【えせほし─似非星─ 】 kyo-ko

『冗談か本気か』



 さすがに行の頭を撫でるのにも疲れて、仙石は行の後ろの床に座りこんだ。この部屋に椅子は行が座っているものしかないから、仕方がない。

 すると、行が背を向けたまま、思い出したように口を開く。
「名前のことだけど」
「ああ、そういや、田上って表札出てたな」
 すぐに仙石も思い出す。行はうなずいたようだった。

「オレは今、便宜上は別の人間になっている。名前は田上克美。ダイスが適当に付けたんだ。戸籍や免許、家の名義もこの名前だ」
「田上ってのは?」
「オレの母方の姓だよ。『克美』は知ってるだろ、雅号だ」
 別にオレは『山田太郎』でも何でも良かったんだけどな、と行は笑って付け加えた。

「それじゃ、田上行でも良いんじゃねえのか?」
 仙石は『行』という名前と響きが気に入っていたので、便宜上とはいえ、行が『行』ではないというのは、残念でならない。
「そう名乗っていた時もあったんだ」
「…そうか」
 行の複雑な家庭事情を、仙石はあまり良く知らないが、かつて『如月 行』が『田上 行』でもあったならば、死んだことになっている今となっては、やはりその名前を使う訳にもいかないのだろう。


「…だから、あんたにも本当は、克美って呼んでもらわないといけないんだろうけど」
 そう言いながら、行は顔をこちらに向ける。
 ほんの一瞬だけ、振り向きざまに揺れた長い髪の下で、黒い瞳が心細げに見えたのは気のせいか。完全にこちらに向き直ってしまうと、もういつもの行のまなざしだ。

 その強い瞳を受け止めながら、仙石は迷いなく言い切った。
「お前は行だ。俺にとってはな。今も…、これからも」

「…そうだな」
 行もやはりうなずくと、ほんの少しはにかんだように笑って、付け加える。
「オレも未だに『克美』という名前に慣れていないんだ。どうしても、あいつのことを思い出してしまうから。オレの名前になるのは、しばらく掛かりそうだな」

「俺だってそうさ。お前が『克美』だなんてな。正直言って、あんまり似合ってないよな」
 思わず本音が出てしまった仙石に、行は途端に拗ねた顔になり、ぼそりとつぶやいた。
「…悪かったな。この名前は、オレには可愛すぎるんだよ」


 こんな風に表情が変わるのも、やはりかつての行にはなかったものだ。
 しかし、もう違和感は覚えない。どんな顔をしても、何を言っても、行は行なのだ、と頭ではなく感覚で納得したからだろうか。
 そして、だからこそ拗ねている行は可愛らしかった。いつもこんな顔だったら、きっと『克美』も似合うに違いない。

「いや、お前も十分可愛いぜ?」
 行の反応が見たくて、にやりと笑って言ってみる。
 怒るか、呆れるか、あっさりかわすか、冷たく無視するか。返ってくるとしたらそんなもんだろう、と予想していた仙石だったが、行の反応は思いも掛けないものだった。

「な…、何言って…」
 そう言ったきり、黙り込んでしまう。しかも頬はほのかに桜色に染まっていた。まるで純情可憐な乙女だ。
 しかし、そんなに意識をされると、逆に仙石の方がどうして良いか分からなくなった。自業自得だが。

「冗談に決まってるだろ。そういう時は笑い飛ばせば良いんだよ」
 仙石としては『冗談』どころか、かなり『本気』で言った台詞ではあったが、この場は冗談として収めるべきだろう、と笑ってごまかす。このままでは、おかしな気分になりそうだった。


 すると何故か、行は眉間にしわを寄せて、考え込むような顔になる。
「どうした?」
 行が何も言い出さないので、仙石が促すと、ようやく口を開いた。それでも考えながら、ゆっくりとした口調で。

「オレは…、何が冗談で、何がそうじゃないのか、良く分からないんだ。自分でも冗談なんて言わないしな。だから、さっきのあんたの言葉だって、本気にしか聞こえなかった。多分、オレの感覚がおかしいんだろうな…」

 行の言葉に、今度は仙石が考え込む番だった。
 確かに本人の言う通り、行は冗談を言ったり、冗談を認識するのは苦手なのだろう。しかし、それでもおそらくは仙石よりもずっと、物事の本質を見極める感性は鋭い筈だ。それは絵を見ただけでも分かる。

 だから、行が『本気』だと思ったならば、先刻の言葉はまぎれもなく『本気』だったのではないだろうか…?
 仙石が自覚している以上に。


「参ったな…」
 仙石は戸惑いを隠せずに、短い髪をわしわしと掻きむしった。その様子に、行もまた困惑した顔になる。それは当然だろう。仙石の気持ちの動きまでは分かるまい。

 自分の行への想いを量りかねて、何も言えなくなってしまった仙石を前に、行も同じようにじっと押し黙る。小さく首をかしげて、静かにこちらを眺める姿に、仙石はふと、どこかにこんな犬がいたな…、と思った。

 そしてすぐにその答えに思い当たる。オーディオメーカーのマスコットになっている白い犬だ。
 あれは蓄音機から流れる亡き主人の声を聞いている姿だというが、何かを考え込むような、物想いにふけるような顔で、愛らしい中にも、どこか寂しげな表情が、こちらを見つめる行とも似通っていた。


 …俺はお前の飼い主じゃないぞ。
 仙石は心の中で苦笑を浮かべながら、おもむろに立ち上がり、また行の長い髪をくしゃくしゃと掻き回すのだった…。

            おわり


               『静かな夕べ』へつづく…。

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ここまで読んで下さってありがとうございましたm(_ _)m

という訳で、当サイトでの行の仮の名前は「田上 克美」です。
このあんまり格好良くない感じが、
いかにも勝手に付けられた風で宜しいかと(苦笑)。

でもこの先、ほとんど出てくることはないと思いますけども。
仙石さんにとっては、どこまでも「行」は「行」なので。

将来的には「仙石 行」に変名できないものか。
いや、かなり本気で思ってますよ、私(爆)。

2005.05.16

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