『花の下にて』 |
「行、花見に行かねえか? ちょうど満開だぜ」 どうせ断られるだろうと覚悟の上で、仙石は行に尋ねる。 朝も早くから鳴らされたドアベルの音に、見るからに寝起きの顔で出てきた行は、案の定、即答した。 「行かない」 「まぁ、そう言うなって」 言いながら、行の肩を抱くようにして、すかさず家の中に入り込む仙石だ。 ソファに二人並んで座りながら、しつこく勧誘を続ける。せっかくこんなに遠くまで時間を掛けてやってきたのに、手ぶらでは帰れない。 「特に用事も無いんだろ?」 「仕事がある」 あくまでも、取りつく島のない行であるが、仙石はそんなことには慣れている。 「仕事なんて、いつでも出来るじゃねえか。桜は今しか見られないんだぞ」 「来年も咲くだろ」 「お前なぁ…」 仙石は盛大な溜め息を吐きながら、行の髪をくしゃくしゃと掻き回した。 こうすると、行はいつもくすぐったそうに首をすくめるが、決して抵抗はしないから、嫌ではないのだろう。…と、仙石は勝手に思っている。 初めて出会った頃よりも、ずいぶん伸びた行の髪は、仙石の武骨な指先にやわらかく絡んだ。 それでも掴めそうで掴めずに、指の端からするりするりと逃げていく。こんな所まで、如月行は、やっぱり如月行なのだ。 「今年の桜は今年しか見られねえだろ。それに画家なら、きれいな景色を見るのは悪いことじゃねえと思うぜ」 まっすぐに前を見て、全く表情の変わらない行に、仙石が説教めいた口調で言うと、行はつと、こちらに視線を流した。そしてぼそりとつぶやく。 「きれいならば、な」 「桜はきれいじゃねえか」 行の言わんとすることが分からずに、仙石は首をかしげる。すると、行はどうしてそんなことも分からないのか、と言いたげな軽蔑しきったまなざしになった。 「花見で浮かれきった人間たちは、醜悪だ。見るに耐えない」 「そうか? 俺はああいう馬鹿騒ぎも嫌いじゃねえけどな」 「あんたはそうだろうな」 行の目がますます冷ややかになるので、仙石は慌てて話を変えることにした。 「それじゃ、人が居ねえ所なら良いんだろ? 桜を見るのは嫌いじゃねえよな」 「ああ」 行は短く応えたが、すぐに付け加えた。 「でも、この時期に、人の居ない所なんて無いだろ」 ちょっと拗ねたような顔の行は可愛らしく、仙石は思わず頬をだらしなくゆるめた。そしてそのまま問答無用で、行の身体を横抱きにする。 「よっと」 「…な、何するんだ」 「どうせお前のことだから、気付いちゃいないだろうと思ってな」 いきなりのことに抵抗を見せる行に構わず、仙石は行を抱いたまま、二階に上った。 そこには大きく取られた窓の広がるアトリエがある。もちろん行の仕事場だ。窓の向こうには館山港の青い海が、陽射しを受けてきらきらと光っていた。 「ここが、どうかしたか」 行にとっては、毎日のように眺めている景色であるから、仙石の意図が分からないに違いない。抱きかかえられているのも不満らしく、盛大に眉間にしわが寄っている。それでも仙石は下ろしてやるつもりは無かったが。 「この前来た時に、桜の木があるのに気付いたんだよ。その時は咲いていなかったけどな。そら、今は満開だ」 仙石は言いながら、行を窓辺に連れて行った。ガラスに頭をぴったりと付けると、この家を取り囲むうっそうとした木々も目に入る。 そしてその中の一本が桜の木だった。ちょうど二人の目の下で、薄桃色の花を一杯に咲かせている。 「お前はいつもここの真ん中に座って絵を描いているから、気付いてねえだろうと思ったんだけどな」 「…ああ、知らなかったな」 行は両手とひたいを窓に貼り付けて、じっと桜を見つめていた。そんな仕草は子供のようで、仙石は何となく『動物園に息子を連れてきた父親』気分になる。かつては娘をこうして抱いてやったものだ。 …何を考えているんだ、俺は。 仙石は慌てて行の身体を下ろした。行とは確かに親子ほども歳が離れてはいるが、親子ではない。そんなことを思いたくもなかった。 いきなり下ろされた行は、不思議そうな、どことなく物足りなさそうな顔をしていたが、またすぐに桜に目を移した。そしてぽつりとつぶやく。 「きれいだな…」 「こんな花見も悪くないよな」 仙石の言葉に、行もこくりとうなずいた。 それから二人、どのくらい桜を眺めていただろうか。ふいに行が、謳うようにつぶやく。 「願わくば 花の下にて 春死なむ。その如月の 望月のころ…」 「西行法師か」 そのくらいは仙石でも知っていた。 「何となく覚えていたんだ。自分の名前が入っていたからかもな」 「ああ、『如月』な」 「それに…」 「ん?」 行の口調がどことなく変わったような気がして、仙石は静かに尋ねる。 「それに、オレにも分かる気がするんだ。花の下で死にたいと思う気持ちは」 「…行」 そう言う行の表情からは、何も読み取ることはできなかったが、それだけに仙石は胸を痛める。 目に浮かぶようだった。桜の花びらが舞い散る中で、一人静かに眠るように逝く行の姿が。それはどれほど美しい光景だろうか。 そして、どれほど哀しい光景だろうか…。 「死ぬなよ」 仙石は思わず行の身体を抱きしめた。桜のように潔く散ってしまいそうな、身体と心を繋ぎ止めるかのように強く、ひたすら強く。 すると、行はくすりと微笑む。 「何言ってる」 ただの例え話だろ、と言いながらも、行は何気ない口調で付け加えた。 「死ぬならやっぱり、海が良い」 「……洒落にならねえよ」 「そうだな」 おそらくどちらの目にも、あの日の海が映っていたに違いない。 それから二人は、何も言うことなく、ただじっと桜を見つめ続けるのだった…。 ── 願わくば 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ── おわり |
ここまで読んで下さってありがとうございましたm(_
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すみません。ありがちな話というか、 桜の季節にはお約束のネタでございます(苦笑)。 でも、これ絶対にやりたかったんですよ。 だって「如月」だし(笑)。 詩の雰囲気は、ジパの如月さんの方が似合うかもしれないですが、 そちらでも使いたいネタではあります。 いつかきっと、やります(爆)。 花見ネタでも、あんまり楽しくならなかったのが、 いかにも私らしくて笑っちゃいます。 コメディが書けないんですよね。 特にこの二人だと難しいです(というか、行が)。 とは言っても、シリアスもあんまり書けないけど。 じゃあ何が書けるんだよ…。 えーっと、中途半端なほのぼの話?(苦笑)。 2005.04.14 |