『ふわふわパンケーキ』の続きです。
単独でも分かりますが、
そちらを読んでいただけると、
より楽しめると思います。


『 パンケーキおかわり 』



「うわあああ……っ」
 傍らで眠っていたはずの御剣の声で、成歩堂は驚いて飛び起きた。
「御剣?!」
 そちらに視線を向けながら、成歩堂はベッドが微かに揺れていることに気が付く。
「地震か。最近多いな……。大丈夫かい、御剣」

 御剣の身体をそっと抱き寄せながら、成歩堂が声を掛けるが、御剣はかすかに震えるばかりで何も答えない。
「落ち着いて。もう地震はおさまったよ。それに、ずっと僕がついているから安心して」
 御剣をなだめるように、つややかな髪をゆっくりと撫でてやる。

 すると御剣は、成歩堂の裸の胸に抱きつくようにして、小さくつぶやいた。
「……怖い」
「うん、そうだね。それは当然だよ。僕だって地震は怖いからね」
 成歩堂がそう言うと、御剣がおずおずと顔を上げる。
「成歩堂も怖い?」


 愛らしく小首をかしげて問いかける仕草は、どこか幼い子供のよう。
 成歩堂はこんな御剣を以前にも見たことがあった。
(……やっぱり地震が引き金になっているのかな)
 御剣が地震や暗闇、エレベーターを苦手とするのは、子供の頃のつらい記憶を呼び覚まされるからだろう。

 特に地震に対する恐怖心はかなり強いらしく、かつては気を失ってしまうことすらあったほどだ。
 最近はそこまでではない、と本人は言うけれど、こうして子供に戻ってしまうようなことが頻発するのであれば、決して安心は出来まい。

(むしろ状態は悪くなっているんじゃないか……?)
 成歩堂は不安を覚えるが、元に戻った後の御剣に『子供になるから病院に行け』などと言っても聞き入れてくれるとは思えない。
 ならば成歩堂が出来ることは、御剣の心の傷を癒してやることだけだ。


「御剣は地震が怖いんだね?」
 優しく頭を撫でながら、カウンセラーの如くに尋ねると、御剣はこくりとうなずく。
「すごく怖い。……でも」
「でも?」
「成歩堂が一緒に居てくれると、ちょっとだけ怖くない」

「そうか。それは良かった。じゃあ、今は?」
 成歩堂の問いに、御剣は考え込むような表情を浮かべたが、すぐにぱあっと明るく微笑んだ。
「怖くなくなった。成歩堂のおかげだ!」
「僕は何もしてないよ。でも、それなら良かった」
 天真爛漫な表情や明るい感情表現は、普段の御剣には見られないことだから、成歩堂は心のどこかで、この状態を喜んでいる部分もあった。

 感情を押し殺し、自分の内に何もかも溜め込んでしまう性質の御剣が、せめて子供の時だけでも素直になれるなら、それはそれで良いのではないか、と。
(それに、どちらの御剣も可愛いことには違いない)
 キラキラした純粋な瞳でこちらを見つめる御剣に、ちくりと罪悪感を刺激されながらも、成歩堂は優しく微笑む。


「それじゃ寝ようか。まだ起きる時間じゃないからね」
 もちろん『寝る』といっても特別な意味はない。そもそも子供状態の御剣に、そういったことをするつもりもなかった。
 すると御剣は小さく首を横に振る。
「ううん、もう眠くない」
「そう? まだ小一時間あるけど。まぁ、お前がそう言うなら良いか」

 成歩堂としては、もうちょっと寝かせてくれ、とお願いしたいくらいだったが、寝起きがあまり良くない御剣が起きる気分になっているなら、ここは従うべきだろう。
「じゃあ、起きようか。朝食はどうする? またパンケーキを焼いてあげようか?」

 けれど成歩堂の問いに、御剣は沈んだ表情を浮かべ、ぼそりとつぶやく。
「……いらない」
「どうして? 材料はあるから大丈夫だよ。それとも美味しくなかったかな?」
「違う。すごく美味しかった」
「だったら、どうしてかな。今朝はパンケーキの気分じゃないとか?」


 くすっと笑いながら、いたずらっぽく尋ねると、御剣は真剣なまなざしで答えた。
「成歩堂と一緒が良い」
「……ああ、そういうこと」
 成歩堂は思わず微笑む。
 御剣がパンケーキを美味しそうに食べながらも、成歩堂はトーストをかじっていたのを気にしていたのを思い出した。

 それが御剣の気配りなのか、ただ単に『一緒』が良いという子供っぽさなのか、成歩堂には判断がつかなかったが、こんな可愛いことを言われて、嬉しくないはずも無かった。
「ありがとう、御剣。それじゃ、今朝は時間があるから、僕も一緒にパンケーキを食べるよ。それで良いんだろう?」
「うん」
 御剣は嬉しそうにうなずく。やはり口では何と言おうとも、パンケーキを食べたかったのだろう。

「じゃあ服を着て、顔を洗っておいで」
「分かった」
 いつものように二人とも全裸ではあったのだが、御剣はもう疑問を抱かなくなったらしく、素直に落ちているパジャマを身に着けた。
 洗面所に向かう御剣の背中を見送りながら、今後もこんなことが続くなら、事が終わった後には、御剣に服を着せてやった方が良いかもしれない、と思う成歩堂なのだった……。



 成歩堂がカチャカチャと軽快な音を立てて、ボウルに入れた生地をかき混ぜていると、御剣が興味深そうな顔でキッチンにやってくる。
「あんまり近くに来ると危ないよ」
「パンケーキが出来るところを見たい」
 大人の御剣なら絶対に言いそうにない台詞だ。外見と言動のギャップに成歩堂は微笑みを浮かべる。

「だったら、せっかくだから一緒に作ろうか。ひっくり返してみるかい?」
 成歩堂の提案に、御剣は嬉しそうにするが、すぐに不安げに顔を曇らせた。
「……私に出来るだろうか」
 子供の頃は折鶴も折れないくらいに不器用だったし、大人になってからも御剣が料理をしているところなんて見たことが無い。
 成歩堂もにわかに不安になる。

 けれどパンケーキならば、ひっくり返すのに失敗しても、形が悪くなるくらいで、味にはそれほど影響がない。
「ま、大丈夫だよ。僕が手伝ってあげるからさ」
「ありがとう、成歩堂。それじゃ、やってみる」
「うん、一緒に頑張ろうね」
 何だかすっかり『お母さん』になった気分だ。


 それでも御剣にフライ返しを持たせて、悪戦苦闘しながらも、どうにかパンケーキをひっくり返せた時には、二人で歓声を上げてしまった。
「やったぁ!」
「うんうん、良かったね、御剣」
 恋人同士の朝というよりは、ほのぼのホームドラマといった光景だが、御剣が楽しそうにしているから、これで良いのだろう。
 それからも二人で仲良くパンケーキを何枚も焼いて、無事に朝食を迎えることが出来た。

「いただきまーす」
 御剣が嬉しそうにパンケーキを食べる姿を、成歩堂は微笑ましく見つめる。
「一緒に作ったから、この前よりも美味しいんじゃない?」
「これも美味しいけど、成歩堂が作ってくれたのも美味しかった」
「そう? ありがとう」

 自分もパンケーキを口に運びながら、成歩堂はふと疑問に思う。
 前回の時、元に戻った御剣は、子供の状態だった自分のことを覚えていなかった。
 けれど子供の御剣は、その時のことをしっかりと覚えているらしい。
(あ、これは……、ヤバイかも)
 成歩堂は思わず頭を抱えたくなった。


 前回、御剣のあまりの可愛さに、どうにも我慢できなくなり、つい彼に大人のキスをしてしまったのだが、それを子供の御剣が覚えているとなれば。
 何というか、とにかく罪悪感でいっぱいだ。
 けれど、御剣が元に戻ったきっかけも、おそらくそのキスだろう。
 子供には刺激が強すぎたので驚いて戻ったのか、王子様のキスで姫君が目覚めるような恋の奇跡が起こったのか、理由は定かではないが。

 何にせよ、御剣をいつまでもこのままにしておく訳にもいかない。
 罪悪感に耐えながらキスを決行するべきか。
 あるいは別の方法をどうにか模索してみるか。
 成歩堂が悩んでいる間に、パンケーキの皿は空になってしまった。
 御剣は相変わらず礼儀正しく『ごちそうさま』をしている。それはそれは微笑ましく、心温まる光景ではあるのだけれど。

(ううう……、どうしよう)
 成歩堂が苦悩していると、ふいに御剣がおずおずと口を開いた。
「その……、成歩堂」
「あ、うん。何かな?」
 ハッとして、そちらに目を向けた成歩堂だったが、対する御剣の答えはない。何かを言いたそうにしているものの、うまく言葉が出てこない様子だ。


「どうかした?」
 辛抱強く尋ねると、御剣はかすかに頬を染めて、ぼそりとつぶやく。
「…………しないのか?」
「えっと、何を……?」
 困惑する成歩堂に御剣は、蚊の鳴くような声で答えた。
「……キス」

「え……、あ……っ」
 成歩堂は慌てる。
 もしかしたら子供の御剣は、ごちそうさまの後にはキスをするものだと思い込んでしまったのかもしれない。ちゃんと食べたごほうび、とでも思ったのか。
 だとすれば前回の御剣が、成歩堂の情熱的なキスに全く抵抗しなかったのも納得できる。

(好都合か……? いや、でもなぁ……)
 成歩堂がためらっていると、目の前の御剣はそっと目を閉じた。準備はオッケーということだろう。
 少し顔を上げて、じっとキスを待ち受けている御剣の姿は、まるで名工の手による彫像のように端正で、どこか神々しく感じられるほどだった。

 もしかしたら結婚式の誓いのキスは、こんな雰囲気かもしれない。
 御剣と二人で白いタキシードを着て、教会で結婚式を挙げる光景を思い浮かべてしまった成歩堂は、頭を振って妄想を切り捨てた。
(ああ、もう。どうにでもなれ!)
 半ばヤケになりながら、成歩堂は御剣に口付ける。


 最初は触れる程度の軽いキスだったが、すぐにお互いに唇を開いて、熱っぽく舌を絡めた。ちゅくちゅくと濡れた音が、朝のリビングに淫靡に響いてゆく。
 と、ふいに御剣が成歩堂の服をぎゅっと掴んだ。
「……っふぁ……、ん……っ」
 吐息交じりの甘ったるい声が、御剣の形の良い唇から洩れる。

(あ……、やりすぎたか)
 慌てて成歩堂がキスを終えると、御剣がゆるりと目を開けた。
 離れてしまった成歩堂を惜しむかのように、御剣の濡れた唇からは赤い舌が覗いている。こちらを見つめる瞳はうっとりと潤んで、蕩けそうなまなざしが例えようもなく艶めかしかった。
 背筋がぞくりとするほどの色気を感じ、成歩堂は御剣から目を離せない。

 そこへ御剣が切ない声をこぼした。
「……成歩堂」
「ん、おはよう御剣。大丈夫かい?」
 キスで元に戻っただろうと思い、気楽に声を掛けたのだが、御剣は力が抜けたかのように全身を成歩堂に預け、夢見るようなまなざしでつぶやく。
「……成歩堂のキス、変になる……」
「ご、ごめん。もしかして、その……、戻ってない……のかな?」


「戻る?」
 きょとんとした顔で、御剣は愛らしく小首をかしげている。そのあどけない表情は、明らかにまだ子供のままだった。
「うわあ、どうしよう。僕、犯罪者になっちゃった?! いや、身体は大人だから問題ないのか……?」
 混乱して訳の分からない言葉を叫ぶ成歩堂を、御剣は楽しげに見つめるばかりだ。

 くすくすと笑う御剣の声で、成歩堂はようやく我に返る。
「僕が取り乱してどうする。えっと、ごめんね、御剣。ちょっとやりすぎちゃったけど、ああいうキスはもう少し大人になったら、またしようね」
「分かった。成歩堂、約束だぞ」
「うん、約束だね。指切りしようか」
 小指と小指を絡めて、成歩堂と御剣は指切りをする。

 大の男がいったい何をやっているのかと、客観的に見れば不気味にすら思えたかもしれないが、もちろん二人とも本気だ。
 指切った、と言って手を離した後も、御剣は嬉しそうな、どこか恥ずかしそうな表情を浮かべて、じっと自分の小指を見つめている。


 その光景を目にした成歩堂は、胸の奥から込み上げてくるものを感じ、思わず大声で宣誓していた。
「幸せにするよ、御剣。僕はお前を絶対に泣かせたりしないから」

 父を亡くした後の御剣は、おそらく幸福な子供時代ではなかっただろう。
 だからこそ、それを今になって埋め合わせようとしているのならば、成歩堂は少しでも御剣に楽しい思い出を作ってやりたかった。
 御剣の悲しい記憶が上書きされて、メープルシロップたっぷりの甘いパンケーキだけになれば良いと思った。
 つらい夢など見ることもなく、穏やかで幸福な眠りを与えてあげたかった。

 すると御剣は、ふわり、と微笑むと、全てを見通したかのような穏やかなまなざしで、そっとささやく。
「ありがとう……、成歩堂」
「……御剣?」
 その表情はどう見ても子供のものとは思えなかった。
 成歩堂が戸惑っていると、御剣はまるで電池が切れたかのように、がくりと首を落とす。


 そして次に顔を上げた時には、すでにいつもの御剣だった。
「私の顔に何かついているのか、成歩堂」
「え……? いや、別に」
「ならば、そんな目でじっと見るな。居心地が悪い」
 御剣は視線を逸らすが、頬がほのかに赤く染まっている。肌が透けるように白いせいで、その変化は成歩堂の目にも明らかだった。

「ごめんごめん。今朝のお前も相変わらずきれいだと思ってね」
「な……っ、君はすぐにそういうことを」
 耳まで赤くなって、あたふたとしている御剣の姿は、子供の時のように素直で可愛らしかった。
(そういえば……、ついさっき約束したんだったな)
 成歩堂は指切りをしたのを思い出し、いたずらっぽく笑う。

「ところで御剣、朝の挨拶をしても良いかな。大人のお前に相応しいヤツをね」
「……大人の?」
 困惑した様子の御剣には構わず、成歩堂は彼に口付ける。
 すると御剣も、すぐに両腕を成歩堂の背中に回し、情熱的な仕草でキスに応じてくれた。
 そして二人は朝の挨拶にしては長すぎるキスを、いつまでも続けるのだった……。


           おわり

 
読んで下さってありがとうございます。

前回の子供御剣さんがあまりにも可愛くて、
つい続きを書いてしまいました。
もしも、そちらを読んでいない方は、
ぜひご一緒にどうぞ。ほのぼの可愛いですよ(笑)。

シリーズ化するつもりではないのですが、
でもまたこのネタで書くことがあるかもしれないので、
ちょっと設定を膨らませてあります。
子供の時の記憶は引き継ぐとか、その辺ですね。

でもまぁ、それは書いている私が気にしているだけなので、
読んでいる方は、のんびり楽しんで頂ければ良いかと。
パンケーキと紅茶をお供にね。

2014.05.31

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