【えせほし─似非星─ 】 kyo-ko

『ノックを三回』




 ノックの合図を決めよう、といきなり如月が言い出した。
 何のことやら分からず戸惑っている角松に、如月は扉を叩くように、コンコン、コン、と三回壁を叩く。
「覚えたか?」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。つまり今のが合図だな?」
「そうだ。私があなたの部屋を訪れる時には、必ずこのノックをする。それ以外のノックでは決してドアを開けるな。あなたの場合も同じようにすること。分かったな」
 あまり何度も言わせるな、という冷たい口調で言い放たれ、角松は慌てて確認する。

「…こうか?」
 如月がやったように、壁を三回叩いてみた。コンコンコン。
「違う」
 即答である。

「…ちゃんと三回叩いたぞ?」
「あなたの耳は正常な機能を果たしていないようだな。もう一度だけだ。いいな」
 あまり何度も叩いていたら、それが合図だと知られてしまうかもしれないからな、と如月は付け加えた。

 正直に言うと、角松には如月がそこまで警戒する意味が分からない。いや、おそらく、この時代、この場所では当たり前なのかもしれないが、それを実感することは出来なかった。
 ともかくも、あんまり何度も繰り返させると、如月に見捨てられそうだったので、角松は真剣にノックの音に集中する。

 すると如月は、コンコンと二つ、そして少し置いてコンと一つ、壁を叩いた。
「ああ、そういうことか」
「今度は分かったな。もう復唱の必要はない」
「はい」
 反射的に素直に返事をしてしまう角松だ。


「ではこれからの予定を確認しよう。明日は新京へ行くが…」
 地図を広げながら、きびきびとした口調で説明を始める如月を、角松はぼんやりと眺める。

 如月は、帽子を脱いでいるせいか、うつむくと長い前髪がひたいに掛かり、妙に艶めかしい。角松よりもふた回りも細い身体は支那服に包まれて、ますます華奢に見えた。白く細い指が、地図の上をなぞるのを見つめながら、爪の形がきれいだな、などと思った。
 潮気が抜けて一人前、と本人は言っていたが、それでもこれは潮気が抜けすぎだろう、と呆れてしまうほどに、如月は軍人らしくなく、見ようによっては、あどけない少年のようですらあった。

 …米内さんはずいぶん変わったのを寄こしたもんだな。
 角松は心の中でそっとつぶやく。しかし、あの米内がわざわざ無能者を寄こすとも思えない。それだけ信頼されているのだろう。


「…聞いているのか?」
 ふいに如月がこちらに鋭い視線を向ける。長めの前髪の下から、切れ長の瞳にきつく睨みつけられ、角松はぞくりとした。
 もっと美しい者なら他にも居るだろう。色気のある者もいくらでも居る。しかし、それ以上の何かが如月には在った。張りつめた鋭さとでもいうのか。あるいは日本刀が美しく見えるのと同じ理由かもしれない。

「あ、ああ。聞いてる。それで?」
 ほとんど聞いてはいなかったが、角松は慌てて返事をする。
 宿に落ち着いて、ようやく如月の顔をじっくりと見ることが出来たので、つい夢中になりすぎてしまった。だが、それだけ如月が見飽きないということでもある。まるで魂を抜かれでもしたかのように。

 すると、如月は小さく溜め息をつく。
「列車は8時間の長旅だ。途中で気を抜くなよ」
「ああ、分かった」
 如月の言葉に、角松はうなずいた。どうせ明日は移動だけなのだ。いくら角松でも、明日いきなり草加に会えるとは思っていない。

「長期戦になるかな…」
 角松がぽつりとつぶやくと、それに律儀に如月は答える。
「さあな。全ては向こうの出方次第だ」
「とにかく行ってみるしかないってことだな」
「そういうことだ」
 如月はうなずく。そのまなざしは先刻のものよりは、幾分やわらかくなったように思われた。角松はそれだけで嬉しくなる。

 それからもしばらく会話を続けているうちに、余所余所しかった態度も少しずつ打ち解け始め、別れ際にはかすかに微笑みすら浮かべてくれるまでになった。
「おやすみなさい」
「あ、ああ。おやすみ」
 角松も微笑みを返しながら、答えると、如月は優雅に支那服をひるがえして、去って行った。ふわりと香ったのは髪の匂いだろうか。


「なんだか…、不思議な人だ…」
 如月のいなくなった部屋で、角松はぽつりとつぶやいた。
 一見すると冷たいように見えて、内に熱い物を宿しているのではないかという雰囲気も感じられる。するりと手をすり抜けてしまいそうで、ふいにこちらを振り向いてくれることもある。
 どうにも掴みどころが無かった。

 そのまま、ぼんやりと如月が残した気配を味わっていると、いきなり扉が荒々しく叩かれた。ドンドンドン、と三回。
 角松はハッとしてドアノブに手を掛けたが、慌てて引っ込める。部屋の中を見回しても身を隠す場所など無い。どうにか武器になりそうなものは窓辺に置かれた椅子くらいか。

 ノックの音はまだ続いている。
 角松は視線をドアに向けたまま、ジリジリと後ろに下がり、椅子を手に取ろうとして、壁に掛けてあった上着のことを思い出した。正確にはそのポケットに入っているベレッタのことを。

 ノックの音が止んだ。
 角松は鋭い動きで、壁の上着を取り上げてポケットを探る。ようやく右手に銃把を探り当て、そのままポケットの中で握りしめた。手のひらが湿っているのが分かる。そして、指も震えていた。

 …俺はこれを撃てるのか…?
 ドアの向こうに誰がいるとしても、この銃を向けて命を奪うことが出来るか、自信はなかった。だが…ここで死ぬ訳にはいかない。
 角松は意を決してポケットから銃を抜いた。安全装置に指を掛けようとした、その時──


 再びノックの音が響く。
 コンコンと二つ、そして少し置いてコンと一つ。

「…如月?」
 もしかしたらドアの向こうの相手は、如月が倒してくれたのだろうか。出会った時の、血まみれのナイフを握っていた姿を思い出す。
 角松はホッとして銃をまた戻した。

 そっと扉を開けると、やはりそこには如月が立っている。髪の毛一本乱さず、涼しい顔をしていた。もちろん返り血なども浴びていない。
「ちゃんと覚えていたようだな」
「……え?」
 驚く角松を見上げて、如月はいたずらっぽく笑う。そのまなざしで、角松にもようやく事態が呑み込めた。

「試したのか…?」
「ああ。合格だ」
「人が悪いぞ」
 恨みがましい目を向ける角松に構わず、如月はするりと部屋の中に身体を滑りこませると、後ろ手に扉を閉めた。


 そして、婉然としか例えようのないほど、艶めかしい微笑みを浮かべて一言。
「合格のごほうびをやろう」
 その言葉に角松が困惑しているうちに、如月の顔がグッと近寄り、また離れていった。キスをされたのだ、と気付いたのは、しばらくしてからだ。

「如月…?」
 うわ言のようにつぶやく角松に背を向けて、如月はベッドの上に腰掛けた。ぎしりとスプリングがきしんで耳ざわりな音を立てる。
「…来ないのか?」
 その声に誘われるように、角松は如月の細い身体を抱きしめるのだった…。

          おわり

ここまで読んで下さってありがとうございましたm(_ _)m

ちょっとお茶目な如月さん。
しかも誘い受けです(笑)。
たまにはこんなのもいかがでしょうか?

この話、『静かな決意』と関連しています。
本当は二人の初夜(笑)を書きたかったんです。
何といっても、9月7日は二人が出会った日なので。
(マイ設定)

で、その話を書こうと思っていたのに、
気付いたら、こんな話。
なんか意味もなくほのぼのしてみました(笑)。
やたらと1日目の話が多くなってますけど、
まだやりますよ〜。

少なくとも初夜を書かないとね(爆)。

2005.09.08

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