【えせほし─似非星─ 】 kyo-ko

『五日前』



「くそっ」
 ずっと部屋に閉じこもった生活に苛ついているのか、何も出来ない自分がもどかしいのか、角松は悪態を吐きながら、壁を蹴り飛ばした。それでも鍛えられた彼が本気を出したら、こんな薄い壁など粉砕してしまうだろうから、それなりに手加減をしたらしい。

 …熱いのか、冷静なのか、分からない男だな。
 如月は心の中でくすりと微笑む。

「少し落ち着いたらどうだ」
 窓の外を眺めながら、如月が優雅な手つきで茶を淹れると、狭い部屋の中にかぐわしい香りが広がった。
「…ああ、すまん」
 角松はばつが悪そうに笑い、寝台に腰を下ろす。男の重みで古ぼけた寝台がぎしりと音を立てた。

 そこは、昨夜二人が身体を重ねた場所でもある。乱れたシーツがかすかにその痕跡を残すが、如月にも角松にも、もはや色めいた気配はない。あの瞬間がまるで夢であったかのように。

 しかし、それが現実であったことは、二人が一番よく分かっていた。


 如月の手から茶を受け取ると、角松は一気に飲み干す。
「まだ五日もあるのか…」
「本当に記念パレードの日で間違いはないのか?」

 角松は、草加が行動を起こすのは、満州国建国十周年の記念パレード当日だと断言した。その根拠を尋ねても、ただの勘だと言う。そこが如月にはどうにも納得できなかった。

 この男はそこまで草加のことを理解出来るのだろうか。
 どうして露ほども疑わないのだろう。
 それほどの繋がりが二人の間にはあると言うのだろうか…。

 これは嫉妬だと自覚していた。
 なぜこんなに自分が角松に固執してしまうのか分からなかったけれど、それは目の前の男が自分の方をまるで見つめていないからかもしれなかった。


 如月は複雑な想いを胸に隠しながら、角松を見つめる。
 すると角松は、手にしていた湯呑み茶碗を荒々しくテーブルに置き、きっぱりと言い切った。
「それ以外には考えられん」
「そうか…」

 真っ直ぐなまなざしに気おされるように、如月はそっと目を伏せる。長い睫毛が滑らかな顔に影を落とした。
 その頬をいきなり角松に触れられた。

 如月はハッとして顔を上げる。いつ角松がこちらに手を伸ばしたのかも分からなかった。それだけこの男の前では気を許してしまっているということの証か。唇を噛みしめたい思いを堪えて、如月は嫣然と微笑んでみせた。
「…何か?」

 と、角松は火傷でもしたかのように慌てて手を引っ込める。そしてその手でくしゃくしゃと自分の髪を掻き回した。
 男の真意がつかめず、戸惑っている如月に、角松はぼそりとつぶやく。
「その…、あんたが泣いているように見えたから…」
「私が?」


 如月は驚いた。
 自分と『泣く』という行為は、天と地ほどもかけ離れた存在だ。つい最近泣いたのが、いつだったのかも思い出せやしないし、そもそも泣いたことがあったのかも分からなかった。
「いや、俺の気のせいだよな」
 角松は気まずい空気を吹き飛ばしたいのか白々しく笑う。

 その笑みを見つめ、如月はそっとかぶりを振った。
「気のせいでは…、ないかもしれないな」
 こちらを見てくれない男のことを想っていたあの瞬間は、確かに自分は泣いていたのかもしれなかった。

 如月の独白は、どうやら角松には届かなかったらしい。きょとんとした顔で見つめ返している。その顔が意外なほど可愛らしくて、如月も思わず笑みをこぼした。
 その微笑みにつられたのか、角松も今度は心からの笑顔を浮かべた。明るく屈託のない笑顔に癒されるような心地がする。

 如月は小さく微笑んだままで立ち上がると、角松の隣に腰掛けた。寝台がやはりきしんだ音を立てる。そこへ当たり前のように角松の手が伸びて、如月の身体を引き寄せた。自然と二人の唇が重なる。
 そしてそのまま、もつれ合うようにして寝台に倒れ込んで行くのだった…。

          おわり

ここまで読んで下さってありがとうございましたm(_ _)m

この話を出したことで、
一連の流れが見えてきたのではないかと思います。

実は、私が書こうとしているシリーズ松月のほとんどは、
ほんの一週間くらいの出来事なんですね。
つまりは草加を追って満州へ行った二人が、
記念パレードの日までの時間をどう過ごしたか。

もちろん、パレードの後も二人は色々ありますし、
その話もすごーく書きたいんですけども。
やはり邪魔者もいなくて(笑)、二人が気楽に過ごせたのは、
この一週間だけだろうと思うので。
つかの間の蜜月をじっくりと楽しませてやりたいなぁ。

2005.02.25

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