『花散りて』 |
いきなり行から電話が掛かってきた。 こんなことは初めてで、仙石は驚き、うろたえつつも、嬉しさに頬がゆるみっ放しになる。同居している兄にからかわれたほどだから、よっぽど締まりのない顔になっていたのだろう。 しかし、それも当然のことだ。 仙石も遅ればせながら携帯電話などというものを持つようになり、さっそく行の電話番号を登録した。それでも掛けるのはいつも仙石から。たどたどしいメールを送るのも仙石から。行からのメールの返信もたいていは一言二言で、用件だけのそっけないものばかり。 …俺たち、恋人同士じゃなかったのかなぁ。 いい歳をしたおっさんが、そんな男子中学生のような切ない思いを抱いてしまうくらいに、行の方から返ってくるものは本当に少ない。それこそが如月行なのだから、仕方がないけれど。 そんな日々を送っていた所に、なんと行から電話が掛かってきたのだ。 喜ぶなと言う方が無理だ。携帯を片手に踊りだしたいくらいだった。行の話した言葉を一言一句録音して、毎日聞きたいくらいだった。一歩間違えればアブナイ人である。 残念ながら、行の電話はあっという間に終わってしまったのだが。 『仙石さんか? オレだけど』 『ああ、行か、どうした?』 むちゃくちゃ喜びながら、精一杯のさりげない口調で応える仙石だ。 『明日、うちに来られるか? 無理なら、なるべく早い方が良い。あんたに渡したい物があるから』 『渡したい物…?』 『どうなんだ、来れるのか』 『わ、分かった。大丈夫だ、行くよ。それで』 『それじゃ、待ってるからな』 『おい、行。行…?』 行の電話はやっぱり用件のみで切れてしまった。 しかし、『渡したい物』などと言われると、必要以上に期待してしまう自分がいる。しかもなるべく早く来いとまで言われては、黙ってはいられない。いっそ今からでも飛んで行きたいくらいだ。さすがにそれは無理だが。 そこでさっそく、いそいそと鼻歌まじりに、明日の準備をする仙石なのだった…。 そして翌朝。 仙石は車をひたすらぶっ飛ばして、行の家に辿り付く。行は低血圧なのか、朝は遅い。おそらくまだ眠っている時間だろうとは思ったが、構わずドアベルを鳴らした。 一度や二度では応答がないので、しつこいくらいに鳴らし続けていると、ようやくのろのろとドアが開き、行が出てくる。そして二人の目が合った瞬間に怒鳴りつけられた。 「うるせえ。何しに来た」 仙石は少なからずショックを受ける。 昨夜の電話は、夢か幻だったとでもいうのだろうか。たまには行から電話してくれないか、とずっと思っていたから、妙な幻覚を見たのだろうか。いや、電話だから幻聴か。 「お前が来いって言ったんだろ…?」 激しく自信を失いながらも、恐る恐る尋ねてみると、行はぷいと背を向けて小さくつぶやいた。 「ああ、そうだったな」 「なるべく早くって、お前が」 仙石がなおも言い訳がましく付け加えると、行の顔がまたこちらを向く。そのまなざしは冷ややかだ。 「それは時間のことじゃない。今日が駄目なら早いうちに、という意味だ。そんなの、あんただって分かってるだろ」 「…まぁな」 仙石は返す言葉もない。行に言われた通りに急いで参上した仙石だったが、なぜか申し訳なさそうに小さくなって家に入るのだった。 「あんたに渡したい物というのは、これなんだ。浦沢に見つからないうちに渡しておこうと思ってな」 行はいつでも単刀直入である。 家の二階にあるアトリエに上がった仙石は、おもむろに一枚の絵を手渡された。 「これ…、お前の絵か?」 もちろん絵の隅にはちゃんと『克美』のサインもある。 が、それでも尋ねてしまったのは、あまりにも仙石が知っている行の絵とは違っていたからだ。普段目にする油絵ではなく水彩だということを差し引いても。 それは美しい絵だった。 色鮮やかな新緑の木々の中心に、一本だけ凛と立つ桜の木。すでに花は満開で、薄桃色の花びらが風に散らされ、周囲に舞っている。その一面には、やわらかな朝の光がきらめいていた。 ただひたすらきれいな物だけを集めて作り上げた世界だ。 「どうせオレらしくないって言うんだろ」 行はどことなく拗ねた口調になる。疑われたことが悔しいのだろう。 しかし仙石が見たことのある行の絵は、いつも暗い色調で吸い込まれるような、あるいは突き放されるような海を描いたものばかりで、この桜の絵とは全く雰囲気が違っていた。 それでも、どちらも素晴らしいことには変わりない。 それに…。 「いや、お前らしいよ」 仙石は心からそう思った。 まっすぐに一本だけ美しい花を咲かせている桜は、まるで目の前の行のようだったから。ここで、同じ場所で、二人でこの桜を見たことを、思い出さずにはいられないから。 「ありがとう」 仙石が言うと、行はなぜかまたそっぽを向いた。 そしてぼそぼそとつぶやく。 「オレも…、お礼のつもりで」 「ん?」 「あんたが、その桜のことを教えてくれたから」 「そうか…」 仙石は微笑んだ。自分のために絵を描いてくれたことも、もちろん嬉しかったけれど、それ以上に、行が桜を喜んでくれたことの方が、ずっと嬉しかった。 もう一度、仙石は桜の絵に目を落とした。 そこにはただひたすら美しい世界。 こんな世界を一緒に見つめることが出来る人がいる。この美しさを分かち合うことの出来る人がいる。それはどれほどに幸せなことだろう。 「また来年も見ような、二人で」 そう言うと、行はこちらに向き直り、ほんの少し微笑み、こくりとうなずいた。 そんな行はとても可愛らしく見えて、仙石は思わず抱きしめてしまう。そして怒った行に殴られるのだった…。 おわり |
ここまで読んで下さってありがとうございましたm(_
_)m
あはは。なんか、仙石さんが乙女だわ。 こんなんで良いのか、48歳。 すみません。 もっとカッコイイ仙石さんも書きたいですが、 どうも情けないというか、ダメですね(苦笑)。 ただ単に行が仙石さんのために絵を描く話 というのを書きたかっただけです。 それもすごく思い入れのある絵という訳じゃなく、 さらっと思いつきで描いてみたという感じの。 だから水彩にしてみたんですけど。 基本的に絵の知識がないので、どうだろう(笑)。 2005.04.19 |