【えせほし─似非星─ 】 kyo-ko

『永遠に癒えぬ病』

(2)


 そうして居間のソファに向かい合って座った二人だが、行はまるで話し出す気配がない。きっちりと揃えられたひざの上で両手を硬く握っている。どこか思い詰めたようなまなざしで、ただ自分のこぶしだけを見つめていた。

 仙石もまた、無言でその様子を見つめ続ける。
 何度もこちらから声を掛けてしまおうかと思ったが、行の全身から立ち上る空気が、そうさせてはくれなかった。こちらが何を言っても、弾き返されてしまうような気がした。
 だから仙石は、ひたすら行が口を開くまで待った。


 そのまま重苦しい沈黙がいったいどのくらい続いたろうか。
 ようやく行がぽつりとこぼれるように言った。
「病院に行ってきた」
「それで?」

 行の話には前置きがない。順序立ってもいない。いつもいきなり要点だけを言うばかりだから、仙石は逸る気持ちを抑えながら、辛抱強く尋ねる。
「検査をされたけど、異常はなかったらしい。医者には、おそらくストレス性のもので、ストレスになりそうな原因から遠ざかって、安静に過ごすことだ、と言われた。だから」


「俺がストレスの原因?」
「そうだ」
 何故そう言い切れるのか、やけに自信がある目で、行はきっぱりと言う。仙石はそのことにもショックを受けたが、それ以上に気になったことがあった。

「お前、本当に具合が悪いのか?」
「ああ」
 行はうなずく。
「今も、どこか痛いとか、苦しいとか、…あるか?」
 仙石の言葉に、行はまたもうなずいた。

「それならそうと早く言え。どこの医者に行ったんだ。ヤブじゃねえのか。本当にちゃんと検査したんだろうな。大変な病気だったらどうする。もうお前一人の身じゃないんだぞ。俺だってすごく心配するし、それに」
「うるさい、黙れ」
 どこか鬼気迫る声音で、行に制され、仙石はぴたりと口を閉じる。
 行のことを思っての言葉だというのに、あんまりの仕打ちだったが、それにも仙石は慣れていた。こんな時の行には逆らってはいけないのだ。黙って行の言葉を待つ。


「あんたがしゃべると、オレの具合がますます悪くなるんだ。今だって胸が苦しくて、息が出来ないくらいなんだ。他の人にはならない。あんただけだ。あんたの顔を見ていると、オレはおかしくなる。だからもう放っておいてくれ」
「俺だけ…、なのか?」
 仙石が首をかしげながら尋ねると、行はやはりうなずいた。そしておぼつかない口調で、ぽつぽつと話し始める。

「症状が出るようになったのは、つい最近だ。あんたが来ない時は、ふと気が付くとあんたのことを考えて、何も手に付かなくなったりする。絵を描いていても集中出来ないこともある。
 …でも会ったら会ったで、オレはおかしくなるんだ。あんたの言葉や行動で、時々ひどく胸が痛くなったりする。きりきりと締め付けられるみたいに。それに心拍数が上がって、意識がぼんやりして、考えてもいなかったことを話したりしてしまう。
 まるでオレが、オレじゃなくなるみたいで…」

 行は唇を噛みしめ、深刻な表情でうつむくが、対象的なまでに仙石の顔は明るかった。これ以上はないというほど明るい笑顔で言う。
「実はな行、俺も…お前と同じ病気なんだ」


 すると行は、ハッとしたように顔を上げた。
「まさかあんたも…?!もしかしてオレのがうつったのか。いや、オレがあんたからうつされたのかも。さては空気感染するのか?あんたの周りの人は大丈夫なんだろうな。
 ああ、それとも、あの事件のPTSDだろうか。その可能性も捨て切れないな。オレはそんなに弱いつもりじゃないし、あんただってそれほどデリケートには見えないが、それでも」

 いきなり別人のようになって、一気にまくし立てる行を、仙石は慌てて制止した。ここからが肝心の話なのだ。それなのにまだ的外れなことを言っている行が可笑しかった。
 そして、それ以上に愛しかった。…心の底から。


 仙石は居ても立ってもいられなくなって、おもむろに立ち上がると、行の隣のソファに座る。そして戸惑っている行の肩を抱き、自分の胸の中に抱き寄せた。
 あまりに突然で、行が茫然としているのを良いことに、仙石は行の耳元でそっとささやく。

「なぁ、行。そうやっていると、分かるだろ。俺の鼓動がすごく早くなっているのが。心拍数が普通じゃないくらいに上がってるだろ?」
 行は黙ってうなずいた。
「それは、俺がお前と同じ病気だからなんだよ。俺もお前と一緒にいると、こんな風になるんだ。胸が締め付けられるように痛くなって、息が出来ないくらいに苦しくなって、でもその後にすごく優しい気持ちになったりする。お前と…、同じじゃないか?」

 仙石の言葉に、行はハッと顔を上げた。そうすると二人の距離が意外なほど近く、互いの吐息が頬にかかりそうだった。仙石の鼓動がますます早くなる。
 しかし、この期に及んでも尚、行の言うことときたら。
「やっぱりあんたにもオレの病気が感染したんじゃないか」
「ああ、そうかもな」


 仙石は笑った。行が不審そうな目を向けているのにも構わず。そして言葉を継ぐ。
「行、俺とお前の病気は、医者じゃ治せないんだ。いや、誰にだって治せない。多分、俺の場合は永遠に治らないだろうな。死ぬまで」
 『死』と言う単語に、行が敏感に反応する。黒い双眸が不安げに揺らめいた。何か言いたげにしているその唇を、思わずふさいでしまいたくなったが、それはまだ先の話だろう。

 仙石は想いを込めて、静かにささやく。
「俺たちの病気の名前は、恋って言うんだ。俺はお前に恋している。そして、お前も俺に恋をしているんだよ、行」

 仙石の予想では、ここで行がハッと自分の気持ちに気が付いて、うっとりと仙石の腕に身を任せるか、恥らって頬を染めるか、どちらかだったのだが、実際の行は、残念ながらまるで違っていた。
「あり得ない」
 きっぱりと一言でおしまいである。


「そりゃあ、いきなりのことで、お前が戸惑うのも分かるけどな…」
 仙石は苦笑を浮かべる。
「他の奴と一緒にいても、こんな風にはならないだろ?俺の前でだけなんだろ、具合が悪くなるのは。それならお前にとって俺は特別だってことだ。他の奴とは違うってことだ。そのくらいは認めろよな?」

 仙石の言葉に、行は不承不承といった表情でうなずく。
「俺にとってもお前は特別だ。他の奴じゃ、こんな風にはならない。だからそれで良いじゃねえか。ん?」
 仙石としてみれば、すっかり自分の片思いだと思っていたのが、行も同じ想いだと知って、天にも昇る気持ちなのだ。行がちょっとくらい現実を受け容れられなくて、ジタバタしても広い心で許してやれるだけの余裕があった。
 それどころか、先刻からずっと気味が悪いほどの満面の笑みである。

 行はそんな仙石を、胡散臭そうに見つめていたが、やがて意を決したように口を開いた。
「少し一人で考えさせてくれ」
「ああ、良いぞ。10分か?20分か?」
 すっかり浮かれ切っている仙石の答えは明快だ。そしてそれに対する行の答えも。
「一週間」
「…そりゃ長ぇな」

 仙石の浮かれ気分が、空気が抜けたように半減する。が、かろうじて残った半分で、どうにか堪えた。
「分かったよ。一週間だな。ああ、待ってやるさ、そのくらい。ここまで来るのに、掛かった時間に比べたら、屁みたいなもんだ」
「それじゃ一週間後にまた来てくれ」


 行のそっけない言葉と共に、仙石は家を追い出されてしまうが、それでも浮き足立つような想いは変わりはしなかった…。

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