【えせほし─似非星─ 】 kyo-ko

『静かな夕べ』

(2)


 小一時間後、どうにか出来上がった夕食を前にして、仙石はうなずいた。
「まぁ、こんなもんだろ」
 主婦でもなければシェフでもないので、それほど凝ったものは作れず、さすがに会心の出来とは行かなくとも、とりあえず量だけはたくさんある。腹の足しにはなるだろう。
 テーブルの向かいに座った行は、怪訝そうな顔で見つめるばかりだが。

「どうした、食えよ。ほれ、『いただきます』は? 挨拶は生活の基本だぞ」
 仙石がそう言うと、行は口の中でもぐもぐと何やらつぶやいて、箸を手に取った。仙石の耳には『……ます』くらいしか届かなかったが、勘弁してやることにする。なんせ腹が減っているのだ。

「よーし、食うぞ〜」
 言うが早いか、仙石はスプーンを片手にカレーライスを一気にかっこむ。それを目にした行は呆れたようなまなざしを向けながらも、自分も料理に手を付け始めた。
 ちなみに今夜のメニューはカレーライス、肉野菜炒め、味噌汁である。自分でもバランスの良いメニューだとは思わないが、仙石が他に作れる物と言ったら、オムライスと鍋物くらいなので仕方がない。カレーとオムライスを並べるよりはマシだろう。


 しかし、短時間で大雑把に作った男の料理ではあったが、皿に盛りつけると、意外なほどに見栄えが良くなった。というのも、この家にある食器はどれも豪華な品々ばかりなのだ。食器などに興味ない仙石でも分かるくらいだから、きっと高価なものに違いない。
 だが、行が食器を買い揃えたとは思えず、そのまま尋ねてみると、半ば予想していた名前が返って来た。

「浦沢が置いてった」
「やっぱり画廊のオーナーか…」
「気まぐれに買って、飽きるとここに持って来るんだ。でもセットで揃えている訳じゃないからバラバラだろ、大きさも形も」
「いい加減な奴だな」

 確かに戸棚の中に、同じ模様の皿は二つとなかった。
 仙石のカレー皿にはみずみずしい果物の絵が描かれているし、行の皿には可愛らしい小花が散りばめられている。肉野菜炒めの皿は目の覚めるような青いラインと豪華な金の縁取り。電子レンジには入れられまい。

「でもお前も、せめてお椀くらい買えよ」
 仙石が言うと、行は手にした味噌汁に目を落とし、こくりとうなずいた。さすがにカフェオレボウルでわかめの味噌汁を飲むのは抵抗があったのだろう。この家には汁椀は一つも無いのに、何故かカフェオレボウルは3個も4個もあるのが不思議だ。


「そういや女房にもこんなことされたな」
 仙石はふと思い出してつぶやくと、行が物問いたげな目を向けてくるので、仙石は気が進まないながらも話を続ける。
「ある日、朝飯がクロワッサンとスクランブルエッグとカフェオレだったんだ。俺はやっぱり朝はご飯と味噌汁の方が良いんだが、作ってもらってそんな文句も言えねえしな。でもよ、あのカフェオレって奴はあんまり旨くない気がしねえか? ぬるくて牛乳っぽいしよ」

「カフェオレってのは、そういう飲み物だろ?」
 行の至極もっともな言葉に、仙石は苦々しくうなずいた。
「そりゃそうだが…、思わず言っちまったんだよな。やっぱり朝は味噌汁が飲みたいって。そしたら案の定、怒らせちまったみたいでよ。翌朝、これが出てきたって訳だ」
 そう言いながら仙石は、味噌汁入りのカフェオレボウルを指差す。

 しかし行の応えはそっけない。ふうん、と気のない返事を寄こしただけだった。
「お前が聞きたそうにしたから話したんだぞ」
 少々恨みがましい口調になってしまった仙石に、行は感情のない目を向けるばかりだ。その顔には『オレがいつ聞きたそうにした?』と書いてあるようで、仙石もそれ以上は何も言えなかった。

 すると行は、しばらくためらった後、ぽつりと尋ねてきた。
「仲直りしたのか?」
「ん?ああ、まぁな」
 特にケンカをしたという訳でもないのだが、自分のせいで夫婦の関係が悪くなったのは確かだ。

「仕方がねえから、慌てて平謝りさ。女を怒らせた時はとにかく謝っちまうことだ。でないと、いつまでもグチグチ言われるからな」
「あんたは別に悪くないだろ」
「どっちが良いとか悪いとか、そんなの関係ねえんだよ。お前も結婚でもすりゃ分かるさ」


 冗談めかして笑った仙石に、何故かいきなり行の表情が一変する。
「オレは結婚はしない」
「今はそう言うが、お前はまだ若いからな。いずれそんな時も来るだろ」
「結婚なんてしない。絶対に」
「行…?」

 行のあまりに頑なな物言いに、仙石はいぶかしげに眉をひそめたが、行はそれきり、貝のように口を閉ざしてしまった。どうやら単なる照れや恥じらいからの言葉ではなさそうだった。
 そこで、仙石もそれ以上訊ねることはしなかった。ただ、幸せな『結婚』を見て来なかったのか、と想像するくらいしか出来ず、自分は如月行のことを何も知らないのだ、と改めて思い知らされた。

「こんな広い家で、ずっと一人で暮らすのは寂しいと思うぞ」
 それでもつい言ってしまったのは、それが仙石の本音でもあるからだ。今はもう引き払ってしまったが、家族で過ごした呉の家に一人で残された時は、生きる気力を失うくらいに寂しく感じられたものだった。


「別に…、慣れてる」
 そっけなく言い放った行に、仙石はたまらず声を荒げた。
「そんなの慣れるもんじゃねえよ。慣れるなんてこと、ある訳ねえんだ」
 かなり強い口調になってしまい、行は戸惑ったような表情を浮かべるが、ためらいはしなかった。

 一人が気楽で楽しい、なんて言う人間は、本当は一人ではなくて甘えているだけか、あるいは誰かと共に生きる喜びを知らないだけだ、と仙石は思う。
 人間は決して一人では生きられない。他者との関わりを完全に断って生きることなど出来はしないのだ。

「…そうだな」
 行は小さくうなずいた。
 しかし、その表情は全く変わることはなかったから、仙石は心の中で少なからず落胆する。やはり分かってもらえなかったか、と思う。
 だが、まだこれからだ。
 これからいくらでも知ることが出来るのだ。何故なら、行は生きているのだから。

 すると、行はカレーのスプーンを握りしめながら、伏目がちに小さな声でつぶやいた。
「でも…、あんたと一緒に食べるのは悪くない…、と思う。…なんか、あったかい」

 …あったかいのはこっちの方だ。
 仙石は思わず心の中で応える。

 行のさりげない一言でどれほど心が温められたか。家族、団らん、そんな言葉からすっかり遠ざかってしまった仙石にとって、これは久しぶりの感触だった。
 世話になっている兄の食卓に混ぜてもらっていても、どこか余所余所しさを感じていた仙石だったが、血のつながりなど全くない如月行と一緒にいる時の方が、『家庭』を味わえるのは不思議だ。確かに親子ほども歳の差がある二人だけれど。

「それなら冷めないうちに食っちまえよ」
 行が温かいと言ったのは、食事の内容ではないことくらいは分かっていたが、仙石は冗談めかして笑う。
 しかし行はちょうど食事を終えた所だった。すっかり空になったカレー皿の上にスプーンを置く。そして仙石の方にちらりと視線を投げると、照れくさそうにつぶやいた。

「…ごちそうさま」
 今度はちゃんと聞こえた。仙石は力強くうなずく。
「よしよし、挨拶は生活の基本だからな」

 言いながらも、何となく犬に芸を教えているような気分になった。いや、やはり子供のしつけだろうか。苦笑を浮かべながらも、胸の奥がじんわりと温かくなるような気持ちは変わらない。
 さっそく気を良くして、仙石も食事を再開するのだった…。


 かなり大量に作ってしまった夕食は、半分以上は仙石が平らげた。それでも行もかなり食べた方ではないだろうか。すっかりきれいになった皿を、仙石は満足げに見つめる。作った甲斐があるというものだ。
「さてと…」
 立ち上がり、食器を流し台に運ぼうとする仙石の手を、行がそっと止める。
「洗い物くらいはオレがやりますよ、先任伍長」

 くすっといたずらっぽく笑う行に、仙石も笑いを誘われた。
「調子に乗って、高そうな皿を割るなよ?」
「そんなヘマはしない」
 きっぱりと言い切った言葉通り、洗い物をする行の手つきは慣れたものだった。皿洗いのバイトでもしたことがあるのだろうか、などと馬鹿なことを考えながらも、仙石は安心して、リビングで寛がせてもらうことにした。

 やがて行が戻ってくると、両手にコーヒーカップを持っている。
「お?気が利くな」
 カレーの臭いが充満していた部屋の中が、コーヒーの芳しい香気で洗われるようだった。おそらくはお湯を入れただけのインスタントだろうが、それでもありがたいことには変わりない。そもそも仙石はコーヒーの良し悪しなど分かりもしないのだ。


 二人でソファに腰掛け、ゆったりと琥珀色の液体を味わっていると、行がまたぽつりとつぶやいた。
「あったかいな…」
「ああ、そうだな…」
 仙石もまたうなずく。

 そろそろ7月にもなろうという季節に、エアコンもついていない部屋の中は『暑い』と言っても良いくらいだったが、二人ともそんなことは気にならなかった。
 お互いに顔を見合わせて微笑みながら、また静かにコーヒーを口に運ぶのだった…。


             おわり

               『月を待ち』へつづく…。

<<BACK       NEXT>>

ここまで読んで下さってありがとうございましたm(_ _)m

えーっと、タイトルの『夕べ』とは、
本来の意味は読んで字の如く、夕方のことです。
が、この話では「夕食」も含んでしまいました(笑)。

でも本当は、夜寝る所まで行くはずだったんです。
3話くらいで。
それで違和感があったら「静かな宵に」に変えちゃえば良いか、
くらいの軽い気持ちだったんですけど。
(私のタイトル付けはそんなもんです)

3話で終わる筈がありませんでした…。全然無理。
という訳で、ここでいったん切って、別の話に(苦笑)。

次では絶対に夜寝る所まで行くぞ、
という思いを込めてタイトルに「月」を入れましたが、
果たしてどうなることやら。
(つまりまだ書いてないってことです)

2005.07.04

戻る     HOME