『一年後』 |
ある日のこと。 仙石と行は、銀座の雑踏を歩いていた。行が画廊に用事があるというので、ついでだからと仙石も付いていったのだ。 どうやら画廊のオーナーには仙石は嫌われているらしく、目も合わせてくれないから、隅の方で所在なさげにしていると、人あたりの良い笑みを浮かべたスーツ姿の青年が現れて、仙石の相手をしてくれた。どうやらこの画廊の公認会計士らしい。 ワガママできまぐれなオーナーに困っていると苦笑していたが、決してそれが嫌ではないのだろう。仙石自身の恋人も一筋縄ではいかない相手だから、その気持ちは良く分かった。 そうしてお互いにぽつぽつと話をしているうちに、行の用事も済んだらしく、二人はそそくさと画廊を後にした。もちろん愛想よく見送ってくれたのは会計士だけで、オーナーはすぐに奥に引っ込んでしまったのだったが。 それからは、他の画廊をチョコチョコと覗いてみたり、書店で画集を眺めたり、文房具店で画材を物色してみたり。歩行者天国をのんびりと歩きながら、銀座の街を存分に探索した。 やがて二人は数寄屋橋交差点に差しかかる。 広々としたスクランブル交差点を渡っていると、これまで両脇にそびえていたビルの威容から、ようやく解放された気持ちになった。 人込みの中もそれほど心地良いという訳ではないが、人間味を感じさせない無機質なビルの谷間を歩くのは、仙石にはひどく息苦しく感じられるから、この方がずっとマシだ。 そして、仙石はふと曲面を描いたビルのガラスの壁面を目にして、懐かしさを覚える。見上げれば、そこには大きな『不二家』の看板があった。 つと足を止めた仙石を、隣を歩いていた行が不思議そうに見つめた。その間も人の波は途切れることはなく、立ちつくす仙石の大きな身体は、明らかに通行人の邪魔になっていた。 「どうした、仙石さん」 行の言葉に仙石はハッとして、また歩き始める。どうにか交差点を渡り切ってから再び立ち止まると、ぼそりとつぶやいた。 「あれから、ちょうど一年だな……」 「ん?」 仙石の言葉に、行が可愛らしく小首をかしげるから、仙石は苦笑を浮かべながら説明をしてやる。 「実はな。あそこの真ん中で、大声で叫んだことがあったんだ」 「……いったい何の話だ」 すかさず行は形の良い眉をひそめて不機嫌そうな顔になった。 「一年前の話さ」 「だからそれが何なんだ」 焦れたように行がつぶやくが、仙石は笑うばかりで答えてやらない。正確には、答えるのが照れくさかっただけだ。 てっきり死んだと思っていた行が生きていることを知り、どうにか会いたくて、会いたくて仕方がなくて、『一度で良いから会わせろ!』と交差点のど真ん中で叫んだ、なんてことを、本人の前で言えるはずもない。 「もう昔の話だよ」 「そんなんじゃ分からない。ちゃんと説明しろ」 「そのうちな」 珍しくしつこく食い下がる行に、仙石はごまかすように答える。が、それで納得する行ではなかった。 「そのうちって、いったいいつだ。明日か、明後日か」 「ったく、お前は子供か。そのうちはそのうちだ。いつか話す気になったらな」 「ふざけるな。ちゃんと約束しろ」 「それが出来るなら苦労はしねえよ。話せないことってのもあるんだ」 「何かやましいことでもあるのか」 「そんなんじゃねえって」 「それなら話せるだろ」 「だから、そのうちにな」 「そのうちっていつだ」 これでは堂々巡りである。 不二家の前で、やいのやいのと言い合っている二人を、周囲の人が奇妙な目で見つめていく。それにようやく気付いた仙石は、慌てて行の腕を取り、その場から逃げるように立ち去った。 さっきよりは多少は人けの少ない路地に入ると、仙石は行の腕を離す。しかし行は子供っぽく拗ねた顔で、仙石がきちんと説明するまでは、どうしても聞き分けてくれそうになかった。 「しょうがねえなぁ……」 仙石は大きく嘆息する。そして、口の中でつぶやくように説明を始めた。 「だからな。お前が生きていると知ってから、どうしても会いたくてよ。あそこで叫んだんだよ。『一度で良いから会わせろ!』ってな。それだけだ」 言葉にしてしまえば、たったそれだけのことだが、そこに込められた自分の想いはそれほど簡単なものではない。 ……これじゃ、愛の告白じゃねえか。 周囲に人がたくさん歩いているような銀座の街中で言うことではないと思ったのだが、それを聞いた行は、なぜか不敵に微笑んだ。 「ようやく白状したな」 その表情と口調で、仙石は全てを悟る。 「……お前、さては知ってたな」 「ああ。画廊のオーナーから全部聞いていた」 仙石は思わず舌打ちをした。 「それなら言わすなよ……」 愚痴をこぼす仙石に、行はいたずらっぽく笑う。 「せっかくだから、ちゃんとあんたの口から聞きたかったんだ」 「もう二度と言わねえからな」 今度は仙石が拗ねる番だ。 すると、行は真剣なまなざしになり、そっとささやく。 「……ああ。一度で十分だよ」 こちらを見つめる行の深い色の瞳に、言いしれぬ想いが宿っているようで、仙石は居たたまれない気持ちにさせられた。周囲に誰もいなければ、すかさず抱きしめてキスの一つもする所だが、銀座の真ん中ではそうもいかない。 「……帰るか」 「そうだな」 続きは家に帰ってから。 そんな暗黙の了解の下に、二人は家路につくのだった……。 おわり |
ここまで読んで下さってありがとうございましたm(_
_)m
これはサイトの一周年記念SSです。 一年なんて、あっという間ですね(苦笑)。 銀座の話を書こうと思ったら、 何となく画廊の描写も入っちゃいました。 という訳で、シリーズ本編と共通する設定です(笑)。 オーナーと会計士の話も書きたいな。 ちなみに原作で仙石さんが叫んだ銀座の交差点は、 場所が特定されていなかったと思いますが、 「不二家」の記述があるので、 勝手に数寄屋橋交差点だと判断しました。 とても広いスクランブル交差点です。 そんなところで叫んだら目立つに決まってます(笑)。 愛だなぁ〜。 ついでに蛇足ながら、行がオーナーから 仙石さんのことを聞いていたという話は、 『待ち人来たる』をご参照ください。 そんな経緯でしたとさ。 2006.02.02 |