魔人學園

「平行世界編」

 


第三十章 記憶(前編)


「……はい。お話しします。何もかも、全てを」
 比良坂はそう言うと、龍麻と彼女に起こった驚くべきことを話し始めた。

 黄龍の器とは、大地を支える黄龍の力を得られる者であるが、それは同時に、その魂を捧げることでもある。そうすることで黄龍は眠りにつき、大地の力は安定を保つことが出来る。
 そうして次の番人が現れるまで、永劫に近い時間を奴隷のように繋ぎ止められて、生き続けなくてはならない。それが黄龍の器として生まれた者の運命なのだ、と。

「それを、ひーちゃんは受け容れたんだな?」
「ええ、そうです。あの人は、いつも自分のことよりも、他人を優先してしまう人ですから」
「そうだね、龍麻はそういう人だ。だからこそ……」
 如月は全てを言わなかったが、京一には気持ちが分かっていた。だからこそ龍麻を支えてやりたい。龍麻を幸せにしてやりたい。誰よりも。


 その想いは、どうやら目の前の少女も同じだったらしい。
「ええ、だから私も龍麻さんを救いたかった。私が騙して傷付けて哀しませてしまったあの人に報いるために。私の最期の力を使って、龍麻さんを現世に還してあげようと……」
 比良坂はきゅっと唇を噛みしめる。
「でも、ひーちゃんは、紗夜ちゃんも一緒に連れて来ちまったって訳か」

 京一の言葉に、比良坂は悲痛なまなざしでうなずいた。
「私は生きてここに居ます。そして私が死んだことを誰も知らない。まるで私がずっと存在していたかのように、皆の記憶までもが改ざんされている。いったいどれほどの大いなる力が働いたのか。私には想像も付きません」
「まさに奇跡と呼ぶしかないだろうね」
「奇跡なんて……、信じたこと無かったのに」
 比良坂は独白のようにつぶやく。


 すると、これまでずっと黙っていた御門が初めて口を挟んだ。
「にわかには信じがたい話ですね」
「てめえ、紗夜ちゃんの言うこと疑ってんのかよ」
「ええ、そうです」
 すかさず噛みついた京一にも、御門はさらりと応える。
「むしろ、貴方がたが簡単に信じてしまっていることの方が、私には不思議ですよ。特に蓬莱寺さん、貴方です」

「オレが何だってんだ」
「貴方は彼女が亡くなったと思っていたのでしょうが、それは貴方の勘違いではありませんか?
 彼女が死んで生き返ったなどという荒唐無稽な話よりは、ずっとその方が信じられます。つまり、最初から彼女は死んでいなかった、ということですよ」

 御門の話は筋が通っているようにも思える。
 現実的に考えれば、死んだと思っていた比良坂が生きていた、どうにかしてあの火事から逃れて生き延びて、こうして再会することが出来た、という方がずっと分かりやすい。
 それは京一にも分かる。そう言われると、そうなのかもしれないって気もしてしまうけれど。


「オレは、紗夜ちゃんを信じる」
 たとえ誰もが疑ったとしても。京一自身ですら、迷いが全くないとは言えないけれど、それでも。
 京一はきっぱりと答えた。
「確かに紗夜ちゃんは、ひーちゃんを騙したかもしれねぇ。でも、それを誰よりも後悔しているのは紗夜ちゃんだ。だから、もう二度とひーちゃんやオレたちに嘘を吐くことはないだろ。甘っちょろいかもしれねぇけどよ。オレは信じたいんだよ」

「はい、そのとおりです」
 比良坂は静かにうなずく。その様子を見る限りでは、彼女が嘘を吐いているようには、到底思えなかった。
「ですが、証拠は何一つありません」
 御門の言葉に、京一は冷たい目を向ける。

「ああ、そうだろうさ。紗夜ちゃんが生き返ったなんて話より、本当は死んでなかったっていう方が現実的ってヤツなんだろ。
 だがな、オレは……、オレだけはそれを認めねえ。認めたくねぇんだよ。じゃなきゃ、ひーちゃんがあんなに苦しんだのは、何だってんだ」
「龍麻が……?」
 如月が意外そうな声を出す。
 おそらく龍麻は如月にですら、自分の弱さを見せなかったのだろう。少なくとも京一に関すること以外では。


「ああ、そうだ。紗夜ちゃんが死んだのは自分のせいだって、ひーちゃんはずっと苦しんでた。夜中に叫びながら飛び起きることだってあった。何かに怯えて眠れないことだってあった。
 それでも必死に乗り越えていったんだ。ようやく立ち直ることが出来たんだ。それなのに、全部無意味だったって言うのかよ。ホントは生きてました、なんて信じられねえんだよ、オレは」

「貴方は受け容れたくないだけなのでしょう」
 京一の情熱に対して、御門はあくまでも冷静だ。だからこそ、さすがの京一でも認めざるを得なくなる。
「……そうかもしれねえな」
 龍麻の悩みや苦しみが、何もかも無駄だった……、なんてことを簡単に受け容れられるはずもない。真実がどうであれ、受け容れたくなんかなかった。

 それでも京一は、真っ直ぐに御門を見返す。
「でもな、オレにとってはそれが真実なんだ。実際にどうだったかなんて関係ねぇよ。目の前のことが全部ウソだって疑うくらいなら、何もかも受け容れて傷付いた方がずっとマシなんだ。信じるってのは、そういうことだろ」
 もしもここに龍麻がいれば、比良坂の言葉を全て信じるだろう。
 そういう龍麻だからこそ好きになった。護ってやりたいと思ったのだから、京一に『信じない』なんて選択肢は有り得なかった。


 けれど御門はそれには何も応えずに、ふところから扇を取り出して顔の前で広げる。
 京一の強い視線から逃れようとしたのか、あるいは自分の表情を見られまいとしたのか、分からなかった。
「……私にはそんな生き方は出来ません」
 かすかなつぶやきは、扇に遮られて、京一の元へは届かない。

「何か言ったか?」
「いいえ、独り言ですよ。それより、彼女の言葉を貴方は信じると言いましたが……」
「ああ、信じるさ」
 京一はもう揺るがなかった。

 すると御門は、ぱちりと音を立てて扇を閉じると、艶然とした笑みを浮かべる。
「私も、そう思いますよ」
「……ああ、そうかよ、だとしてもオレは……んあ?!」
 御門の言葉に、京一は唖然とするしかなかった。
「私も彼女を信じると言っているのです。人が嘘を吐いているかどうかくらい、私にはすぐに分かりますからね」

「それじゃ、なんでンなこと」
 ずっと比良坂を疑うようなことを言っていたのは、そもそも御門でないか。憤慨する京一に、御門はしれっと答える。
「彼女の言葉の全てが、彼女自身の妄想や思い込みである、という可能性もありましたので。人間というものは、自身の記憶ですら、自分に都合良く変えてしまう生き物ですからね。様子を見ていたのですよ」


「ああ、その通りだね。人は自分を護るためならば、自分自身をだますことすら出来るのだから……」
 如月は、ぽつりとつぶやく。
 かつて、京一が死んだと思った龍麻は、如月のことを京一だと思い込んでしまったことがあった。如月自身も龍麻に『京一』と呼ばれながらも、無償の愛情を捧げられることに喜びすら覚えていた。ずっとこのまま『京一』として生きても良いとすら思った。

 けれど、それはまぎれもなく如月にとっても、自分を偽り、自分をだます行為でしかなかった。龍麻も如月もウソで塗り固められた幻だけを追い掛けていた。
 だから、京一が無事に帰ってきて、全てが元に戻った時には、如月の手には何も残らなかった。
 龍麻の傷付いた心は京一が癒してくれただろうけれど、如月には誰も居なかった。自分の傷は自分で舐めるしかなかった。

 それでも如月は、あの日々を後悔などしていない。
 もしも同じ事がまた起こったとしても、きっと自分は『京一』になるだろうと確信していた。
 ただ……、ほんの少し心が軋むだけのことだ。


 如月が唇を噛みしめると、その細い肩に温かく大きな手が置かれる。すぐに誰だか分かったから振り向かず、言葉を掛けることもなかったが、払いのけることもしなかった。
「確かに人間ってのは厄介な生き物だよな。偽りや欺瞞で固めた鎧で護らなければ生きていけないこともある。いつしか自分が鎧を着ていることも忘れちまってな。
 だが、同時に何もかも脱ぎ捨てて、真実に立ち向かっていくことが出来るのも、また人間だ。きっと弱さを持ち合わせているからこそ、強くなれるんだろうよ」

 耳元で低く響く優しい声が、如月の心をそっと癒してゆくようだった。もしも二人きりだったら、如月は彼の胸に顔を埋めて泣いてしまっていたかもしれない。もちろん、そんなことはしなかったけれど。
 如月の肩を抱いたまま、村雨は比良坂に視線を向けた。
「それで……、だ。俺の見る限り、あの嬢ちゃんは鎧を着ているようには見えない。むしろ小さな身体で必死に戦っているかのようだ。だから彼女の言葉は真実だと、俺は思うぜ。賭けても良い」

「ああ、僕も同じ意見だ。彼女は信じるに足る人だと思う」
 如月もまた力強くうなずいた。
「それでは皆、彼女を信じるということですね」
 御門の言葉で、比良坂の顔に初めて安堵の色が見えた。
「それなら最初からそう言えば良いのによ。回りくどいったらありゃしねえ」
「誰もが貴方のように単純馬鹿なお人好しではないのですよ」
「バカで悪かったな!」
「おや、褒めたつもりなのですが」
「どこだがよ」


 御門と京一のやり取りに圧倒されていた様子の比良坂だったが、ほんの少しだけ唇をほころばせて、笑みを浮かべる。そして、それを見逃す京一ではない。
「お、紗夜ちゃん、やっぱり笑った方がイイぜ。いつでもそうやってたら、きっとみんな見惚れちまうよ、可愛くてさ」
「え……、そんな……」
 屈託のない京一の態度に、比良坂は戸惑っているようだった。こんな風に素直でまっすぐな好意を向けられた経験が、あまり無いのかもしれなかった。

「蓬莱寺さん、むやみに女性を口説くのではありませんよ。貴方にはそんな自覚はないのでしょうけれどね」
「そいつは天然タラシだからな。一番タチが悪いぜ」
「まさしく、そうだな。本能でやっているから始末に負えない」
 皆から一斉に責め立てられ、京一はふてくされる。
「なんだってんだ。オレは思ったことを言っただけなのによ」

「その考え無しの発言が宜しくないと言っているのですよ。それはともかく、いつまでもこうして貴方と遊んでいる場合ではありません。龍麻さんの話に戻りましょう」
 御門の言葉で、皆がそっと視線を龍麻へと向ける。
 あどけない顔で眠っているその姿は、これまでと何も変わっていないかのようだけれど。


「……私のせいです。私を蘇らせなければ、龍麻さんがここまで空っぽになることはなかったでしょう……」
 比良坂は悄然とうつむいた。
「誰も紗夜ちゃんを責めちゃいねえよ。ひーちゃんがそれを望んだんだからな。それに、もしもひーちゃんが目の前の紗夜ちゃんを見捨てるようなヤツだったら、オレは好きになんかならなかったぜ、きっと」
「……ありがとう……、ございます」
 京一の言葉に、ほんの少し慰められたようではあったが、比良坂の表情が晴れることはなかった。

「何にせよ、龍麻さんは黄龍の器としての使命を全うしたということですか。大きなものを背負っている者はとても強いですけれど、それ故に孤高でもありますね」
 御門が彼にしては珍しいほどの感情を露わにして、龍麻を見つめる。そのまなざしは別の誰かを透かし見ているかのようでもあった。

「……ああ、そうだな。強いからこそ、何もかも自分で背負って、たった一人で全てを解決しちまうんだろうな」
 村雨が御門の言葉に同意する。彼らの脳裏に浮かんでいるのは、いったい誰の面影か、京一には分からなかったけれど、その言葉には全面的に賛成だった。


「だよな。ひーちゃんも少しはオレに甘えてくれりゃ良いのに。相談ひとつもしねぇんだからよ」
「龍麻は君を心配させたくなかったんだよ。大切に想うからこそ、言えないこともあるのだと、以前にも話したと思うけれどね」
「それが水くさいっての。何も聞かされずに心配するより、事情を知っていて心配する方が、オレはずっと楽なんだ。それをひーちゃんも、てめえも分からねぇんだよな、いつまで経ってもよ」

 京一の言葉は本心だ。
 龍麻も如月もどこか秘密主義というか、重要なことほど自分の内に秘めてしまう性質がある。そうやって何かを抱えているのが分かるからこそ、京一は心配をするのだ。
 彼らは京一には悟られていないと思っているのかもしれないけれど。
 京一は何も知らずに能天気に笑っていて欲しい、なんて思っているのだとしても、そこまでバカでも鈍くもないのである。いつまでも無邪気なふりは出来なかった。

「すまない、京一くん。僕は君を誤解していたようだな……」
 如月はうなだれるが、京一とて如月を責めたかった訳ではない。
「まぁ、分かればイイって。それにお前には、オレの他に甘える相手も居るみたいだしな。でも、ひーちゃんは……」
 その言葉に、如月が何やら反論していたが、京一はほとんど聞いてはいなかった。


 京一は眠っている龍麻を見つめる。
 誰よりも愛しくて可愛い龍麻。その艶やかな黒髪に指を絡め、白く滑らかな頬に口付けたい欲望を、京一はぐっと堪えた。
「何もかも、一人で全部やっちまうんだからな……」
 黄龍に自分が乗っ取られてしまいそうだと、ひどく怯えていたというのに。その時がやってきたら、簡単に全てを黄龍に捧げてしまうなんて。

 どれほど泣いても、迷い悩んでも、どんなにか弱そうに見えても、いざとなれば、誰よりも強くなれるのが、龍麻なのだ。
 だから京一は、どうして良いか分からなくなる。
 龍麻を護ってやりたい、支えてやりたい、傍に居てやりたいと思うのに、その全てが無意味かもしれないのであれば。

 京一の心から、ぽつりと弱音がこぼれた。
「……オレは、ひーちゃんに必要無ェのかな……」
「そうかもしれませんね」
 さらり、と御門が同意する。
「何だと……っ」
「私に怒ってどうするのです。貴方が言ったのですよ。事実、龍麻さんは貴方が護ってあげなくてはならないような、か弱いお姫様ではありません」


 これでは背中の剣が泣きますね、と御門は意味ありげに笑う。
 ……見透かされている、と京一は思った。
 京一の内側には、強くなりたい、という渇望がある。それはどんな欲望にも願望にも比べ物にならないほどの欲求だ。本能に近い。
 だが、だからこそ意味が欲しかった。自分が強くなるための目的、自分が剣を振るうための意味が。

 そこに、龍麻が現れた。
 京一は運命だと思った。龍麻こそが自分の剣を捧げる相手だと。
 大切な人を護るために強くなる、というのは京一にとって、とても分かりやすい目標だったから。
 けれど本当は、龍麻にそんなものは必要無いのだとすれば……?

 ただ闇雲に剣を振り回すだけなら、獣と同じだ。いや、獣とて誰彼構わずに牙を剥いたり、爪を立てたりはすまい。つまりは獣以下ということか。
 それは京一にとって、何よりも認めたくないことだった。
 これまでに積み上げてきた努力や研鑽も無駄になってしまう。
 ひたすらに『強くなること』を目標として突き進んできた己自身の全てが無意味だ、なんてことを簡単に受け容れられるはずもない。


「オレは、どうすりゃイイんだよ、ひーちゃん……」
 どれほど問い掛けても、龍麻は応えない。眠っているというだけではなく。
 今の龍麻は何も持っていないから。
 以前の龍麻ならば、京一が満足する答えをくれたのかもしれないけれど。

 それならば、この目の前に居る『龍麻』は、自分にとって必要な存在なのだろうか。他に剣を捧げるべき相手が居るのではないだろうか。
 龍麻を愛していた自分も、龍麻を護ってやりたいと思った自分も、何もかもが不確かになる。足元が崩れ落ちて、立っていられなくなりそうだ。

「……ひーちゃん……っ」
 苦しげにつぶやいた京一は、とうとうその場にくずおれてしまうのだった……。

            


 


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2012/06/10