『背中合わせの恋人』 |
「おーい、行、どうした〜?」 仙石は、こちらにつむじを向けている後ろ頭を突付きながら、声を掛ける。しかし、返って来る言葉はそっけない。 「何でもない」 「それなら、こっち向けよ」 「どうせ後はもう寝るだけなんだから良いだろ」 取り付く島もないとは、このことだろう。 ほんの数分前までは、確かに自分の腕の中で、切なくも愛らしい喘ぎをこぼしていた恋人であるはずなのに、終わってしまったら、この有様だ。 もしも仙石が女だったなら、終わった途端にそっけなくなる男には、『私の身体だけが目的なの?』と尋ねる所だろうけれど、自分たちには全く当てはまらないことも分かっている。 いや、むしろそれなら、その方が分かりやすくて良いくらいだ。 残念ながら、現実は正反対なのだから。 求めるのはいつも仙石からだ。 最近では身体を繋げることにも慣れてきて、行も感じてくれているようではあるけれど、行の方から欲しがったことは一度もない。 仙石が求めれば、行はさして拒むことはなく、大抵のことは応じてくれるけれど、だからこそ無理をしているのではないかと思ってしまう。 たとえ肉体は悦んでいたとしても、心が喜んでいないのならば、この行為に意味はない。仙石が欲しいのは、行の躰ではなく、心なのだから。 行は身体での感情表現は苦手だが、言葉を使って気持ちを表すことは、もっと苦手だから、行の口から愛の言葉を聞かせてもらえることは、皆無だ。 しかし言葉が無理ならば、せめて行動で示して欲しいと思う。自分だけが行を愛しているのではなく、行も自分を愛してくれているのだと感じられる瞬間が欲しかった。 それ故に、仙石は年甲斐もなく、毎夜のように行を抱いてしまうのだけれど……。 「冷てえなぁ……」 仙石はつぶやく。 行の心や態度が、という訳ではない。文字通り、仙石の腕に抱かれている行の身体が冷たくなっていくのだ。 体温が高く、身体の中から燃えているような仙石とは対照的に、行の肌はいつもひんやりとして、そっけない。 血圧が低いせいなのか、そういう体質なのか、汗もあまり掻かないから、さらさらで触り心地は良いけれど。 それでも身体を重ねていると、仙石の熱が移ったかのように、行の身体もほのかに赤く染まり、熱を帯びていくのが艶めかしい。行を汗ばむほどに火照らせた時には、思わず心の中でガッツポーズを取ってしまうくらいだ。 しかし行にとっては、その熱もあっという間に冷めてしまうものなのだろうか。 頑ななまでに向けられた背中は、仙石に触れられることすら拒んでいるようで。目の前でぴしゃりとドアを閉じられたような気がしてならない。 どれほど身体を許しても、決して立ち入らせないラインがあるかのように。 永遠に片想いをしているような気持ちになりながらも、このくらいであきらめる仙石ではなかった。『如月行』が一筋縄ではいかないことくらい分かりきっているのだから。 「行、そのままで聞いてくれ。一つだけ、たった一つだけで良いから、俺の頼みをきいてくれないか?」 真摯な声で尋ねた仙石だったが、行の応えは無い。 それでも仙石は辛抱強く待った。二人の間に沈黙が流れる。もしかしたら行は眠ってしまったのかもしれない、と思ったところで、ようやく声がした。 「……何」 行はやはり振り向くことなく答える。だがほんのわずかではあるが、やわらかな声になったような気がした。 仙石はホッとしながら言葉を継いだ。 「今夜だけで良いからよ。こっちを向いて、俺の腕の中で眠ってくれねえか?」 それはあまりにもささやかすぎる願いかもしれない。恋人同士ならば、そんなの当たり前だと言われてしまうかもしれないが、その『当たり前』のことが通用しないのが、行なのだから仕方がなかった。 行がいつもこうして背を向けるのには、きっと理由があるのだろう。元工作員なだけに、無防備な寝顔を見られたくないということかもしれないし、むさくるしい仙石の寝顔など見たくないということかもしれない。 だが、どんな理由があるにせよ、言ってくれなければ分からない。 そして、行がそうやって背を向けることによって、仙石がどれほど寂しい思いをしているかということも、言葉にしなくては、行には伝わらないだろう。 身体を繋げることは容易いけれど、心を繋げることは、とても難しい。だから少しずつでも二人で進んでゆけたら、と思うのだ。 「…駄目か?」 未だに振り向くことのない背中に、仙石はもう一度尋ねた。 駄目だ、と言われることなど考えたくはないが、言われたとしても、その理由を聞くだけだ。何か原因があるのなら、それを排除すれば良いのだから。 そこへ行が、ぽつりとつぶやく。 「なんで」 「ん?」 「……なんで、そんなことしたいんだよ」 反対に尋ね返してくる行の声は怒っているのではなく、単純に疑問に思っていることを聞いているだけのようだったので、仙石は素直に応える。 「そうやって背中を向けられると寂しいんだよ。終わったら、もう俺のことなんて、どうでも良いのかって思っちまうんだ。こういうのはヤッたら、それでおしまいってもんじゃねえだろ?」 「え?!」 すると、いきなり行が驚いたように振り向いた。 「どうした?」 「オレだけじゃ、なかったのか……」 戸惑ったように、困ったようにつぶやく行に、仙石も困惑する。 「何がだよ」 「だって、いつも苦しいんだ。身体を繋げている時は、何もかも忘れてしまうけど、終わった後にあんたが離れてしまうと、途端に一人ぼっちになったみたいで、すごく寂しくて、どうして良いか分からなくなる。 でも、あんたはすぐにグーグー寝ちゃうから、満足しているんだろうと思っていたんだ。こんなこと考えているオレだけが変なんだと。 だけど……、そうじゃなかった」 ぽつぽつと語られる行の想いに、仙石は胸を打たれた。やはり聞いてみなくては、分からないことはたくさんある。 「ああ、そうだよ。俺も同じ気持ちだ。でもお前が背中を向けちまうから、俺も寝るしかないんじゃねえか」 その仙石の言葉に、行はようやく腑に落ちたという顔になった。 「ごめん…。だって、なんか恥ずかしいから」 「まぁ、確かにな。我に返ると、ちょっと照れくさいよな」 ほんの少し前までは、お互いに貪るように求め合っていても、いや、それだけ激しく愛し合った後だからこそ、正気になると恥ずかしいというのは、仙石にも良く分かる。増してや、行は喘がされ啼かされる側なのだから余計だろう。 「でも、それなら、こうすりゃ良いんだ」 仙石はそう言うと、行の身体を抱き寄せる。そして行の顔を自分の胸に押し当てた。 「これなら俺の顔は見えねえだろ?」 行はこくりとうなずく。その姿がとても可愛らしく、仙石はたまらなくなった。 ようやく抱きしめることが出来た行の身体は、まだ余韻が残っているのか、しっとりとして滑らかで、しかも触れている箇所から熱を帯びていくのも感じられて、ますます仙石の情欲を煽っていく。 すると、ふいに行がぼそりとつぶやいた。 「…当たってるんだけど」 「悪いな、あんまりお前が可愛いことを言うから、つい」 「バカ…ッ」 仙石の位置からでは行の顔は見えないが、髪の下から覗く耳までもが赤く染まっているから、他は推して知るべしだ。 「…駄目か?」 仙石は、先刻と同じ問いをする。 やはり行の応えは、すぐには返って来なかったが、仙石はじっと待ち続けた。 今は行が腕の中にいるのだから、こうして待っている時間も幸せだった。行が嫌だと言ったら、このまま眠っても良いくらいだ。もちろん身体は治まらないが、もう血気盛んな若造ではない。そのうち落ち着くだろう。 と思った所へ、行が蚊の鳴くような声でつぶやく。 「……駄目、じゃない…」 「う……っ」 仙石は、ぐらりとした。あまりにも可愛すぎて、どうしてくれようか。 ついさっきまでは、このまま眠って……、なんて思っていた気分もすっかり吹き飛んで、それから二度三度と行を啼かせてしまった。 そして、この日から行は、仙石の腕の中で眠ってくれるようになったのだった……。 おわり |
ここまで読んでくださってありがとうございました。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。 いきなりですが、 私の設定では、行は前も後ろもバージンです。 仙石さんしか知らない身体なので(笑)。 終わった後にどうすれば良いか、なんてことすら、 仙石さんに教わらないといけない訳ですよ。 苦労しますな、仙石さん。 もちろん、そこが可愛い所でもあるんですけどね。 でも逆に考えてみると、 行にとっては、全てが仙石さん任せってことで。 何もかも仙石さんの言いなりですよ。 仙石さんはどんなことでもやりたい放題ですよ。 仙石さんが変な趣味の持ち主じゃなくて、 良かったね、行たん(笑)。 2008.04.30 |