『水平線』 |
水平線に消える護衛艦を見送って、二人は同時に深い吐息をついた。 言葉にならない想いが、心と身体の中を埋め尽くし、それが思わず零れて来たかのように…。 行の視線はまだ遥か遠く、潮風に長い髪をなぶられるがままになっているが、その端正な横顔を見つめているうちに、仙石はようやく言わなくてはいけないことを思いだした。 行と会ったら言ってやろうと思っていたことを。 だが、きっと面と向かっては言えないだろうことも分かっていたから、行がこちらを向く前に、言ってしまおうと決める。先手必勝だ。 「行、とりあえず一発殴らせろ」 突然の不穏な言葉に、さすがの行も驚きを隠せないようで、振り向いてこちらを見返す黒い瞳がわずかに見開かれていた。 「…何でだよ」 不満げにつぶやく行は、どことなく子供っぽいように思えた。仙石は心の中で小さく微笑む。 「俺はずっとお前が死んだと思っていたんだ。その澄ました面を張り倒してやらなきゃ、この気持ちは収まらねえよ」 「オレを殴れば気が済むのか?」 怒るかと思いきや、意外にも行は静かに問いかけてくる。ただ疑問に思うから尋ねている、という口調で。身構えていた仙石の方が逆に、気が削がれてしまった。 「まぁ、多少はな」 そう応えたのも、本気で行が自分に殴られるとは思っていなかったからだ。自分が殴れるかどうかも自信がない。 すると行は、仙石から視線を逸らすように、また海に目を向けた。 そしてそのまま一人つぶやく。 「死んでいると思ってもらっていても、オレは良かったんだ」 仙石は耳を疑う。それならあの絵はいったいどういうことになるのか。 尋ねようとした仙石を遮る形で、やはり行は話し続ける。珍しく口数が多いのは、あるいは照れているからなのだろうか、と思うのは自意識過剰か。 「対外的にもオレは死んだことになっているし、あんたとも二度と会うつもりはなかった。そう思っていたんだ…、あの時までは」 「あの時?」 仙石が尋ねると、行は振り向いて、小さく微笑んだ。 「あの絵を描いた時だ。…最初は海を描くつもりだったんだ。海だけを。それなのに気がついたら、絵の中にあんたが…、居た」 仙石はどきりとした。 内心の動揺を必死に隠そうと、そればかりを考えた。気付いているのかどうか、行の言葉は続けられていく。 「あんなことは初めてだった。自分が描こうと思っていない絵を描いてしまうなんて。だから、これは運命だと思った」 まるで愛の告白であるかのような言葉だが、行の表情もまなざしも穏やかで、何の感情も読み取れないから、仙石もまた黙って話を聞くことしか出来ない。 「あの絵を見たら、あんたはオレのことを思いだすだろう。オレが生きている事にも気付くだろう。そしてきっと、オレの所に会いに来るだろうと思った。 それが分かっていて、あの絵を仕上げ、外に出すことにしたのは…、やはりオレも、あんたに会いたいと思っていたからなんだろうな、心の奥底では」 俺も同じ気持ちだ、と叫びたいのを、仙石は必死に堪えた。まだ行の言葉が終わっていない。 「…だから、あんたに会えて嬉しいよ、仙石さん」 そう言うと、行はまるで子供のように無邪気な笑みを浮かべた。仙石は無言で頭を抱える。 「どうかしたか?」 不思議そうにこちらを見つめる行に、仙石は苦笑を返すだけだ。 「そんなこと言われたら、殴れなくなっちまうだろうが…」 「それは良かった」 行はやはり明るく微笑んでいる。 …どうやら、こいつは俺の知っている如月行ではないらしい。 仙石はなぜか空恐ろしくなった。底知れないとは、こういうことを言うのだろうか。そして、それだけに魅力的でもあり、惹き込まれてしまうのだろう。 しかし、行もまた自分に会いたいと思ってくれていたことを、素直に喜べる心境ではなくなったことも確かだ。 戻る事の出来ない道に、足を踏み入れてしまったような気がする。往きつく先は天国か、はたまた地獄か。どちらにせよ、目的地には行が待っているのだろうけれど。 …もしかしたら。 一発殴って、全てをおしまいにした方が良いのかも知れない。 そう思ってはみるものの、もちろんそんなことが出来ようはずもない仙石なのだった…。 おわり 『二つの道』へつづく…。 |
ここまで読んで下さってありがとうございましたm(_
_)m
この話を書くまで、行が仙石さんをどう呼ぶか、決まっていなかったんです。 というよりも、悩んでいたのですが。 こいつったら、するっと言ってくれちゃいまして。 私の方が拍子抜けでしたよ。悩んで損した(苦笑)。 まだまだ先は長いですが、お付き合いいただけると嬉しいです。 2005.02.02 |