【えせほし─似非星─ 】 kyo-ko

『白い欠片』

(2)

  結局、割れたカップの破片は仙石が片付けてくれた。それからコーヒーを淹れ直してくれて、ソファでずっと優しく肩を抱いていてくれた。
 行はそのことを申し訳なく思ったが、片付けをしている時も、仙石は意外と嬉しそうだったので、ほんの少し安堵した。

 未だに行は、こんな時に迷ってしまう。
 仙石は素直になれと言う、もっと甘えろと言うけれど、行はいつも自分の感情に嘘をついている訳ではないし、それなりに甘えてみているつもりなのだ。ただそれが仙石の期待しているものとは違うだけなのだろう。
 それらのことは、自分と仙石との違いを浮き立たせるばかりでしかなかったが、違うからこそ惹かれ合い、結びつきたいと思うのではないか、そう感じられるようにもなっていた。
 多少は前向きになったのかもしれない。

 仙石が夜毎、教えてくれるせいもあるだろう。
 二人別々の存在が、一つになる喜びを。こんな自分を仙石が求めてくれる、欲してくれることに、行自身もまた幸福を感じていたから。
 今夜もまた、割れたカップのことは一時忘れて、仙石の腕の中で眠った行だった……。


 翌朝、二人は行の運転で館山駅に向かった。
 行の家から館山駅までは、のんびりと歩いてゆくことも出来るし、連れ立って散歩気分で行くこともあるのだが、今日は買い物がメインなので車にした。
 行の家の周辺だけは、うっそうとした木々に囲まれているけれど、車を走らせると、すぐにマンションや一戸建てが立ち並ぶ住宅街になる。ずいぶんとご機嫌らしい仙石が、鼻歌をまるまる1曲歌い終わる頃には、館山駅も目の前だ。

 白い壁にオレンジ色の瓦屋根が印象的な、南欧風の館山駅の駅舎や、そこかしこに植えられているヤシの木を見ると、一瞬、別の国にでも迷い込んでしまったかのような風情である。
 館山駅がこのように作りかえられたのは最近で、久しぶりに懐かしの故郷に降り立った行は、ひどく驚いたものだった。
 この中途半端な外国風景には、未だに違和感を覚えずにはいられないが、仙石は『いつ見てもスゲーよな』などと無邪気に喜んでいるから、そんなものか、と行も納得するのだった。

 駅前の駐車場に車を停めると、二人はその辺をぶらついてみることにした。
 仙石も行も、マグカップがどんな店に売っているものなのか、あまり良く分かっていなかったからだ。
「まぁ、瀬戸物屋くらいあるだろ」
「セトモノ…」
 そんな店が在っただろうか、と行は首をかしげる。
 とはいえ、食器を自分で買ったこともなければ、買おうと思ったこともないから、知らずに店の前を通りすぎてしまっている可能性も大いにあった。


 すると、いきなり行の目の前を一人の女性が横切るようにして、一軒の店に入っていく。ドアを開けた時に、カランコロンと可愛らしいチャイムの音がしたので、つい釣られて、そちらに目を向けた。
「……あ」
「ん、どうした?」
「カップ、あった」

 その店のショーウィンドウには、確かにマグカップがいくつも並べられている。しかも仙石が使えそうな白くて大きくてシンプルなデザインのものも多かった。
 行は迷うことなく、店のドアを開けて中に入る。カランコロンという音と共に。背後では、仙石がやけに戸惑っているようだったが、気にも留めない。

 一直線にマグカップの置いてある棚の前に行き、どれか好きな物を選んでもらおうと、後ろを振り向いた行は、そこで初めて、自分がどんな店に入ってしまったのか気が付いた。
 店内は女性客しかおらず、売っているものも調理器具や食器など、いかにも若い女性や主婦が必要とするものばかりで、およそ男性客の似合いそうなものは存在していない。ましてや、仙石のようなむさくるしいオッサンでは余計だ。

 案の定、仙石はおろおろと店の前に立ち尽くしているから、行はガラス越しにきっぱりと睨みつけてやった。たとえどれほど店が入りづらくても、目的のものがここにあるのに、他の店に行く必要なんてないだろう。
 そんな行の思いが伝わったのか、それともいつまでも店の前に立っていたら迷惑だと思ったのか、仙石は意を決した顔で店に入ってくる。

 そうすると、大きなクマのぬいぐるみのような仙石の容貌が、この店の雰囲気と合っている気がしないでもなくて、行は思わず小さく微笑んだ。
 その微笑みに、仙石が釘付けになったのはもちろんのこと、周囲の女性客もハッと息を飲んで、あまりにもアンバランスな男二人の様子を見つめる。そんな視線を行自身は全く気付いていなかったけれど。


「仙石さん、どれにする?」
「そうだな。これなんか使いやすそうだな」
「どれでもあんたの好きなのにしろよ」
「お前はどれが良いと思うんだ?」
「オレの意見なんて聞いてどうするんだよ」
「そりゃあ参考にするさ」
 いくつものカップを手に取りながら、そんな会話をほのぼのと繰り広げる二人を、店の客はもちろん、店員ですらも興味しんしんに見つめていた。
 さりとて、この二人が恋人同士だなどと想像する者はいなかっただろうが。

 しばらく迷ったあげく、仙石はようやく一つのカップを手に取った。
「これにしよう」
「うん、きれいだな」
 行はうなずく。
 そのカップは仙石好みの白くて大きなものだったが、上の方に青い波のような模様が描かれている。白と青のコントラストが美しく、海を思わせるデザインが仙石の目に留まったのも当然と言えた。

「それじゃ、これ買ってくるから」
「ああ、すまんな」
 仙石からカップを受け取ると、行は店内のレジに向かった。すると他の客もなぜか一斉にレジに並んだので、行はずいぶんと後ろの方になってしまった。
 ……どうして急に?
 困惑しながらも、カップを握りしめて自分の順番を大人しく待つ行だ。

 と、そこへ、背後に良く知っている気配がする。
 振り向くと、やはり仙石が立っていた。手にはカップを持っている。
「あんたも買うのか?」
「ん、ああ、まぁな」
 ちょっと照れたように笑った仙石が手にしているのは、先刻、仙石自身が選んだカップと色違いだった。オレンジ色の模様が描かれていて、とても可愛らしく華やかな印象だ。ヒマワリの花びらが舞っているようにも見える。

 ……娘さんに買って行くのかな。
 行は仙石の娘の佳織には会ったことはないけれど、そのカップはいかにも若い女性に似合いそうなデザインだった。
 行の胸がちくりと疼く。理由は分からなかった。
 しかもその間にレジの順番が来たので、お金を払ったりしているうちに、そんなことは忘れてしまっていたのだった……。


 カランコロン。
 軽やかな音と共に店を出て、二人は車に戻った。
 並んで乗り込んだ所で、行は手に持っていた紙袋を仙石に手渡す。
「はい、これ」
「おう、ありがとよ」

 仙石はそれを嬉しそうな笑顔で受け取り、今度はなぜか自分の袋を行に渡した。
「ほら」
「……え、なんで?」
「何でって、お前のだからだよ」
「オレの……?」

 おずおずと受け取ってはみたものの、仙石の言っている意味が分からなかった。仙石のカップを割ってしまったのは自分で、プレゼントをもらうようなことはしていないし、そもそも行のカップはまだ無事に家にある。
「あの時見た夕日の色みたいだな、と思ったら、つい買ってたんだ」
「そうか……」
 行は小さくうなずいた。

 あの時の夕日、というそれだけで、行にもその情景がありありと目に浮かんだ。二人が再会した時に見た夕日の美しさは、生涯忘れることはないだろうと思う。仙石もまた同じような気持ちだったのだと知って、嬉しくなった。
 二人が同じものを見て、同じように感じた思い出があるというのは、何て素晴らしいことなのだろう、と。

 その瞬間、行はハッと気が付いた。
 仙石のカップが割れた時、白い欠片を見つめながら、何か大切なものも一緒に壊れてしまったと思ったのは、そのカップを使っていた仙石の思い出をも失った気がしたからではないだろうか。

 しかし、そうではないことを、行はもう知っている。
 あのカップで仙石がコーヒーを飲んでいた姿も、ホッと吐息をつくリラックスした表情も、たまに淹れ方を間違えて渋い顔をしていたのも、みんなみんな思い出すことが出来る。
 仙石の思い出はカップに宿っているのではなく、自分の心にちゃんと眠っているのだから。


「ありがとう……」
 行は仙石に礼を言うと、目の前の袋を見つめる。

 新しいカップで仙石がコーヒーを飲む姿も、きっと自分の胸の中に宿るだろう。それと同じように、自分がこのカップでコーヒーを飲んだら、それを仙石も覚えていてくれるだろうか。仙石の中にずっとずっと残るだろうか。
 そのことを想像するだけで、心がほっこりと温かくなるような気がした。まるで仙石が淹れてくれたコーヒーを飲んだ時のように。

 すると、ふいに隣の仙石が手を伸ばしてきて、行の髪をくしゃりと掻き回す。
「ようやく浮上したか?」
 行が不思議そうに首をかしげると、仙石は小さく苦笑した。
「カップを割っちまってから、お前ちょっと元気なかったからな。でもやっと元に戻ったみたいで安心した」
「……ごめん」

 ずいぶん仙石に心配をさせてしまっていたようだ。うなだれる行に、仙石はぽんぽんと背中を叩く。まるで子供をあやすような仕草だが、それで行がホッとしたのも確かだった。
「それじゃ、さっそく帰ってコーヒー飲むか」
「今度こそ、ちゃんとオレが淹れるよ」
「そうか、頼んだぞ」
 わっはっはと仙石が笑い、行も釣られて微笑みを浮かべた。そして二人は急いで家に戻るのだった……。


 それから数十分後、自宅のキッチンでコーヒーの支度を始めようとした行は、あることに気が付いて、茫然と立ち尽くしていた。

「これ……、ペアだ」
 目の前に仲良く並べられた二つのマグカップは、言うまでもなく色違いのお揃いだ。仙石はもちろんそのつもりで買ったのだろうけれど、行は今ごろになって恥ずかしくなる。
 二人でお揃いのものを持つなんて、初めてなのだ。しかもお互いに相手の物を買ってプレゼントしたなんて。
 それはもはや恋人同士というのを通り越して、新婚夫婦のようではないか。

 ……どうしよう、使うの恥ずかしい。でも使わない訳にはいかないよな……。
 そんなことを考えながら、マグカップを前にして、一人で赤くなる行なのだった……。


        おわり

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ここまで読んでくださってありがとうございました。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。

後編がやたらと長くなりました。
余計な描写が多いのかな。
でもどこも削れないよー!(バカ)。
そんな訳でいつもに増してダラダラした文章です。
しかも長い割にラブが少ない。うーむ。

このネタは、チャットで話しているうちに出来上がったものです。
というよりも、チャットの内容そのままです。
ちゃっかり頂きました!(笑)。
でももっとほのぼの可愛い話にする予定だったのなー。
どうしてこんなメソメソウジウジした話になるかね。
自分でも良く分かりません。

物が壊れる、という話だからかな。
形ある物はいつかは壊れるとはいえ、
やっぱり壊れてしまうと寂しいですもんね。
そんな私の思いがそのまま出てしまったのか。
まだまだ未熟です。

やっぱり人様に読んでもらうからには、
娯楽としても楽しめるものじゃないとね。
精進しますです。
(こんなに言い訳が長い時点でもうダメ)

2006.09.08

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