やっぱり今もご機嫌らしく、鼻歌まじりにハンドルを握っている。行は思わず微笑みを浮かべた。

 そんな自分の顔もまた、ガラスの向こうから、こちらを見つめている。自分の笑っている顔を自分で見たのは初めてで、何だか不思議な気分だった。全く同じ顔の別人がそこにいるのではないかと思った。
 ふいに、仙石の鼻歌が止んで、やわらかな優しい声が背中ごしに響いた。
「また来ような」
 行も黙ってうなずく。何も言わなくとも、仙石には伝わっている筈だから。

  ……またここに来よう。
 秋になっても、冬になっても、思いっきり厚着をして、花火をいっぱい買い込んで、この海にやって来よう。そして嫌になるくらい、ずっと二人で花火をしよう。
 何度も、何度も、花火の思い出を作っていこう。
 ──そう、あの遠い日の花火のように……。



                  おわり


         
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ここまで読んで下さってありがとうございましたm(_ _)m

これは「行仙行アンソロジー」に出した作品です。
これを書かなかったら、この本も出なかった筈なので、
アンソロに参加させてもらって良かったなぁ、と思います。

原作にも線香花火のエピソードは出てくるんですが、
(出てきたよね?)
こうして書いていて、仙行だけに線香花火、
とかバカバカしいことを考えました(笑)。

エロ未遂なので、
なんか焦らしプレイみたいになってますが、
その反動で『First Try』
エロエロになっちゃったのかもしれません。
あっちを後に書いたからね。
こういうちょっとしんみりした
「ほのぼの話」が一番好きです。

と、ここまでが本に出した時の後書きです。

行仙行アンソロにも載せて頂きましたし、
自分でも本を出したので、
これを目にしている方は多いかもしれませんが、
私はこの作品がとても気に入っていて、
これを埋もれさせたくないがために、
同人誌のWeb化をやろうと思ったのでした。

私にしてはかなり情景描写も頑張っていますし、
原作のエピソードも入れられましたし、
ほのぼのイチャイチャもあり、ということで。
短編に必要な物は全部入っているのではないか、
と思うのです。自画自賛ですが。

ついでにイージスにどっぷり浸かっている時に
書いたものなので、愛情や思い入れが溢れていて、
今読み返すと、微笑ましい感じがします。

2013.05.25

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