『過去も未来も』 |
角松がぼんやりと目を覚ますと、窓から差し込むかすかな灯りを頼りに、如月が何か作業をしていた。そして、その背中がこちらを振り向く。 「起こしてしまったか?」 そう尋ねる如月の横顔は、月光を浴びて白く輝いて美しかったが、見惚れている場合ではない。 …明日、だったな。 パレードの日が明日だということを忘れていた訳ではない。ただ、それほどの覚悟を持って臨んではいなかったことを思い知らされた。 今夜もいつもと同じように如月を抱いて、そのまま同じように眠る筈だった。如月の気配に目が覚めなければ、一人だけ眠りこけていただろう。 如月も自分の腕の中でまどろんでいたようだったのに、いつの間にか起きて、何か作業をしている。何をしているかまでは分からないものの、きっちりと伸ばされた背筋に漂う緊張感から、明日のことに関係しているのだろうと察した。 それなのに自分と来たらどうだ。これでは平和ボケだと言われても仕方があるまい。 思わず如月を尊敬の念を込めて見つめていると、不審に思われたのか、如月がそっと尋ねてきた。 「…どうかしたか?」 形の良い唇の動きに見惚れながらも、角松は反射的に答える。 「お、おう。寝起きのせいか、ぼうっとしてたよ。…と、いつの間にか寝ちまってたんだな。悪い」 「別に。謝る必要はない」 しかし、そう言われても、明日に向けての緊張感が、自分には欠片も存在しなかったことは確かだ。あまり気負いすぎてもいけないとは思うが、そもそもパレードの日に草加が動くと断言したのは自分なのである。 その言葉を如月も信じてくれている。それがありがたく、同時に申し訳なかった。 なおも謝罪の言葉を告げようとした角松に、如月がそっと微笑みを向けてくる。そしてさりげなく付け加えられた言葉も、やはり優しかった。 「気にするな」 そんな気遣いは、出会ったころの如月には存在しなかったものだ。 たったの数日間で人格が変わる訳もないのだから、きっと彼自身に最初から存在していた優しさなのだろう。隠していたものを見せてくれるようになっただけのことで。 しかし心を許した相手なら、誰にでもこんな風に微笑んだり、優しい言葉を掛けたりしているのかと思えば、それも悔しい気持ちがした。 そして、そんな自分に嫌気がさす。自分だけが特別なのだと自惚れるのも大概にしろ、と戒めた。 そう。たとえ如月が、どれほどに抱きしめたくなるような美しい笑顔を振りまいてくれようとも、彼にとっては、単なる挨拶程度に過ぎないのかも知れないのだから。 いつか飛び立っていく鳥ならば、今だけでもこの手の上に留まっていてくれることこそを、喜ぶべきなのだろう。 角松は頭を強く振ると、やくたいもない考えを消し去った。くだらない嫉妬など抱いている場合ではない。 何もかも吹っ切るようにベッドを飛び出して、如月の手元を覗きこむ。するとテーブルの上には、分解された銃の部品が整然と並べられていた。 「で、こんな夜中に何やってんだ?」 「銃の手入れだ」 そうか、と角松は納得する。角松の頃ならともかく、この時代の銃は不発・暴発も当たり前だった。自分の命を預けるような場合に、そんなことになっては死んでも死にきれまい。 さすがは如月だと尊敬のまなざしで見つめるが、対する如月は、そう言うお前は軍人のくせに何をしている?とでも言わんばかりのまなざしを返すから、角松も苦笑をするしかない。 とりあえず、自分は銃を使わなくて済むことを祈るだけだった。と、そんなことを馬鹿正直に言ったら、如月はきっと呆れるだろうと思ったが、意外にも切れ長の瞳を柔らかく細めて、そっとつぶやいただけだった。 「あんたらしいな…」 その声音に、如月の深い愛情を感じたと言ったら、やはり自意識過剰だろうか。それでも自分の心の内側までも認めてもらったようで、まんざらでもない気分だった。 すると、ふいに如月が尋ねてくる。 「その銃を、見せてはもらえないか?」 「ああ、良いぞ」 角松は手にしていた自分の銃を、言われた通りに如月に手渡した。なぜか如月は戸惑ったような困惑したような表情を浮かべていたが、すぐに銃に視線を落とす。 その様子をぼんやりと眺め、角松は不思議な気持ちになった。 二十一世紀からやってきた角松にとっては、銃は決して身近なものではなく、むしろ簡単に人の命を奪ってしまう厭わしいものであった。 すでに己の手も血にまみれて、多くの屍の上にこうして生きながらえている身としては、所詮は綺麗事に過ぎないかもしれないが、だとしても。出来るだけこんなものは使いたくはない、と思っていた。 如月にとっては違う。 例えるなら鉛筆やハサミなどと同じ、ただの『道具』で、必要な時にそれを使用するだけだ。そしておそらくそれこそが銃本来の使用方法なのだろう。 その証拠に、如月の軍人とは思えぬ細く白い指に包まれた瞬間、角松のベレッタはまるで命を吹き込まれたかのように輝いた。如月の手に在って悦んでいるかのようだった。 しかし、それは角松の錯覚だったことに、ほどなくして気が付いた。 ベレッタではない。如月が悦んでいるのだ。 自分の知っているものとは形も性能も全く違う未来からやってきた銃を見て、興味津々といった様子で、瞳を煌かせている。そんな顔はまるでお気に入りのオモチャを見る子供のようだ。 その顔に角松は思わず見惚れる。 考えてみれば、角松は如月の年齢すら知らないが、ベレッタを手に嬉しそうな顔をする如月は、普段の姿からは想像も付かないほどに可愛らしく、あどけなく見えた。そしてそんな顔をさせるのが『銃』だというのが、いかにも如月らしくて微笑ましかった。 ずっと如月にはこんな顔をしていて欲しいと思った。 角松は明るい口調で如月をからかう。 「分解しちまっても良いぞ」 「え…?」 案の定、如月は驚いたように、こちらに顔を向ける。 「あんたがそんな顔してたからさ」 「まさか」 「いや。分解してみたくてうずうずするって、顔に書いてあるぜ?」 それは半分冗談ではあったが、もう半分は本気だった。 如月が角松のベレッタに興味を抱いているのは明らかだったし、分解してみたいと思っても当然だろう。如月は即座に否定したが、それこそが余計に自分の本心を隠すためのように見えた。 それに角松は、構いはしなかったのだ。 たとえ如月が銃を分解して壊してしまおうとも。角松にとっての銃はなるべく使いたくない、持ちたくないものなのだから。貴重な支給品を壊しては申し訳ないとは思うが、それも運命だ。 そして如月のこともある。銃を手にしただけで、あれほどまでに楽しそうな顔をしたのだから、分解すればもっと悦んでもらえるに違いない。つまりは如月のご機嫌取りだ。 しかし、如月は困ったように微笑みながら、角松の手にベレッタを戻した。 「分解してみたい気持ちはあるけれど、止めておこう」 その言葉に、角松は少なからずがっかりする。如月の悦ぶ顔をもっと見ていたかった。如月が少しでも幸せそうに、楽しそうにしていてくれたら、自分もどれほどに嬉しいか。 それはおそらく、如月がどこか薄幸そうに見えることにも、無関係ではあるまい。 ここまで如月がどのように生きてきたのか、どんな過去があるのか、角松には知りようもなかったが、角松のような安寧な生活でないことは容易に推察された。 ふいに角松の脳裏に、出会った日のことが思い出される。 華奢な支那服に身を包み、少年と呼んだ方が相応しいようなあどけない顔の小柄な青年が、たった今、人を刺したと思しき血塗られたナイフを手に、目の前に立っていた。 欠片ほどの殺意も殺気もまとうことなく。 おそらく如月は、角松が邪魔な蚊を叩きつぶすかのように、こともなげに人を殺すことが出来るのだ。そのことが角松には信じられなかったし、空恐ろしくもあった。そしてそれ故に、魅せられ、心惹かれた。 しかし、いくら軍人とはいえ、あそこまで達するには、どれほどの修羅場をくぐり抜けてきたことか。どれだけの屍を踏みしだいてきたことだろうか。 いっそのこと、何の感情も持たない冷たい人間になれたなら、如月も苦しむことはないのだろう。今まで奪ってきた命の重さも、この先奪うかもしれない命にも、何も感じないでいられたら。 だが、角松は知っていた。如月が本当はとても情の深い、心優しい青年であることを。他人の死に、傷ついていない筈がないことを。 だからこそ、自分がそんな如月を護ってやりたかった。幸せにしてやりたかった。 その権利も義務もないと知っていながら。 角松はふいに押し寄せてきた想いを堪えることが出来ず、如月の背後に廻って、座っている椅子ごと細い身体を抱きしめた。 いきなりのことに、如月は戸惑っている様子だったが、すぐに角松を見上げると、しなやかな腕を伸ばしてくる。そして二人の唇がそっと出会った。 明日など来なければ良い。 いつまでもこうして居たかった。二人、この世界で。 ──しかしそれが幻に過ぎないことも、 嫌と言うほど分かってはいたのだけれど……。 おわり |
ここまで読んで下さってありがとうございましたm(_
_)m
こうして書いてくると、本当にこの二人には 『現在』しか存在しないのだなぁ、と思います。 積み重ねてきた『過去』も、これから迎えるはずの『未来』も、 二人にとっては存在しない、不確かなもので。 だからこそ、限られた時を惜しむように、 二人、愛し合うのでしょうか…。 なんてことを言ってみたりして(笑)。 とにかくこの二人には、短くても濃密な時間をあげたいです。 もう、うんざりするほど、この一週間のことを ねちねちと書き続けていきたいです(爆)。 えーっと、この直後の話もあります。 それもそのうちに出しますので。 2005.04.07 |