『 邂逅……、そして 』

(1)



 御剣が待ち合わせ場所に赴くと、既にそこには成歩堂が立っていた。そして明るい笑顔を浮かべて右手を上げる。
「やあ、御剣。呼び出して悪かったね」
 成歩堂は気安い口調で話しかけてくるが、御剣は何も答えることが出来なかった。

 眉間にヒビを深く刻み、険しい表情を崩さない御剣に、成歩堂は苦笑する。
「まぁいいや。せっかくだから、落ち着ける場所に行こうか。食事は済んだかい?」
「いや……」
「そうか、良かった。個室を予約してあるんだ。大した店じゃないけど、料理は割とイケるんだよ」

 御剣は大人しくうなずく。今更、嫌だなどと言うことは出来ない。ならば、最初から待ち合わせに来なければ良いだけのことだから。
 成歩堂に案内されたのは、雑居ビルのワンフロアを占める居酒屋だった。それでも店構えは落ち着いた雰囲気で高級感もある。若者が集まるような庶民的な場所ではなさそうだ。


 店員が飲み物の注文を取り、ドアを閉めて行ってしまうと、本当に二人きりの空間になる。御剣は途端に居心地が悪くなった。
 成歩堂はそんな雰囲気を気にも留めずに、熱心にメニューに目を走らせている。
「御剣、何食べる? 君の好きなものなんて全然知らないからなぁ。もしも特に無いなら、僕がテキトーに頼んじゃうけど?」

 御剣はただうなずく。空腹ではあったが、今は何も喉に通りそうになかった。
「それじゃ……、これと、これと……」
 成歩堂が手慣れた様子で注文をしていくのを、御剣はぼんやりと見つめる。
 彼には助手がいたようだが、ここは未成年の女の子と来るような店ではないだろう。

 もしかしたら先輩の女性弁護士と一緒に来たのかもしれない。その光景は容易に想像が出来た。御剣は彼女には良い印象が無いけれど。
 ふいに御剣の胸がちくりと痛む。
 自分が何を気にしているのか分からない。成歩堂がどこで誰と何をしようと、何の関わりもないことなのに。


 一人うつむく御剣に、成歩堂がそっと声を掛けてくる。
「ねえ、御剣。こっちを向いてくれない? それじゃ話も出来ないよ」
 仕方がなく御剣が顔を上げると、彼はやはり困ったように微笑んでいた。
「もしかして、いや……もしかしなくても迷惑だったかな。呼び出しに応じてくれたから、ちょっと期待しちゃったんだけど、僕の勘違いだったみたいだね、ごめん」
「成歩堂……」

「無理しなくて良いよ。ただ僕は、君との再会を喜びたかっただけなんだ。僕がどれほど君に会いたいと思っていたか、分からないだろうね。何年も何年も、そもそも僕が弁護士になったのだって……」
「ム……?」
 成歩堂の言葉は、料理を運んできた店員によって遮られてしまう。

「とりあえず食べようよ。料理に罪はないからね」
 そう言いながら、成歩堂は手早く御剣に料理を取り分けてくれた。
 先刻の成歩堂の台詞が気になってはいたものの、話を蒸し返すことも出来ずに、御剣はゆるゆると箸を口に運ぶ。
 料理の味はまるで感じられなかったけれど。


「そういえば矢張に会った話はしたっけ? あいつも相変わらずでさ……」
 それからの成歩堂は楽しそうに話を続け、御剣はひたすら相槌を打つだけだった。
 彼に会えて嬉しい、懐かしいという感情よりも、自分の中でくすぶるわだかまりの方が気になって、話に集中出来ない。
 ただ自分の心が狭いだけだと分かっていても。

 結果として、食事もおざなり、話も上の空になってしまった御剣に、成歩堂は不満もあっただろうが、それを表に出すことはなかった。
 彼は終始、楽しそうに振舞っていたので、傍から見れば、ごく普通の仲の良い友人同士に思われただろう。心の中を見透かすことなど誰にも出来ないのだから。

「今日は僕が払うよ。誘ったのはこちらだからね」
 成歩堂の言葉に、御剣はまたも素直に従う。
 収入を考えれば、御剣が支払った方が良いのかもしれないが、イイ大人が二人して会計でもめるのもみっともないだろう。



 店を出ると、すっかり夜も更けたせいか、周囲に人影はほとんど無くなっていた。道行く人は速足で帰りを急ぎ、どこか遠くでは酔っ払いらしき笑い声が聞こえる程度だ。
「君は車じゃないんだろう?」
 成歩堂の言葉に御剣はうなずく。

「僕もタクシーで帰るからさ。駅に着くまでの間、もう少し歩かないかい? 結局、大した話も出来なかった気がするしね」
「私は……」
 そう言われても、御剣にはもう話すことなど何もない。今もなお、居心地の悪さは消えてくれなかったから、いい加減に解放して欲しかった。

 けれど成歩堂は、そんな御剣の思いも見透かしたように、真摯なまなざしで訴えかけてくる。
「ほんの少しだけだから、お願いだよ」
「………分かった」
 御剣は仕方がなく成歩堂の後についてゆく。この辺りはあまり土地勘もなく、彼がどこに行こうとしているのか分からなかった。
 だから、全く人気のない夜の公園に辿り着いた時にも、成歩堂に言われるがままに、ベンチに腰を下ろすだけだった。


「よ……、と」
 成歩堂がこぶし一つ空いた隣に座る。
 御剣にしてみれば、かなり近い距離だったが、ひっそりと話をするにはこのくらいが適当なのだろうと、彼の第一声で分かった。
「今日は君に会えて嬉しかったよ。来てくれてありがとう、御剣」
 成歩堂の低くささやくような声は、夜の闇に溶け込むように、どこか甘く響く。

「本当は誘っても断られるかもしれないと覚悟していたんだ。もうすでに君にとっての僕は、どうでもいい存在になってしまっているんじゃないかってね」
「……そんなことは」
「そう? それなら良いけど」
 そう言うと、成歩堂はいかにも嬉しそうに微笑んだ。彼が本心からそう思っていることが、伝わってくる。

 やわらかなまなざしは包み込むように優しく、彼から与えられる真っ直ぐすぎる好意に、御剣は戸惑わずにはいられない。
 それを知ってか知らずか、成歩堂は言葉を紡ぎ続ける。
「いつか君と法廷で出会えることは想像していたけれど、まさかこんなに早く実現するとは思わなかった。弁護士になって良かった、と心から思えるよ。やっぱり僕の決断は間違っていなかったね」
「…………」


 御剣は何も答えられない。
 弁護士になりたいと思っていたのは、成歩堂ではなく自分だったはずなのに。いったいどんな運命の歯車が食い違ってしまったのか。
 少なくとも御剣は成歩堂に、弁護士になれて良かったね、おめでとう、などと言う気にはなれなかった。

 だが成歩堂は、そんな御剣の戸惑いを見透かしたように微笑んだ。
「もちろん君が弁護士じゃなくて検事になっていることや、他にもいろいろと気になることはあるよ。でもそれは、これからゆっくり聞かせてもらえばいいことだ。僕たちには時間がたっぷりあるんだから」
 成歩堂の真摯な言葉に、御剣はきっぱりと首を横に振る。
「その必要はない」

 彼に自分のことを語るつもりはなかった。知って欲しいとも思わない。正直に言うならば、もうこれ以上、踏み込んで欲しくなかった。
「君に話すことなど何もない」
 御剣が念を押すように、もう一度言うと、成歩堂は何故か微笑んだ。
「相変わらずだね、お前は」
「え……?」


 いきなり成歩堂の口調が変わったことに、御剣は違和感を覚えたが、彼はそのまま話し続ける。
「そうやって何もかもを拒絶して。一人で全てを抱え込んで苦しむのかい? 突然転校していった時も、その後も、僕がどれほどお前のことを心配していたか、知らなかった訳じゃないだろう? それでもお前は何も打ち明けてくれなかった。僕をこれっぽっちも信頼してくれなかった。そんなに僕は頼りなく見えたのかな……?」
「それは……」

 成歩堂の気持ちは分かる。
 彼が純粋な好意で、自分のことを心配してくれていることも。彼がきっと誰よりも信頼できるだろうことも。
 いっそ素直に甘えてしまえば良いのだろうと分かっていても。
 それが出来るならば、苦労はないのだ。

 御剣はやはり首を横に振る。
「君の気持ちはありがたいが、私にもう構わないでくれないか。君にそこまでしてもらえる資格など、無いのだから」
「心配してもらうのに、資格が必要だとは知らなかったな。それなら、いったいどんな資格が必要なのか教えてくれない?」
 成歩堂はあきらめない。しつこく食い下がってくるのは法廷と同じだ。それが御剣にはわずらわしくて仕方がなかった。


 事実、成歩堂の言うとおりなのだろう。
 誰に対しても心を開かず、誰のことも信用せずに、ただ一人で立ち尽くしている。
 先導してくれる人も、手を引いてくれる人も、一緒に歩いてくれる人もいないから、前に進むことも出来ず。さりとて後ろを振り向くのも怖くて、その場にしゃがみ込んでしまう迷子のようなもの。それが御剣だ。

 成歩堂はそこを見透かしているからこそ、手を差し伸べてくれているのだろうけれど。
「……私は君の敵だ。かつては友人だったかもしれないが、今は違う。君には他に気に掛けるべき人がいるだろう。私のことは放っておいてくれ」
「嫌だね」
 成歩堂は即答した。

 そして御剣が反論するよりも早く、きっぱりと言い切る。
「僕が誰よりも想っているのは、お前だよ。僕の望みはお前が幸福になってくれること。そして、僕の隣で笑っていてくれることなんだからね」
「何故……、君はそこまで」
 言葉を失った御剣に対して、成歩堂はこともなげに言った。

「それは僕がお前を好きだからだ、御剣。もっと分かりやすく言うなら、僕はお前に恋をしているんだよ」

              

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2014/07/26