『真実の名前』 |
「んあ…?」 誰かに呼ばれたような気がして、仙石は目を覚ました。 顔を隣に向けると、男二人で眠るには少々狭いベッドに、行がほとんど寝息も立てず、静かに眠っている。 「気のせいか」 ただ単に、夢を見ただけなのだろう。あるいは行の寝言だったのかもしれないが、行がそんなことをするとも思われなかった。 仕方がなく、そのまま眠りにつこうとしたものの、どうにも目が冴えてしまって寝付かれない。 仙石は行の目が覚めないように、そっと身体を起こした。 こうして二人で同じベッドに眠るようになってからも、しばらくの間、仙石は行の寝顔を見ることは出来なかった。 仙石が目を覚まし、身体を動かした気配を感じるのだろう。気が付くと、深い色をしたまなざしで、じっとこちらを見ていたりする。それはまるで野生の獣のようだった。 それがいつしか仙石が先に起きても、行はそのまま眠っているようになっていた。それだけ気を許してくれた証だろう、と初めて見る行の寝顔に、嬉しくなったのを覚えている。 その日以来、仙石は機会があれば、行の寝顔を見るのを楽しみにしてきた。おそらく、行がこんな風に寝顔を見せるのは自分だけだろう、と思えば尚更。 「きれいだな…」 一つだけ小さく灯された電球のやわらかな明かりに、行の整った横顔が照らし出されるのを見つめ、仙石は思わずつぶやいた。 出会った頃のような危うげな少年めいた美貌ではないが、行は今でも人目を惹かずにはおかない美しい青年だ。 だから、行が名前を『克美』と変えて、顔も本名も明かさずに絵を描いているのは正しいと思う。この若さで、この顔で、あれだけの絵を描くのだ。マスコミが放っておく筈もない。 行がそんなものに踊らされるような人間ではないことは承知しているが、自宅に押しかけて来られでもしたら、堪ったものではないだろう。 こうして二人でのんびりとしていられるのも、行が『克美』であるからに他ならない。無論、行は死んだことになっているから、という一番大きな理由があるとしても、だ。 しかし、それでも。 ここにこうして存在しているのは、他の誰でもなく『如月 行』なのだ。 それを知っていて、その名で呼んでいるのは仙石だけだろう。画廊のオーナーは『克美』と呼んでいるし、情報局の人間は死者の名で呼ぶはずもない。 如月 行が、『如月 行』でいられるのが、自分の傍らだけなのだとしたら、この場所をずっと守っていてやりたいと思う。いつか先に逝くその日まで、その名を呼び続けてやりたいと思った。 「…行」 仙石がそっとささやくと、行が「ん…」とつぶやいた。 その静かな寝顔を見つめ、仙石は包みこむような微笑みを浮かべるのだった…。 おわり |
ここまで読んで下さってありがとうございましたm(_
_)m
寝ている描写が好きなんです、私(笑)。 一番無防備な姿でもあるし、 それだけに心を許しているということでもあるし。 ちなみにこれは『夢』という掌編と対になっています。 あちらはでは仙石さんが眠っているんですね。 仙石さんが元気なおじいちゃんになっても、 こうして二人仲良くしてくれていたら良いな。 その頃は、行もオジサンですしね。 (考えたくないが…苦笑)。 ところで、名前について。 当サイトでの設定を、ちょっと補足説明。 行は死んだことになっているので、 現在使っている名前は『如月 行』ではありません。 どんな名前かはそのうちにシリーズ内で出します。 (大した名前じゃないですが) 行は別に何と呼ばれようとも構わないだろうと思うのですが、 仙石さんだけはあくまでも「行」と呼び続けていて欲しいのでした。 2005.03.07 |