【えせほし─似非星─ 】 kyo-ko

『 1/365 』



 ──それは、何の変哲もない一日だった。
 少なくとも如月行にとっては、一年のうちの1/365というだけであり、昨日とも明日とも変わりのない日でしかなかった。
 そう、仙石と出会うまでは……。


 ピンポンピンポンピンポーン──。
 荒っぽいドアベルの音で、誰が来たかがすぐに分かる。行は寝ぼけ眼でぼんやりとベッドの横の時計に目を向けた。
「まだ10時だ……」
 昨夜は絵を書くのに夢中になって、気が付いたら白々と夜が明ける時間になっていたから、慌てて眠りに就いたのである。たった数時間しか経っていない計算だ。

「こっちの身にもなってみろ」
 行は一人でぶつぶつとつぶやくと、仕方がなくベッドから起き上がった。その間も玄関ではうるさいほどのドアベルが鳴り続けている。眠るどころではない。
「……いい加減に」
 いい加減にしろ、と言いかけて、ドアを開けた瞬間、パンパンパンと鋭い破裂音が響き渡った。

 それが何かと考えるよりも早く、訓練された身体は自動的に動いて、勢いよくドアを閉めると、すぐ隣の洗面所に転がり込んだ。
「まさか……、襲撃?」
 身体に痛みや出血もなく、撃たれた痕跡はないけれど、誰かが仙石のふりをしてドアを開けさせた可能性はあるだろうか。
 だが、自分が仙石のドアベルと彼の気配を間違えるはずもない。まぎれもなくドアの外に仙石はいたはずだ。となれば……。


「仙石さん!!」
 にわかに彼の身が案じられて洗面所を飛び出した行は、ドアを開ける前に、玄関先に何かが落ちていることに気が付く。子供がゴミを巻き散らかしたような、色とりどりの……。
「これは……」
 行が身をかがめて、それを拾い上げるのと、ドアが再び開くのとが同時だった。

「おいおい、いきなり閉めるなよ。びっくりするだろ」
 開いたドアの向こうに立っているのは、もちろん仙石だ。
 その無骨な手には似合わない可愛い小さなものを握りしめている。そこからカラフルな紙テープが伸びていて、だらりと垂れ下がっていた。つまりはクラッカーだった。

「びっくりしたのは、こっちだ!」
 行は怒りをあらわにして声を荒げた。
 いくら現場から離れて時間が経ったとはいえ、こんなオモチャと銃声とを勘違いするなんて情けなくて恥ずかしい。
 慌てて飛びのいて、廊下でごろごろやっていた自分がバカみたいではないか。というよりもバカそのものだ。


 しかし仙石は反省した様子もなく、能天気な笑顔を浮かべて大きな声で叫んだ。
「誕生日おめでとう!」
「はぁ?!」
「今日、お前の誕生日じゃねえか。だからだよ。サプライズって奴だ」
 仙石にいかにも得意げな顔をされて、行はますます腹を立てた。

「何がサプライズだ。驚かすどころか、脅かしてどうする。バカじゃないのか、あんたは。そんなことをしてオレが喜ぶとでも思ってんのか。少しは考えろ」
 感情の赴くままに一気にまくし立てると、ふいに仙石の顔から笑みが消えた。そしてぼそりとつぶやく。
「……すまん」

「あ……」
 その姿に行はハッとした。仙石は自分のためにわざわざ来てくれて、誕生日を祝ってくれたというのに。
「……ごめん。オレも言いすぎた」
「いや、俺も悪かったよ。お前はこういうの喜ぶタイプじゃねえもんな。でもよ、二人で過ごす最初の誕生日だろ? だから何かしてやりたいって思ってな」
「仙石さん……」

 言われてみれば、そのとおりだった。
 仙石と再会したのは去年の初夏のこと。それからお互いに想いを打ち明けて恋人同士になって、初めて迎える行の誕生日だ。
 誰かに誕生日を祝ってもらった記憶は、もう遠い彼方に消えていたから、今日が何の日かすら認識していなかったというのに。
 仙石は自分の誕生日を覚えていてくれた。そして祝ってくれるという。
 ……こんな幸福が他にあるだろうか。


「ありがとう……」
 本来ならば一番先に言わなくてはならなかった言葉を、ようやく口に出来た行に、仙石は弾けるような笑みを浮かべた。
「ケーキも買ってきたぞ。だから入れてくれ」
「あ、ごめん……」
 行は慌ててドアを大きく開けて、仙石を中に招き入れた。
 すると、仙石は両手にたくさんの袋をぶら下げている。この状態でクラッカーを鳴らしたのだとしたら、かなり大変な作業だったに違いない。行はますます申し訳なくなった。

「荷物、持つよ」
 せめてこのくらいは、と思って手を差し出すと、仙石はあっけらかんと笑う。
「何言ってんだ。お前の誕生日だろ。のんびりしてろ」
「でも……」
「今夜はじっくり煮込んだ特製カレーを作ってやるからなー」
「うん、ありがと」

 そんな会話を交わしているうちに、キッチンまで辿り着いてしまう。結局、行は何も出来なかった。
「さてと、これから準備だ。時間が掛かるから、お前は本でも読んで待っててくれよ」
「……分かった」
 ここで手伝うと言っても、誕生日だから、と仙石に拒否されてしまうだろう。それに行の料理の腕前では大した戦力にもならないのだ。言われたとおりに大人しく待っている方が、お互いのためにも良さそうだった。


 行は仕方がなくリビングのソファに寝転がって、読みかけの本を手に取った。ぼんやりと活字を目で追うが、仙石のことが気になって、内容が全く頭に入ってこない。
「……ダメだ」
 行は深い溜め息を落とすと、本をテーブルに放り出した。
 そしてふと思い出し、玄関へと向かう。


 そこには仙石が鳴らしたクラッカーから飛び出した色とりどりの紙が、まだ散らばっていた。
 元自衛官の仙石は片付けることは得意で几帳面ではあるが、さすがに料理に精一杯で、こちらまでは手が回らないようだった。
 そこで行は黙々と片付けを始めた。仙石に気付かれたら、そんなことするな、と怒られるだろうから、こっそりひっそりと。

 やがて、すっかりきれいになり、玄関の中にも外にもチリ一つ落ちていない状態になった頃、仙石の大きな声が響いた。
「おーい、行。昼飯にするぞー!」
「え……、もう?」
 いつのまにそんな時間になってしまったのかと驚きながら、行がダイニングに向かうと、テーブルの上には美味しそうなナポリタンが乗っていた。

「ちょっと手抜きだけどな。その分、夕食に期待してくれよ」
「うん、いただきます」
 行は大人しく席に着くと、黙々とナポリタンを口に運ぶ。仙石は手抜きだといっていたが、味の違いは分からなかった。
「やっぱり玉ねぎを入れるべきだったか。カレー用に使い切っちまったんだよなぁ」
 仙石は一人でつぶやきながら、豪快にフォークに麺を巻き付けて、大きな口でばくばくと食べてゆく。行の三倍くらいのスピードがありそうだ。

 仙石の方が後から食べ始めたのに、行と同時に食べ終わる。そこで行は断られるのを覚悟で申し出てみた。
「片付けはオレがやるよ」
「いいから座ってろって。お前の誕生日なんだからよ」
 やっぱり予想通りだった。
 仕方がなく行はリビングに戻り、先刻と同じようにソファで本を取り上げた。そのままいったい何ページくらい読んだのだろう。おそらくは片手で数えられるほどだ。


 次に気が付いた時には、仙石に揺り動かされた所だった。
「行、起きろ。待たせちまったな。準備が出来たぞ」
「……オレ、寝てた?」
「ああ、ずっとな。さては昨夜あんまり寝てなかったんだろ?」
 仙石の推測は当たっているので、行は小さくうなずいた。
 いつもならば、夜更かしするな、と怒られる所だが、今日はゲンコツも小言も降ってこなかった。誕生日だから大目に見てもらえたらしい。

「ほら、こっち来いよ」
 仙石に促されるままにダイニングに行くと、テーブルの上はまるでパーティ会場のようだった。二人で食べるとは思えない量だ。
 中心にはろうそくの立てられた大きなケーキ、ボウル一杯に盛られたサラダに、山盛りのカレーに薬味、色とりどりのフルーツの盛り合わせなど、全てがとにかく大きくて豪華な盛り付けなのは、いかにも仙石らしかった。

「……すごいな」
「だろ? 奮闘した甲斐があるってもんだ。そら、早く座れ。ろうそくに火を点けるから」
「わ、分かった」
 行があたふたと席に着くと、仙石はケーキのろうそくに火をともす。大きなものが2本と小さなものが3本。それを見て、行は自分が23歳になったのだと知った。

「電気消すぞ」
 その声と共に電気が消えて、テーブルの上のろうそくのほのかな明かりだけが、やわらかく辺りを照らした。その火を見つめていると、どこか胸が締め付けられるようで、行は唇を噛みしめる。
「ハッピーバースデー ツーユー」
 いきなり仙石が野太い声で歌い始めた。声が大きいだけが取り柄の少し音程の外れた歌は、それでも行の心にゆっくりと染み込んでゆく。


 誰かにこんな風に誕生日を祝ってもらったのは、何年ぶりだろうか。
 はるか遠い昔に、母と二人で小さなケーキにろうそくを点けて、ささやかな誕生日を祝った記憶は、おぼろげながらに残っているけれど。
 もう今となっては、その母の顔もあまりよく思い出せない。
 だが、それで良いのかも知れなかった。喪ったものもあるけれど、新しく手に入れたものもある。
 誰よりも大切な愛する人が、自分の生まれた日を盛大に祝ってくれるのだから。

「ほら、早く消さないと、ろうそくが溶けちまうぞ」
 仙石の声に行は我に返った。
『お願い事を心の中に思い浮かべて、ろうそくを消すのよ』
 ふいに母の声が頭の中によみがえる。
「うん、分かったよ、母さん」
 行は小さな声でつぶやくと、心の中でたった一つの願いを思った。
 ……ずっと仙石さんと一緒に居られますように。

  行がろうそくを一息に吹き消すと、そのタイミングを見計らったように、仙石が電気をつける。目の前にいきなり仙石の明るい笑顔が飛び込んできて、行は両手で顔を隠した。
「どうした、行」
「何でもない。急に明るくなったから眩しくて」
「そうか。早く食べようぜ。カレーが冷めちまうぞ」
「うん、分かった」
 ……でも、もう少しだけ、このままでいさせて欲しかった。目が潤んで、前が良く見えないから。涙が乾くその時まで……。



          おわり


ここまで読んで下さってありがとうございましたm(_ _)m

はい。行の誕生日記念でした。
ちょっと遅れちゃったけど……。

行の誕生日話は以前に書いた記憶があったので、
ずっとやっていなかったのですが、
今回思い返してみたら、同人誌で出しただけでした。
うーん、記憶ははるか彼方です(苦笑)。

ちなみに行仙行アンソロに出した原稿を、
『あなたがわたしにくれたもの』に再録したものです。
でも、そちらの在庫ももうほとんど無い状態だし、
新たに再版する予定も無い、という訳で。
誕生日ネタを解禁してみたのでした。

あ、でももちろん新規に書いてますよ。
以前とはずいぶんテイストが変わった気がします。
特に行たんのキャラ設定が違いますね。
すっかりめそめそした子になりました(苦笑)。
同人誌をお持ちの方は読み比べてみると面白いかも。
でも古い作品を読まれるのは恥ずかしいかも(笑)。

2010.02.04

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