『 邂逅……、そして 』

(2)



「それは僕がお前を好きだからだ、御剣。もっと分かりやすく言うなら、僕はお前に恋をしているんだよ」

 その言葉を聞いた御剣は、すぐに理解することが出来なかった。
 無論、言葉の意味は分かっているが、現在の状況と、成歩堂の言ったことが結びつかなかったのだ。
 そして、意味を理解した後にやって来たのは、一つの疑問だった。
「……何故だ」

 ぼそりと尋ねた御剣に、成歩堂は照れたような笑みを浮かべる。
「ああ、ごめん、御剣。本当はこんなにいきなり言うつもりじゃなかったんだよ。ましてや男同士だしね。お前が困惑するのも当然だけど」
「違う、そうではない」
 成歩堂の言葉を遮って、御剣は話を続ける。眉間のヒビをますます深く刻みつけたままで。


「改めて確認しておくが。私と君は小学校以来、一度も会っていなかったはずだ。それなのに君が私にそういった感情を抱ける理由がわからない。それとも君は先日の法廷で、そんなことばかり考えていたとでも言うのかね」
「ち……、違うよ」
 御剣の言葉を、成歩堂はあたふたと否定する。

「あの事件は僕にとっては特別なものだった。五里霧中の状況で必死にジタバタもがいていたんだ。余計なことを考える余裕なんて無かったよ」
「ならば、何故」
 御剣は全く理解出来なかった。
 この男がどうしてそう簡単に、好きだなどと言えるのか。いったい自分の何を知って、何に惹かれているというのか。

 すると成歩堂はいたずらっぽく笑う。
「好きになるのに理由も時間も必要ない。なんて言えれば恰好良いんだろうけど。僕はずっと前からお前に心を奪われていたんだと思う。もちろん小学生の時はそんな恋愛感情なんて無かったけどね」
「ずっと前から……?」
 小学生の時に御剣が転校して以来、一度も会っていないというのに、この男は何を言っているのだろうと思った。成歩堂の言動は、いつも御剣を戸惑わせ、困惑させる。


 だが、御剣の思惑に反して、成歩堂は力強くうなずく。
「ああ、そうだよ。小学生の時はお前が突然いなくなって、ずっと気にしていたんだ。
 それがいきなり検事になっていて、しかも聞こえてくるのは悪評ばかりではね。心配するなって方が無理だろう? だからこそ僕は、お前に会うために、ここまで来たんだ」

 誰かさんは、どんなに連絡を取ろうとしても、絶対に会ってくれなかったし、手紙の返事すらくれなかったからね、と成歩堂は皮肉っぽいまなざしで付け加えた。
「ムう……」
「そんなに僕に会いたくなかった?」
「いや……、そういう訳では……」

 小学生の頃に成歩堂と過ごした時間は、御剣にとっても大切な思い出の日々だ。
 まだ父が存命で、自分に明るい未来が待っているのだと無邪気に信じていられたあの日。
 大人になってから、あの頃を思い出して、成歩堂と旧交を深めたいと思う気持ちが、全く無かったとは言わないけれど。


 それ以上に御剣は怖かったのだ。
 成歩堂が抱いている御剣に対するイメージや、成歩堂の思い出の中に存在する御剣自身を、現在の御剣が壊してしまうのではないかという不安で。
 もしも、会った瞬間に失望されたとしたら。
『会いに来るんじゃなかったよ……』なんて寂しそうに言われたとしたら。
 自分は立ち直れなくなるかもしれない、と思ったのだ。

 それだけ御剣にとっても、成歩堂の存在は大きかったということかもしれない。
「会いたくなかった訳では……、ないのだが」
 自分の中のもやもやした思いを上手く言葉に出来ずに、御剣が言葉を濁すと、成歩堂は小さく苦笑を浮かべた。

「でも積極的に会いたいとは思ってなかった訳だ。何がお前の決心を鈍らせていたのか、僕にはわからないけれど。どうだい、実際に僕と会ってみて、やっぱり不安は的中しちゃったかな?」
「いや……、むしろ」
 御剣も思わず苦笑を浮かべた。
 自分に会ったら、成歩堂が失望するのではないかと危惧していたというのに、まさか愛の告白をされることになろうとは。


「君はいつも私の予想を裏切るな」
「褒め言葉と受け取っておくよ」
 まさに友人同士のような冗談めいた軽口を交わしていると、御剣の心がふっと軽くなる。
 そのせいだろうか。つい言うつもりのなかった言葉を口にしてしまった。
「……私は、変わったか? 成歩堂」

 法廷で彼に言われたことが、自分の想像以上に堪えていたのかもしれない。また同じ言葉を突き付けられるのだとしても、御剣は成歩堂の本心が知りたかった。
 そんな震えるような思いで尋ねた御剣の心に気付いているのか、成歩堂は一欠片の逡巡も見せずに即答した。
「お前は何も変わっていない。僕の良く知っている御剣だよ」

 そう断言できるほどに、この男は自分の何を知っているのかと、文句を言いたい気持ちもあったが、それでも成歩堂がくれたのは、御剣が一番欲しかった言葉だった。
だから……。
「ありがとう」
 御剣にしては珍しく素直に礼を言うことが出来た。


 すると成歩堂はつと視線を逸らし、照れくさそうに頭を掻く。
「ええと……、期待しすぎちゃいけないって分かっているけど、参るなぁ……」
 どうやら成歩堂は困っているらしい。
「どうかしたかね」
 小首をかしげる御剣に対して、成歩堂は苦笑を浮かべた。
「お前のその反応で、僕たちの認識の間には深い溝があるって実感したよ」
「……意味が分からない」
「最初から分かってもらえるとも思っていないさ」
 成歩堂は一人で結論に達したようだが、御剣は不満が増すばかりだ。

 ムう……と押し黙り、眉間のヒビをますます深くしたところへ、ふいに冷たい雫が頬を濡らすのを感じた。
「うわ、雨だ……ッ。天気予報で降るなんて、言ってなかったのになぁ」
 成歩堂の声で、御剣もようやく自分が雨に濡れているのだと気が付いた。
 と、いきなり成歩堂に腕をぐいと引っ張られる。
「御剣、こっち。木の下に行こう。ベンチで座っているよりはマシだよ」
「……分かった」

 御剣は成歩堂に引きずられるようにして、少し奥まった木立の下へと連れてゆかれる。酒を飲んで酔っている訳でもないのに、どうにも頭がぼんやりとして働かない。
 成歩堂に告白されたからか、あるいは『変わらない』と言ってもらったからか。
 何もかもが現実感に乏しくて、ふわふわと雲の上を歩いているような気分だった。


「大丈夫かい、御剣?」
 成歩堂の問いに、御剣は無言でうなずく。
「そう、良かった。でも、もうちょっとこっちに来た方が良い。そこじゃ濡れるから」
 そう言うと、成歩堂は御剣の身体を抱きしめるようにして引き寄せる。御剣が抵抗する間もなく、彼の腕の中にすっぽりと収まってしまった。

 そのことが御剣には不思議だった。
 どうして背格好もほとんど変わらない自分が、きゃしゃな女の子のように成歩堂の腕に抱きしめられているのか。
 そして、この状態を不快どころか、心地良くすら思っているのか。
「御剣……っ」
 ふいに成歩堂が喉に絡むような声で、低く甘く自分の名を呼ぶ。同時に背中に回されている彼の手の力が強くなった。

「……っふ……ぁ」
 思わず御剣の唇から切ない吐息がこぼれる。そのひどく艶めいた響きに自分でも戸惑うが、成歩堂はそれ以上だったようだ。
 びくんと身体を震わせて、腕の力をゆるめると、自然とお互いの顔が目に入る。しばらくの間、無言のまま視線を絡ませ、やがて、どちらからともなく唇を重ねていた。


「ん……」
 お互いに探り合うような、唇を触れさせるだけのキスとも呼べない、ささやかなものだったけれど。
 その初めて味わう甘美な悦びは、御剣を酩酊させるのには十分すぎるほどだった。

 心が、肉体が、勝手に彼を求めてしまう。気付いた時には、両腕をすがりつくように、成歩堂の背中にしっかりと回していた。
 そのまま男の胸板の厚さや、手のひらに触れる肩甲骨の固さを感じながらも、御剣が考えていたのは、やくたいもないことだった。
(……そういえばカバンをどこにやったか……)

 まさかベンチに置いてきてはいないはずだ。成歩堂が持ってくれていたような気もするけれど、彼の手は御剣を抱きしめているし、御剣も同様だから、今は地面に放り出されているのだろう。
 成歩堂とのキスよりも、カバンの上質な革が痛むことが気になるのもどうかと思うが、そうやって意識を他に向けないと、溺れすぎてしまいそうだと自己防衛本能が働いたのかもしれなかった。


 やがて、成歩堂の唇がゆっくりと離れ、彼の腕の中から解放される。
 そのことが寂しくて、物足りなくて、もっと欲しいと瞬間的に思ってしまった自分に、御剣は愕然とした。
 成歩堂は自分に恋をしていると告白してくれたが、御剣は成歩堂に対して、そういった気持ちは抱いていない。少なくともその自覚はない。

 それでも彼の腕の中は心地良かった。
 彼とのキスは甘美で蕩けてしまいそうだった。
 それが御剣には恐ろしかった。

(……これ以上は駄目だ)
 まるで麻薬のようだ。一度知ると抜け出せなくなる。止められなくなる。彼無しでは生きてゆけなくなってしまう。
 御剣にはそんな予感があった。


「あの……、ごめん、御剣。いきなり悪かったね。でも……」
 成歩堂が何やら言い訳めいたことを口走っていたが、御剣はロクに聞いてはいなかった。
 とにかく男の身体を突き飛ばすように彼から離れ、その勢いに任せて、無言のままで地面に落ちていたカバンを拾い上げる。

「……御剣?」
 成歩堂が戸惑った声を上げるが、それも当然だろう。彼にしてみれば、先刻の甘い雰囲気から一転、御剣が豹変したようにしか思えなかっただろうから。
 けれど御剣は、成歩堂の目を真っ直ぐに見返して、きっぱりと告げる。
「君と私は敵同士だ。これまでも、これからも。そのことを忘れるな」

 それだけを言うと、御剣は彼の元を走り去った。
 雨は小降りになっていたので、足を取られることもなく、成歩堂に追いつかれることもなかった。
 ちょうど通りがかった空車のタクシーに乗り込むと、御剣は安堵の息を吐く。シートにゆったりともたれかかり、目を閉じれば、ようやく一人になることが出来た。


 あんな風に置き去りにした成歩堂には、気の毒なことをしたと思うけれど、あのまま男の腕の中に居たら、彼と一夜を共にしてしまったかもしれない。
 それだけの雰囲気が二人の間には流れていたし、御剣も彼を受け入れてしまいそうなほどには心と身体を許していた。

 そして成歩堂ならばきっと、御剣を優しく抱いてくれただろう。
 それが想像出来る上に、まんざらでもないと思ってしまうことが悔しかった。
 まるで自分が成歩堂の手のひらの上で踊らされているようで。 
 何もかも見透かされているようで、居たたまれなかったのだ。

 だが、これで良い、と御剣は思った。
 これ以上お互いに深入りする必要はない。もう彼に誘われても行かなければいいだけのことだ。
 今後も法廷で会う機会はあるだろうが、弁護士と検事としてならば、御剣はこれまでの御剣でいられるだろう。
 そう、思っていたのだけれど。

 まさか自分が『検事』としてではなく、法廷で成歩堂と対峙することになろうとは、この時の御剣は想像だにしていなかったのだった……。

              

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2014/08/17