【えせほし─似非星─ 】 kyo-ko

『 最良の選択 』

(2)

「身も心も……」
 刀子の言葉を茫然と繰り返しながら、愁厳は頭の中を整理しようと務めた。

 ……身も心も、ということは、つまりはそういうことなのだろうな。刀子は双七君とあんなことやそんなことをしたいと。
 だがそれは、まだ高校生の身で早すぎやしないだろうか。それに普通は結婚してからするものではないのか?
 それとも最近の若者は進んでいて、そんなの当たり前なのだろうか。俺はもちろん、刀子もそういったことには疎いから、現状がさっぱり分からないのだが。生徒会の皆も、澄ました顔をして、実際は経験豊富だったりするのか?

 そう言えば、愛野君はずいぶんモテているようだから、とっくに済ませているのかも知れないな。でもあの体質では、あんなことをしたら死んでしまいそうだが、どうなのだろう。それとも身体に負担の掛からないやり方があるのだろうか。分からない……。
 もしかしたら、色気よりも食気という顔をしながら、刑二郎も陰ではこっそり経験済みだったりするのだろうか。となると相手はやはり七海くんか? いや、それとも新井くんか? まさか両方同時になどということは……。

 ああ、駄目だ駄目だ。俺は何を考えているのだ。そんな下世話な想像をするものではない。これでは今後の生徒会活動にも差し支えそうだ。もう二度と考えるのは止めよう。
 それに問題は刀子と双七君のことではないか。俺としたことが、いったいどうしてあんな妄想に発展してしまったのやら。考えを戻そう。


 そうだ、双七君はどうなのだろうか。
 以前に刀子から『双七さんはわたくしの手を握るだけでも真っ赤になって、身体をカチコチにこわばらせていて、本当に純情で真面目な方なのだと惚れ直してしまいましたわ』などという惚気を聞かされたことはあったが、実体はどうなのか分からない。
 この街に来るまでには、彼もいろいろなことがあったようだし、すでに誰かと経験済みだとしても驚きはしないと思う。だからと言って、気にならない訳ではないが。

 ……ああ、双七君も誰かとあんなことやそんなことをしたのだろうか。あの瞳で誰かを見つめて、あの唇で愛の言葉をささやいて、あの腕で抱きしめたりしたのだろうか。
 いったい誰を? どんな女性を?


「赦しがたいな……」
 愁厳の口から思わずそんな言葉がこぼれ落ちる。すると、いきなり目の前の刀子が悲痛な声を上げた。
「やっぱり、兄様はそう思われるのですね! まだ高校生で、こんなことを考えるのはいけないことだと分かっています。ええ、そうですわ。刀子はふしだらで淫らな女なのですわ! 結婚もしていないのに、いやらしいことを考えているのです。双七さんと、あんなことやそんなことを……っ!」

 自分で勝手に思いこんで妄想を膨らませてしまうのは、さすがに兄と妹、良く似ている。
 我を忘れた刀子の言葉に、愁厳はようやく現実に戻ってきた。
「落ち着け、刀子。俺はお前を責めている訳ではない」
「でも、兄様」

「先刻の言葉は、お前には関係のない独り言だ。忘れてくれて良い。それよりも……」
「は、はい……っ」
 声を低めた愁厳の言葉に、刀子もすっと居住まいを正す。ようやく話の出来る態勢が整ったようだ。
「お前がそうしたいと言うのなら、俺は止めない。その結果、どのようなことが起ころうとも、もう子供では無いのだから、責任は取れるだろう?」

「兄様、それは……」
 刀子の表情から笑みが消え、唇からは言葉が失われるのを、愁厳は静かに見つめていた。
 あの瞬間、刀子から双七に身も心も捧げたいのだと聞かされた時に、全てを悟った。刀子があんなにまで激しく泣きじゃくるほどに追い詰められてしまった理由も、刀子の自分に対する想いも何もかもを。
 だからこそ、愁厳はこう言うしかない。お前の望むことをしろ、と。それだけで刀子にも、自分の想いが伝わるはずだと愁厳は確信していた。
 そして、それが正しかったことは、今の刀子の表情が証明している。


「嫌、いや……です、兄様……っ」
 刀子の瞳から、また涙がこぼれ落ちる。しかしそれを拭うこともせずに、刀子は愁厳の胸に飛び込んできた。
「兄様は、ご自分が消えてしまうおつもりなのでしょう!だから、そんなことを仰るのでしょう! わたくしのために、兄様は……っ!」
「だからお前は悩み苦しんでいたのだろう? 双七君と結ばれて、万が一にでも子供が出来るようなことがあれば、俺が消えるしかないのだからな」

 淡々と告げる愁厳の言葉に、刀子はただうなずいた。
「だが、愛する人と結ばれて、家庭を持って、可愛い子供を授かって、幸せに暮らすというのは、女性ならば誰でも夢見るような当たり前のことではないのか?そんな幸福を、俺はお前にも与えてやりたいと思う。ただ、それだけだ」
「そんなもの……ッ! 兄様を犠牲にしてまで欲しくありません」

 それもおそらくは刀子の本心だろう。だが、愛する兄と、愛する双七と、二人を手に入れることは刀子には出来ないのだ。
「俺はお前と双七君に幸せになって欲しい。誰よりも大切に想う二人だからこそ」
「……兄様がいないのに?」
 刀子は涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げると、子供のように首をかしげる。

「ああ、そうだ。俺がいなくても」
 いや、俺がいないからこそ、お前たちは幸せになれるのだ、と愁厳は口にはしなかったが、刀子はそこまでをも悟ったようだ。
「無理です」
 愁厳の目を見据えて、刀子はきっぱりと言い切った。凛とした強く美しい妹を見つめながら、愁厳は透けるような笑みを浮かべる。
「大丈夫だ。お前には双七君がいる。彼ならば、俺よりもずっとお前を大切にしてくれる。俺を喪ったお前の心も癒してくれることだろう」


「それは兄様だって、同じことではありませんか!」
 悲痛な刀子の言葉に、愁厳は首を横に振った。
「全然違う。俺が残っても、双七君を幸せにすることは出来ない。彼が望んでいるのは、平凡で穏やかな生活だ。温かく優しい家庭のぬくもりだ。
 だが俺では双七君にそれを与えてやることは出来ない。彼と結婚することも、子供を産むことも出来ないのだからな。たとえ双七君が他の女性と結ばれて幸せになったとしても、それではお前が消えた意味が無くなってしまうではないか。そうだろう?」

「でも……」
「俺が消えることが、誰にとっても幸福な選択なのだ。お前は双七君と幸せになれる。そして俺は、お前たちの幸福を信じて、逝くことが出来るのだからな」
 愁厳は心からそう思っていた。
 負け惜しみではない。生きたいと思わない訳でもない。双七のことを考えると、胸が痛まない訳でもないけれど、どう考えても、これが最善の方法だった。

「……だとしても」
 刀子がぽつりとつぶやく。
「だとしても、わたくしの手で兄様を消すようなことは出来ない……」
 もしも刀子が双七に抱かれるようなことがあれば、その瞬間に愁厳の消滅が決定する。子供が出来るかどうかなど関係がない。子供が出来るような行為をしてしまったという事実こそが、刀子が心の中で愁厳を殺したのと同じことなのだ。

「それでも……、いずれ、その日は来る」
 すでに覚悟の決まっている愁厳は揺るぎない。その腕の中で、刀子はただ泣き続けていた……。


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