「続・如月の受難」  ―あまねさまへ


 



如月翡翠の朝は早い。

たとえ休日であろうとも、平日と同じ時間に起きて、
軽いジョギングを済ませた後に、ゆったりと朝食をとる。
もちろん献立はこだわりの和食だ。
学校のある日は、それから身支度を整えるのだが、
休日は食後のお茶をのんびりと飲むのが習慣になっている。
これもこだわりぬいた逸品の日本茶を淹れ、
香りと味を楽しんでいると、心が洗われるような気がした。

「さてと、今日は何を店に出そうかな」
そっと呟きながら、如月は蔵の中の所蔵品を思い浮かべる。
冬らしい季節感を持たせたものにしようか。
伊万里の雪輪文の絵皿などはどうだろう。
隣に九谷の紅椿文を置くのも良いな。色合いが美しい。
とすると掛け軸は…。

自分の店に誇りを持っている如月だけに、
考え始めると止まらなくなる。
そもそも普段の日は、学業との両立に加え、
放課後には茶道部に顔を出し、
その合間に龍麻からの呼び出しに応じて
旧校舎に潜ったりしているのだ。
いきおい店を開けていられるのは、休日だけになってしまう。
その分、気合いも入るというものだった。

さほど『営業』を考えない店ではあるが、
収入がなくては日々の生活も立ち行かなくなる。
学校の授業料すら払えなくなっては困るので、
一日中店を開けていられる休日は、
如月にとっては貴重な稼ぎ時だった。


しかし、その休日をおびやかすような騒音が
けたたましく鳴り響く。
ピンポーン。
玄関の呼び鈴だった。
仕方がなく立ち上がると、向こうでは待ちきれないのか、
せわしなくベルが鳴らされた。
ピンポンピンポンピンポンピンポピポピポ…。

「…五月蝿い…っ」
あまりの音に痛んでくる頭を押さえながら、
ようやく如月が玄関に出ると、
そこに立っていたのは、見覚えのある顔が二つ。
しかも、今日という穏やかな日には、決して見たくない顔だった。

「…や、やあ。雨紋に黒崎。いったいどうしたんだい?」
心の中では『何をしに来たんだ?こいつら』と思ってはいても、
営業スマイルを浮かべてにこやかに応える。
すると、その言葉が引き金になったように、
いきなり雨紋がものすごい勢いで話し始めた。

「あ、如月サン!折り入って聞きたいことがあるんスけど。
 やっぱりアレっスか?
 如月サンは、俺サマよりもこのヒーローかぶれの
 アホ野郎の方が好きなんスか?!
 ンなことないっスよね?
 真に如月サンに相応しいのは俺サマっスよね?」
「…いったい何の話だ…?」

茫然と立ち尽くす如月をよそに、
今度は隣の黒崎が口を開いた。
「如月さん!オレですよね?
 こんな金髪ロッカー野郎は、
 忍者にはふさわしくありませんよ!
 この黒崎、黒崎こそが、
 如月さんのお役に立ってみせます!
 漆黒の貴公子、コスモブラックにお任せくださいッ!!」
「…だから、何を任せるって?」

二人の勢いとノリには全くついていけない如月だ。
もう帰ってくれないだろうか、などと困惑していると、
同時に二人が声を荒げた。
「忍者の話ッスよ!」「忍者ですよ、忍者!」
「…そんなことは分かっているよ」

この二人が揃って自分の所にやってくるのだ。
『忍者』関係でない筈がない。
再三にわたって、
君たちの思っている『忍者』とは違う、と訂正してきたが、
それでも二人はどうしても納得してはくれなかった。
どうせまた忍者の修行をさせてくれ、だの、
忍者見習いになりたい、だの。

そんな話だろう、と如月には予想はついていたが、
やはり二人の答えはお約束どおりだった。
「こうなったら、どっちが忍者に相応しいか、
 如月さんに決めてもらおう!!」
「俺サマに決まってるだろッ。
 如月サンへの忠誠を見せてやるゼ!」

いや、そんなの見せてくれなくて良いよ。
如月は心の中でうんざりとつぶやくが、
口に出した言葉は自分でも笑ってしまうものだった。
「ああ、いいよ。君たちがそこまで言うのなら」
どうして僕はこんな心にも無いことを言ってしまうのだろう、
と如月が一人で落ち込んでいる目の前で、
雨紋と黒崎は無邪気に喜ぶのだった…。


「まずは何をしますか?如月さん」
「何でも言ってくれよ!如月サン」
目をキラキラと輝かせて、如月の指示を待つ彼らの姿は、
忠犬のようで可愛らしいと見えなくもなく、
『忍者好き』が高じた結果とはいえ、
こうして慕ってもらえるのはまんざらでもない。
五月蝿い、煩わしい、鬱陶しい、と思いながらも、
二人を冷たく拒むことが出来ないのは、
こんな思いがあるからだろう。
…単なるお人好しかもしれないが。

「そうだな…。とりあえず庭の草むしりでもしてもらおうか」
そのうちにやろうと思っていたので、ちょうど良い機会だ。
冬の時期はそれほど雑草が繁っている訳ではなかったが、
だからこそ気を抜いてしまいがちになり、
庭がうら寂しい印象になっていた。
軽い仕事をやらせて、二人をさっさと帰してしまおう、
という如月の企みだった。

「はい!」
同時に小気味良い返事をして、二人は庭へと駆け出していく。
並んだ後ろ姿は、どちらかというと仲が良さそうに見えた。
結局、自分はていのいいダシなのではないか?
と如月は苦笑を浮かべるのだった。

「じゃあ、頼んだよ」
そう言って、背を向けようとした如月に、
二人は追いすがるような目を向ける。
「え?!どこへ行っちゃうんですかッ」
「如月サン!待ってくださいよ!」
二人の勢いに戸惑いながらも、如月はにこやかに応える。
「僕は店の準備があるからね。色々と忙しいんだ」

「でも、如月さんが見ていてくれないと、
 どちらが頑張ったのか、分からないじゃないですか」
「そうっスよ。如月サンは俺サマたちの仕事ぶりを見て、
 どっちが忍者に相応しいか判断するンすよ」
「…そういう事だったのか?」
如月は茫然としてつぶやく。
それでは仕事を頼んだ意味がない。

とはいえ、すっかりやる気になっている二人に
水を差すようなことも出来ずに、
結局、二人が草をむしっている姿を
縁側でぼんやりと眺めることになってしまった如月だ。
…僕はいったいここで何をやっているんだ?
心の中でつぶやきながらも、
目では二人が変なことをしないかと、しっかり観察していた。

すると、ただの草むしりにも二人の性格の違いが現れて面白い。
黒崎はあくまでも丁寧に端から片付けている。
雨紋はとにかく目に付く大きな草を抜いてしまい、
その後で細かい作業に取り掛かる。
結果として、
黒崎が庭の片隅のほんの一角をきれいにする時間で、
雨紋が残りを全部片付けてしまった。

「どっちですか?!」
「俺サマッスよね?如月サン!」
二人に詰め寄られ、如月は頭を悩ませる。
抜いた草の量や抜いた広さは雨紋の方がずっと上だ。
しかしその分、雨紋の作業は雑で、
すぐにまた雑草が生えてきそうではある。
黒崎は仕事の範囲は狭かったものの、
仕上がりは立派なものだ。

「雨紋も頑張ってくれたけれど、
 黒崎の方が仕事が丁寧で僕は好きだな」
如月の答えに、黒崎は飛び上がって喜び、
雨紋に勝ち誇った笑みを向ける。
雨紋はそれを悔しそうに見つめていたが、すぐに立ち直った。
「分かりました。一回戦は黒崎の勝ちってことでイイッス」
「次もオレは負けないぞ!完全勝利を目指〜すッ!」
「何をー!次に勝つのは俺サマだッ!!」

盛り上がる二人を前に、如月は深いため息をつくのだった…。


「よし、分かったよ。それじゃ次は家の掃除をしてもらおう」
古さと広さが取り柄の如月家である。
如月一人では、残念ながら目が届かない部分も多かった。
使っていない部屋も多く、いつの間にか埃が溜まってしまう。
家の掃除をするのも、実は一苦労なのだった。

「分かりました!」
元気な声で二人は家の中に向かう。
きっとまた仕事ぶりを見ていないといけないのだろうな、
とうんざりしながら、如月もその後を追った。
すると、二人は部屋に入ったままで、ぼんやりとしている。
「どうしたんだい?」
「あ、如月さん」「掃除機はどこッスか?」

雨紋の問いに、如月は涼やかな笑みで応える。
「もちろん物入れに入っているけれど、
 出来ればほうきで掃いてもらいたいね。畳が痛むから」
「これッスか?」「そうそう」
「雑巾はこれですか?」「ああ。バケツもあるだろう?」
「まずは窓を開けて、ハタキもしっかりとかけるんだよ」
「はーい」「分かってるッス!」

そんなやり取りの末に、ようやく二人は仕事に取り掛かった。
その間に如月は先ほど二人が抜いた草を捨てたり、
勢い余って雨紋が踏み荒らした地面をならしたり、
黒崎が蹴り飛ばしてしまった庭石を戻したり。
あの二人に頼むよりは、自分でやった方が
ずっと早かったかもしれない、と思う。
その上、二人の作業状況も見なくてはならないのだから、
如月にとっては有難迷惑以外の何者でもない。
それでも二人の仕事ぶりをチェックせずにはいられない
如月なのだった。

草むしりで分かったように、二人の仕事ぶりは対照的だ。
黒崎は何をそんなに向きになっているのか、という必死さで、
窓の『さん』の掃除に取り組んでいる。
その間に、雨紋はあくまでも大まかにではあるが、
窓を拭き、ハタキをかけ、ほうきで掃き、
廊下の雑巾がけまでも済ませてしまった。

「今回は雨紋だね。
 黒崎はちょっと神経質すぎやしないか?
 そこまでする必要はないよ」
確かに黒崎のおかげで窓のさんは輝くばかりにチリ一つない。
しかし元々ほとんど使っていない部屋で、
普段は雨戸を閉めっぱなしにしていることが多かった。
せっかくキレイにしてもらっても、あまり意味がなさそうだ。
「始めたら止まらなくなっちゃって…。
 ちょっとでも汚れていると許せないんです!」
握りこぶしで力説する黒崎に、横から雨紋が茶々を入れる。

「でもこの前、お前の部屋に行ったら、
 汚れ放題だったじゃねェかよ?」
「もうオレの部屋はそういうものだから良いんだ。
 でも如月さんの部屋は特別なんだ。そうだろ?」
「まぁな。確かにそうだよなァ。
 俺サマだって、自分の部屋は
 あんなに一生懸命掃除しねェもんな」
「いや、お前の部屋は汚すぎる。もうちょっと掃除しろ」
「うるせぇ。悪かったなッ」

一見すると、ただケンカをしているようだったが、
実はお互いの部屋に行き来をしている仲だと分かり、
如月は苦笑をする。
どう見ても正反対の二人だが、同じ忍者好きだということで、
それなりに気も合うのだろう。

つまりは、ただ単に二人でうちに遊びに来たんだな?
そうなんだろう?!
そう言ってしまいたい気持ちを抑えると、
如月は穏やかに微笑んだ。
「これで勝負は引き分けだね。さあ、もう良いだろう?」
「何を言ってるんスか、如月サン。
 勝負は普通は3回と決まってるっスよ」
「そうです!次できちんと勝敗を着けてみせます!」
「…そうか…」
如月の受難はまだまだ続きそうだった…。


とはいえ、もうやってもらいたいことはない。
残っているとすれば店の掃除か、蔵の片づけくらいだったが、
どちらも貴重な骨董品を壊されそうで任せられない。
骨董は好きでも、高価なものを自宅に飾る趣味のない如月は、
部屋の中には壊されて困るようなものはなかったのだが。

さて、どうしようかと頭を悩ませる如月の耳に、
マヌケな音が聞こえてくる。
くうーきゅるきゅるきゅる。
雨紋と黒崎の腹の虫が鳴ったらしい。
二人共、どことなく恥ずかしそうな顔になっていた。

「ああ、もうそんな時間か。
 せっかくだから何か食べていくかい?
 …といっても、材料があったかな。
 三人分なんて用意出来るかどうか。
 ちょっと台所を見てこよう」
如月はそう言うと、冷蔵庫を開けて確かめる。
「やっぱりこれじゃ無理だな。買い物をしてこないと…」

その言葉が聞こえるやいなや、雨紋と黒崎が反応した。
「俺サマが買ってくるっスよ!」
「料理ならオレが作りますよ!」
そしてお互いの言葉に、顔を見合わせる。
「料理…?」「買い物…?」

意外そうに呟きながらも、
どちらも相手の言葉を吟味している様子だった。
しばらく沈黙が流れたが、
すぐにまた二人で声を揃えて言った。
「俺サマの手料理を味わってくれよ!」
「オレは買い物も得意ですよ!」

気が合っているのか、いないのか。
傍から見ていた如月は、思わず吹き出してしまった。
しかし、二人はなぜ自分たちが笑われているのか、
よく分からないらしい。
しきりに首をかしげて、不思議そうにしている。
そんな所もまた可笑しくて、如月の笑いを誘うのだった。

「それじゃ、せっかくだから手料理を頼もうかな」
「分かりました!」「美味いの作るッスよ!」
そう言うが早いか、買い物に飛び出していこうとする二人を、
如月は慌てて止める。
「ちょっと待ってくれ。
 これが三回戦目の勝負だからね。
 よく考えて買ってくるんだよ。
 それから予算は千円までとしよう。
 高価な食材を使えば
 美味しいものが出来るのは当たり前だから。
 予算をオーバーすれば、そこで負けにするからね」

勝負に焦るあまりに、トリュフだのキャビアだのフォアグラだの、
訳の分からない食材を買ってこられても困る。
千円あれば普通のメニューなら作れるだろうし、
それほど妙なものは買ってこられないだろう、
という如月の判断だ。

「はい!」
如月の意図が通じたのかどうか、
相変わらず二人は返事だけは良い。
「いってらっしゃい」
如月の言葉に、颯爽と飛び出していくのだった…。


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