「続・如月の受難」  ―あまねさまへ


 



ひとり家に残った如月は、ようやく落ち着いて座り込む。
せっかくの休日なのに、
自分はいったい何をしているのだろう?と首をかしげたくなった。
それでもお茶をゆっくりと飲んでいると、
だんだんと気持ちも落ち着いてくる。
きっと二人は、小一時間は戻ってこないだろう。

献立を考え、材料を探すだけでも時間が掛かるだろうし、
ましてやここは地元ではない。
慣れない町での買い物というのは、
意外と手間取ってしまうものなのだ。
いったいどんな料理を食べさせられるか心配ではあったが、
平穏な時間が、ほんの少しでも与えられたことに
感謝をしたい如月だ。
それでも…。

「ああ、そうだ。
 ご飯を炊いておいた方が良いかな。それから…」
いま座ったばかりだが、
また慌てて立ち上がり、お米を研ぎ始める。
二人が使いやすいように台所を片付け、
鍋やフライパンを目に付く所に並べたり、
調味料が揃っているかどうかを確認したり。
これならば、最初から自分で作った方がずっと早いだろうに、
そこが出来ないのが苦労性の如月らしい。

程なくして、二人が両手に荷物を抱えて戻ってきたのも、
にこやかに迎えてやった。
「何を作ってくれるのか、楽しみにしているよ」
そんな言葉をかけられては、
二人もやる気が出ないはずがなく。
さっそく気合い十分で、台所に向かうのだった…。

時折ケンカも交えながら、
それでも仲が良さそうに料理を作る二人の姿を、
如月は居間でお茶を飲みながら眺める。
鍋のお湯が煮え立つ音や、包丁が材料を刻む音。
こうした音はどうして心を穏やかにしてくれるのだろう。


そういえば…。と如月は思い返す。

自分以外の誰かが台所に立っているのを、
最後に見たのはいつだったろうか。
もう物心ついたときから母は亡く、
父は母の死後から家を飛び出して行方知れずになり、
ただ一人面倒を見てくれていた祖父も、
『忍び』としての修行はつけてくれたものの、
幼い子供の食事に気を配ってくれるような人間ではなかった。

そんな環境だったから、
如月は自分で出来ることは自分でやるしかなくなった。
料理も見よう見まねで覚えていき、
すでに小学生のうちに家事全般をこなすようになっていた。
骨董品屋を継ぐことを考えたことはなかったものの、
祖父が店番をしている時は必ずそばにいて
骨董品のことを学ぶようにもしていた。
そうしている間に、本物を見る目も養われていったのだろう。
如月は骨董品についても、
祖父が驚くほどに造詣が深くなっていた。

しかし、今にして思えば、
それが間違いだったのかもしれない、とも思う。
本当は祖父に認めてもらいたかっただけ、
祖父に誉めてもらいたかっただけなのに。
いつしか如月は、祖父がいなくても
生きていけるようになってしまっていた。

それを如月が自覚した中学生の頃。
祖父は彼に店を譲ると言い残して、
どこかへ消えてしまった。
そして父といえば、
半年に一度くらいの割合でふらりと戻ってきては、
どこからか手に入れた骨董品を置いていく。
それがどのような経緯で手にしたものであろうとも、
如月は生きていく為にその骨董品を売って、
日々の糧にするしかなかった。

幸い、祖父の代から贔屓にしてくれているお得意さんもあり、
これまでも何とかやってきている。
一人で生きているのが当たり前で、
それをつらいと思ったこともない。
その筈だった自分が、
寂しいと思うようになったのは、いつからだろう…?

だからこそ、護るべき存在である主の龍麻に、
あれほどまでに執着をしてしまうのだろうし、
彼によって救われた部分も少なくはない。
きっと龍麻に出会っていなければ、
自分が孤独であるということすら、
気付きはしなかっただろうから。

そして同時に出会えた大切な仲間たち。
龍麻を初め、肉親の縁が薄い者たちが多い中で、
雨紋や黒崎はごく普通の家庭に育った、
真っ直ぐな明るさを持っていた。

雨紋は見た目は派手であっても、
真剣に音楽に取り組んでいるし、
ライブに家族がこっそりと足を運んでいることもあるらしい。
黒崎は実家のスポーツ洋品店に愛着を持っており、
進んで店番をやるのはもちろんのこと、
意味もなくサッカーの試合中に『黒崎商店』の名を叫んでは、
地道な宣伝活動もしている。

彼らのそんな姿は、如月の目にはとても眩しく映った。
いまも、楽しそうに料理を作っているが、
きっと『おふくろの味』を食べさせてくれることだろう。
如月は彼らを通して、自分の持ち得なかった
『家庭』を感じたいのかもしれなかった。
彼らの向こうに見える家族のぬくもりや優しさ、
そんなものを自分にも分けて欲しいから、
彼らがこうしてやって来るのを拒めないのかもしれなかった…。


「さあ、出来ましたよ、如月さん!」
「ありがとう、黒崎」
さて、黒崎の家庭の味はいったいどんなものだろう?
と期待した如月の目に映ったものは、
どうみても単なる『牛丼』だった。
まさか買って来た訳ではないだろうから、
これが黒崎家の味なのかもしれない、と
気を取り直して箸をつけることにする。

「…ど、どうですか?如月さんッ」
意気込んで尋ねる黒崎に、
如月は思わず正直に言ってしまった。
「ああ、うん。普通に美味しいよ」
それ以外に言いようがないくらいに、
本当に何の変哲もないごく『普通』の味だったのだ。

もっととんでもないものが出てくるのではないかと
恐れていただけに、ちょっと拍子抜けかもしれない。
可もなく不可もなく、誰もが普通に美味しいと思う味。
素朴な家庭の味というのともちょっと違うようだが、
それでいてどこかで食べたことのあるような味だった。

「ありがとうございます!
 これ吉○家の牛丼の味なんですよ!」
「あのチェーン店の?」
「はい!毎日部活の帰りに食べていて
 味を覚えちゃったんです。
 それで、この前合宿でみんなに作ってやったら大好評で。
 味もそっくりだって誉めてもらったんです」

黒崎は嬉しそうにはしゃいでいるが、
如月は少なからずがっかりした。
吉○家の牛丼の味が食べたいのならば、
そこで買ってくれば良いのだから。
もうちょっとオリジナリティを出せなかったのか?
『練馬スピリッツ丼』でも何でもいいから、
工夫が欲しかったなぁ…。

心の中でつぶやいていると、
牛丼の隣にあるものにようやく目が行った。
「これはお味噌汁だね。君が作ったのかい?」
「はい。牛丼には味噌汁はつきものですからね」
黒崎の答えに、やはりこの味噌汁も
某店の味なのだろうかと如月は不安になる。
それでも口をつけてみると、
出汁が良く出ていて美味しかった。

「うん、いい香りだ。美味しいよ」
「やった!オレ、味噌汁はたまに家で作るんですよ。
 だから自信あったんだー」
「じゃあ、これは黒崎家の味なのかな?」
「はい。うちは味噌汁に三つ葉が入るんです。
 オレはそれが好きなんですよね」
「三つ葉ね、なるほど。
 だから香りが爽やかなんだ。参考になったよ」
「えへへ、そうですか?嬉しいです」

二人がほのぼのムードをかもし出しているのが
気に入らなかったのだろう。
いきなり雨紋が割り込んできた。
「如月サン、こっちも食べてくださいよッ」
「ああ、分かったよ、雨紋」
今度は雨紋家の味だな、
と如月が目にしたものはどう見ても…。
「…パスタだね」

如月は落胆した心を必死に隠した。
いや、パスタが悪い訳じゃないんだ。
パスタが家庭の味だという家もあるだろう。
それでも僕の食べたかったものとは違うんだ〜。

如月の心の叫びはもちろん雨紋に通じるはずもなく。
「ささ、食べてください」
と、フォークを手に持たされては食べない訳にもいかない。
色鮮やかなトマトの赤に、バジルの緑が散っている。
これはこれで十分美味しそうではあった。
「ありがとう、雨紋。それじゃ、いただくよ」

そう言うと如月は優雅にフォークに麺を巻きつけて口に運ぶ。
そしてその直後、むせて吐き出しそうになってしまう。
必死に口に入れたものは飲み込んだものの、
慌てて傍らの水を手にした。
冷たい水で喉を潤すと、ようやく落ち着いてくる。
「な…、これ。すごく辛いじゃないか」
「その刺激がイイんスよ。
 唐辛子がピリッとするのが」
「…唐辛子」

雨紋の言葉に茫然として、如月は皿の中を見つめる。
すると確かにトマトスープの中に混じって、
唐辛子が浮いていた。
「辛い訳だな、これじゃ」
「辛いの苦手だったスか?如月サン…」
にわかに心配そうになる雨紋に、
如月は微笑みを返してみせる。

「いや、そんなことはないよ。割と好きな方だ。
 ただ辛いとは思わなかったから、驚いただけでね。
 じゃあ、もう少し頂こうかな」
捨てられた仔犬のような目で雨紋に見つめられ、
情にほだされた如月は、またパスタを口に運んだ。
そして、今度は深くうなずく。
「ああ、意外と思ったほどは辛くはないね。
 それに辛いだけではなくて、
 味に深みがあるから、後味も良いな。
 美味しいよ、雨紋」
「やったぜッ!」

嬉しそうにガッツポーズを決めると、
雨紋は自分で作った料理を自分でも食べ始める。
すでに黒崎は牛丼を半分以上も平らげてしまっていた。
如月も、それほど無茶なものが出てこなかったことに安心し、
二人の料理にかわるがわる箸をのばした。
あまりどちらかに片寄っても、文句を言われそうなので、
ちょうど同じくらいの量が減るように調整をする気配りだ。
しかし、如月を挟んで両脇の二人は、
あくまでも自分が作ったものだけを頬張っている。

そこで如月は、いたずらっぽく笑うと、
二人の料理を取り上げて、それぞれの皿を交換してやった。
「あっ!?」「何スか?」
「せっかくだから、相手の作った物も食べたらどうだい?
 美味しいよ」
しばらく二人は不審そうに目の前の料理を見つめていたが、
やがて観念したのか、恐る恐る箸をのばす。
そして同時にうなずいた。
「…美味いな」「…イケる」

どことなく悔しそうに呟く二人に、如月は満足げに微笑む。
「よし。それじゃ、この勝負は引き分けにしよう」
「ええ〜!?」「そんなのないっスよ」
如月の言葉に、途端に不満をあらわにする二人だったが、
如月はあくまでもやわらかな笑みをたたえるだけだ。
「どちらも美味しかったからね。
 優劣はつけられないよ。
 それに、僕のために作ってくれた気持ちが嬉しかったし。
 君たちにだって、勝ち負けよりも大切なものがあるだろう?
 それを忘れないで欲しいな」

「如月さん、それが『忍者』の心得ですか?」
黒崎は不満そうな顔をしながらも、そっと尋ねる。
「う…ん、まぁ、そうとも言えるかもしれないが。
 どちらかと言うと、これは忍者というよりは人としての…、
 聞いていないようだね」

如月のありがたい言葉も、黒崎は耳に入っていないらしく、
握りこぶしで力説を始めた。
「分かったぞ!人の気持ちを思いやるのが
 忍者ってことなんだな!」
「そうか!さすがは如月サンっスねッ!」
雨紋もつられて盛り上がってしまう。

また一人取り残された形の如月は、
どこか違う気がする…、と思いつつも、
何も言い返せはしないのだった…。


「それじゃ、如月さん。今日はありがとうございました!」
「如月サン、また来るっスよ!」
「ああ、二人とも、気をつけて帰るんだよ」
「はい!」
最初から最後まで、如月に迷惑をかけ倒した二人は、
それでも満足そうに並んで帰っていく。
そんな仲良さそうな二人の背中に向けて、如月はそっと呟いた。

…君たちは僕を羨ましいと思っているのだろうね。
僕は君たちの持っていないものを、
たくさん持っているように見えるのだろうね。
でも、君たちも僕が手に入れられないものを
持っているんだよ。
僕が憧れてやまないものを…。

色々なことがあって、
せっかくの休日が半日以上つぶれてしまったけれど、
如月は心が温かくなるような気がしていた。
こんな日もたまには悪くない、と思いながら、
台所を目にして絶句する。

黒崎は勢いのあまりに菜箸を折り、
おたまの柄も曲げてしまっていた。
雨紋は鍋を焦げ付かせ、
如月の気に入りの皿にヒビを入れていた。
もちろん洗い物も山のように積まれている。

「…やっぱり出入り禁止にしてやる」
先刻の穏やかな気持ちもどこへやら。
きっぱりと心に決める如月なのだった…。



           おわり

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ここまで読んで下さってありがとうございます。m(_ _)m
タイトルは「続」と付いていますが、関連はありません。

こちらは「片隅の王国」のあまねさんに、
サイトの一周年記念に差し上げたものです。
お題は『雷&黒が如月骨董品店におしかけバイト』でした。
でも如月がこいつらを店で働かせるのは、
どうしても嫌だと言い張るので(苦笑)、
誰にでも出来そうな草むしりと掃除、
それから、愛情のこもった手料理(笑)となりました。

最初は料理は如月にやらせて、
二人は買い物に行くだけ、というつもりだったのですが、
ふと考えてみると、如月って他の人の手料理を
食べことがあるのかな、と思ってしまったのです。
ましてや、自分の家の台所に他の人が立つなんてね。
まず有り得ないんじゃないかな、と思いまして、
せっかくだから、作っておやりなさーい、と(笑)。

雷&黒が料理が出来るかどうかはアヤシイですけども。
私自身が、毎日自分で料理を作っているせいか、
誰かに作ってもらえると、それだけで嬉しくなります。
気持ちがこもっていれば、なお嬉しいし、
美味しかったら、もっと嬉しいし。
如月も小さな幸せを感じたのではないでしょうか。
気苦労も多かったでしょうけどね。

二人が如月を好きで、慕っているのと同じくらい、
実は如月も二人を好きなんじゃないかなぁ。
でも雨紋と黒崎が本当に仲が良いかどうかは分かりません。
ケンカ友達ってところでしょうか。

ではでは。
これからもどうぞよろしくお願いします。



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