【えせほし─似非星─ 】 kyo-ko

『籠の鳥』

(1)


 夜気がゆらりと揺れたようだった。

 浅い眠りの中を漂っていた男は、その瞬間、ハッと目を覚ますと、物音一つ立てることなく半身を起こした。そしてそのまま寝台を滑り出そうとした所で、喉元に冷やりとしたものを押し当てられる。
「…動くな」

 男の耳元でささやかれた声は、予想していたよりもずいぶん細く、そして若い男のようだった。持っている得物は短刀らしい、と刃の当たり具合や相手の手の位置から推測する。どうやら、そのくらいの分析ができるほどには冷静だ。
 予想だにしない闖入者に、男は内心で深い吐息をつく。
 この暗闇では顔形はおろか、気配すら感じさせてはくれないが、それでも相手が自分を平気で殺すだろうことは予測がついた。

「扉に鍵は掛けておいた筈だが?」
 相手の目的は分からないが、試しに探りを入れてみると、やはり耳元にささやきが返ってきた。
「……窓が、開いていた」
「私としたことが迂闊だったな」

 そう言う男の声には、まるで反省の色は無い。むしろ窓を開けておいたことで、面白い者がやってきた、と楽しんですらいるようだ。
 その様子が侵入者の気に触ったのか、喉元に押し付けられる力が強くなる。あるいはすでに傷の一つも付いているかもしれない。痛みは感じなかったが。


「君の目的は何かな?」
 これもまた答えを期待した問いではないけれど、また律儀に反応がある。
「角松はどこだ」
 こうもあっさりと、しかも正々堂々と自分の目的を明かす辺りは、場数を踏んでいるようで、意外と御しやすいのかもしれない、と男は内心でほくそ笑んだ。

「そうか…、なるほど。餌が変わっていれば、釣れる魚も面白いという訳だな」
「巫山戯るな。私は本気だ」
「それは重々承知しているよ」
 男は変わらず喉元に刃物を付きつけられていながらも、くつくつと忍び笑いをもらした。やがてその笑いは、盛大な高笑いとなっていく。まるで勝利を確信しているかのように。

「…何の真似だ」
 耳元の声が緊張と苛立ちを孕んでいることを十分意識しながら、男は殊更にゆっくりした口調で応えた。
「私を殺したら、あの男も死ぬぞ」
 その言葉に、初めて侵入者は動揺を見せた。付きつけられた刃物がほんの一瞬ではあるが、ためらいに震えるのを、男はもちろん見逃す筈もなかった。


 すかさず手刀で相手の短刀を叩き落とし、そのまま右手で腕を捻り上げた。同時に左腕が相手の首を押さえ込み、はがい締めにする。
「…ぐ、う……っ」
 侵入者は苦しげな呻きを上げるが、捕らえた男の側もまた、内心では驚きの声を上げていた。

 押さえ込んだ右手首はあまりに細く、今にも折れそうで。自分の腕の中にすっぽり入ってしまうほどの小さく華奢な身体をしながら、唯一自由に動く左腕で、必死に逃れようともがいている。

「いったいどこの小鳥が迷い込んできたのかと思ったが…、この細い身体で窓から入ってくるとは。あるいは本当に背中に羽根でも生えているかね?」
「…離せ……」
「そう言われて離す者など居るまいよ」

「ならば…、殺せ」
 きっぱりと言い切った相手に、男は初めて興味を覚えた。そこで首を締めていた力を少しゆるめる。逃げることは出来なくとも、声が出せる程度には。
 その分、右腕をますます捻ることになってしまったが、骨の一本や二本折れた所で死ぬ訳ではない。


 …いっそ、折ってしまうか。

 男にふとそんな衝動がよぎった。
 籠の中に閉じ込めた鳥が逃げ出さないよう風切り羽を斬ってしまうように、だ。野鳥は決して人に馴れないというが、果たしてこの小鳥はどうだろうか…?
 ひどく心が浮き立つのを覚えながら、男は侵入者に尋ねる。

「彼を助けに来たのではなかったのかね? ここで君が死ぬのは無意味だろう」
 すると相手は男の腕の中で、やはりきっぱりと言い切った。
「私が一緒に囚われるよりは良い」
「彼も同じように思ってくれると良いがね」
 いかにも楽しげに応えた男の言葉に、侵入者は意外なほど衝撃を受けたようだった。全身が硬くこわばったのが伝わってくる。

 …やはり弱点は、あの男か。

 男は確信した。先刻、短刀を付きつけた手が鈍ったのも、あの男のことをちらつかせた時だった。あれは単なるハッタリに過ぎなかったから、予想外の効果にこちらが逆に驚かされたほどだ。
 つまりはそれほどに大切な相手なのだろう。こうして自分の命も省みずに単身乗り込んできて、救おうとするほどには。


 ふと、自分の元に囚われている男のことを思い出す。ほんの二言三言、話を交わしただけだったが、それでもまるで自分とは違う性質の男だと分かった。
 しかし、あたかも酷暑の陽射しの如くに、うっとうしいほどの熱を帯びたあの男であれば、命を張って自分を助けに来た相手が死んだら、苦しまずにはいられまい。

 囚われるくらいなら死を望むと言う、侵入者のまとう気配とは全く似ても似付かなかった。二人を結び付けて考えることの方が難しい。
 が、だからこそ、どんな関係なのが興味が湧くというものだ。
「あの男は君が死ぬことなど、決して望みはするまいよ」

 そう言いながら男は、自分もまた、この迷い込んできた小鳥を殺したくないと思い始めていた。
 すると侵入者は男の腕に身を委ねるかのように、身体の力を抜く。そしてぼそりとつぶやいた。
「ああ…、そうだな……」


 その声音に、男はハッと胸を突かれた。
 自分の命を狙った相手に同情の余地などない。それでも心が揺り動かされるのを感じ、そのことに戸惑った。この侵入者に、名も知らぬどころか、顔も満足に見ていないような相手に…、これほどまでに。

 と、ふいに窓が荒々しい音を立てて内側に開く。
 風にあおられて、厚手のカーテンがバサバサとめくりあがった。鍵が閉まっていなかったせいで、窓が開いてしまったのか、それとも侵入者がしっかりと閉じていなかったのか。

 二人とも、ほんの一瞬ではあるが、そちらに意識を取られた。そしてまた意識を戻したのも、ほぼ同時だった。
 侵入者は男の腕から逃れようと身をよじり、男はますます強い力で、細い腕を捻り上げる。

「…ん…ぁあ…ッツ」

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