『叶わぬ願い』 |
そっと口付けを交わし、しばらくの間、お互いの熱い吐息を分け合っていた二人だったが、やがてどちらからともなく、身体を離した。 いや、正確には角松が如月の身体を離そうとし、如月もまた、その気配を感じて自分から離れたのだった。 そして何事もなかったかのように、如月は銃の手入れに戻った。 まだ心の奥底には角松に求められることを望んでいる自分が存在しているが、その欲求にそのまま従えるほど素直な性格ではない。それでも無視することが出来ない程度に、ずいぶんと長い時間、熾火のように如月の胸の奥でくすぶり続けた。 さりとて、半ば習慣と化した作業を続けるのには何の支障もない。内面はどうあれ、如月の指は自動的に銃の部品を組み立てて行った。 それは、おそらく長い時間ではなかっただろう。窓の外の月の位置も全く変わっていない。 しかしたったそれだけで、如月は息苦しくなるほどの胸のつかえを感じた。言い知れぬ喪失感を覚えた。在るべき者がそこにない、というだけなのに。 如月はついと顔を上げ、無意識のうちに角松の姿を探す。もちろん広い部屋ではないから、すぐに見つかった。男は何かを考えるような仕草で、寝台にうつむき加減に腰掛けている。 その真剣なまなざしに、如月は一瞬、声を掛けるのをためらった。 すると如月が見つめる気配に気がついたのか、角松の方から顔を上げてこちらを見つめる。 男の黒い瞳は、常にないほどの静けさを宿していた。それはいったいどのような心の作用か、如月には分からない。ただそれでも、角松が今まで見たことのない顔をしているのだけは明らかだ。 「…角松?」 何処となく不安を覚えて、如月はそっと男の名を呼んだ。 すると角松は無言のまま寝台から立ち上がり、ほんの数歩で如月の元まで辿り付く。そしてやはり何も言わずに、如月の腕を取って椅子から立たせた。 こういう時、如月は決して相手に逆らわないようにしている。下手に抵抗してもろくなことにならない。無論、角松が如月に害意を抱いているとは思えなかったけれど。 角松はまだ無言でじっと如月を見つめ、如月も角松から目を逸らさない。角松の視線を受け止め続けることは、かなりの忍耐力を必要としたが、如月はただひたすら耐え続けた。 やがて、如月よりもずいぶん長身の男を見上げていた如月の首が疲れ始めてきた頃、それを見計らうかのように、角松の腕が如月の細い身体を抱きしめた。もちろん如月は逆らわない。むしろ、それをずっと欲していたのだから。 求めていたものが与えられ、きりきりと締め付けられるようだった胸の痛みが、これで治まるかと思いきや、それはますます強くなっていく。 如月には訳が分からなかった。身体的な異常ではないことは自明だ。原因は精神的なものだろう。 だが、好ましく思う相手に抱きしめられているのに、どのような心の動きが自分の身を痛めつけるのか、如月には想像もつかなかった。 ふ…、と思わず如月は小さく吐息を付く。すると、ようやくほんの少し落ち着いた。 そこへ角松がぽつりとつぶやく。 「如月…、死ぬなよ」 いきなりの言葉に、如月は困惑した。ずっと黙っていたかと思えば、口を開いた途端にそんなことを言う角松が理解出来ない。今の如月には分からないことだらけだ。 「何故、私が死ななくてはならないんだ?」 浮かんだ疑問をそのままぶつけた如月の耳に、角松の低い声が響く。 「いや、明日がパレード当日だからな。それだけだ。単なる例え話だよ。そう、ただの…例え話だ」 念を押すように繰り返して言うと、角松は何故かくすりと笑って付け加えた。 「そう言いながらも、あんたって人はいざとなると、あっさりと俺をかばって死んだりしそうだからな」 如月は驚いて顔を上げる。まさか自分がそんなことをするとは考えられない。自分の身を護ることが最優先だ。ずっとそう思ってきた。それが当たり前だった。 しかし、角松は全く正反対のことを言う。あたかも予言のように。 如月は形の良い眉をひそめた。 「それはあんたの方じゃないのか」 如月が切り返すと、やはり角松は小さく笑った。 「俺か? 俺はそう簡単に死にはしないさ」 「その自信がどこから出てくるのか不思議だな」 「俺は、まだ死ぬ訳にはいかないからだ」 角松はきっぱりと言い切る。その強いまなざしに気おされて、如月は声を失った。男の言葉は続く。 「俺にはまだ始末を付けなきゃいけないことが残っている。それを終えるまでは、絶対に死ねない」 「それは…」 ようやく絞り出した声は、自分のものとも思えぬほど掠れていた。それでも如月は言葉を継いでゆく。 「…すべてを終えたら死んでも良い、とも聞こえるな」 「言葉のあやだよ。出来れば死にたくない。当然だろう?」 そう言うと、角松は今までの表情が嘘のように明るく笑った。その笑顔に釣られて、如月もまた微笑む。 「…あんたという人は…、長生きするよ」 如月の軽口に、角松もいたずらっぽく笑って応えた。 「憎まれっ子 世にはばかる、なんて言うしな」 「それなら、私もせいぜい憎まれることにしよう」 「…珍しいな。あんたがそんな冗談を言うなんて」 「冗談ではない。本気だ」 如月がきっぱりと言い切ると、角松は大きな目をますます見開いた。 「本気だ」 如月はもう一度繰り返す。 もしも、憎まれれば憎まれるだけ長生き出来るというのなら。 如月は世界中の人間に憎まれても構いはしなかった。 それほどまでに、生きたい、と思った。 目の前の男と会うまでは、いつ死んでも構わないと思っていたけれど。 きっと、これまで自分が死を与えてきた者たちと、同じような末路を辿るのだろう、と。血まみれになって、どこかで野垂れ死ぬのだと思っていたけれど。 一分でも一秒でも長く生きていたいと思った。 角松と、同じ時の中で存在していたいと思った。 近いうちに別れることがあろうとも、生きてさえいれば、いつか再会することも出来るだろう。そのことだけを頼りに生きていけるだろうと思った。 たとえ世界中の人間に憎まれたとしても、角松だけは自分を決して憎みはしないだろうから…。 「そうか…、そうだな。生きていよう。ずっと二人で…」 角松の言葉にうなずくことは出来ずに、如月は静かに目を伏せる。 そして、心の中でつぶやいた。 …皮肉だな。 生まれて初めて、自分が同じ時を生きていたいと思った人は、未来に還っていく人なのだ。 ずっと二人で生きて行くことなど、出来はしないのだ。 例えどれほど、如月がそれを望んだとしても…。 パレードは明日。何が起こるか分からない。 だから今夜は、今夜だけは。 …このまま時が止まってくれたら良いのに、と如月は二人を照らす月に、そっと祈るのだった…。 おわり |
ここまで読んで下さってありがとうございましたm(_
_)m
何が何だか分からん、という方は、 「過去も未来も」をお読み下さい。 そちらの直接の続きになります。 分かりづらくてすみません。 しかもその話の如月視点もあるしな…(苦笑)。 この話の角松視点を書くかどうかは未定ですが。 えーっと、ちょいシリアスな感じでしょうか(笑)。 ずいぶんとのんびりしていた二人でしたが、 やはり前日ともなれば緊迫感も多少はね。 でもこの後に何が起こるか知っていたら、 もっと気を引きしめたかも。 まだどちらにも未来を語るだけの余裕があります。 実際はどうあれ。 私としてはやはり、 二人が結ばれる未来が来ることを祈りたいです。 2005.06.15 |