『男の背中』 |
あの背中が目に焼きついて離れない。 こんなことは初めてだった──。 その姿に気がついたのは、いつの日のことだったろう。 刻々と表情を変え、それでいて何も存在しない『海』を写し取ろうと足掻いていた男の後ろ姿。 それはあたかも深い海の底から、光あふれる水面を目指して、がむしゃらに泳いでいくような。 スケッチブックと闘ってでもいるかのような、男の姿だった。 あるいは『海』と闘っていたのだろうか。 その広い背中、物言わぬ背中を見つめながら、自分の心がひどく揺り動かされるのを感じた。 この衝動の名前は分からないままに部屋に戻ると、気付いた時にはスケッチブックに鉛筆を走らせていた。 程なくして出来上がった男の『背中』を見つめ、ようやく先刻の感情の名に思い到る。 それは…、嫉妬。 絵に対して、ひたむきに進むことの出来る男への。 そしてまた、男が一心に見つめる『海』への。 不意に訪れたこの感情を、絵にぶつけてしまえば収まるかと思ったが、残念ながらそうはならなかった。 心の中には澱のように何かが棲みつき、スケッチブックには男の背中が残った。 事態は何も好転しない。それどころか悪くなっているような気がする。 捨ててしまえ、と指は伸びるけれど、頑なな背中に拒まれて、それ以上はどうすることも出来なかった。 仕方がなく、小さく吐息をついてスケッチブックを閉じる。 いつの日かあの背中と真っ直ぐに向き合うことが出来るだろうか。 そして、あの背中に振り向いてもらえる日が来るだろうか。 …明日は、どうだろう──。 おわり |
ここまで読んで下さってありがとうございましたm(_
_)m
これはまだ二人が結ばれる前、 というよりも、事件前ですね。 回想シーンだと思ってもらっても構わないですが。 何となく行の片思いみたいになっちゃいました。 まぁイイか(笑)。 2005.02.02 |