『ダイヤモンド』 |
──行を護りたい。 …俺は時折、どうしようもないほどに、そんな思いに駆られることがある。 夜、同じベッドに寝ていても、傍らでじっと息を殺して、俺の気配をうかがっている背中を見た時。 ソファの上でひざを抱えて、まるで胎児のように丸くなって座り、小さく唇を噛みしめている姿を見た時。 俺のカップを割ってしまい、茫然とした様子で割れた欠片を見つめて、床にしゃがみ込んでいる姿を見た時に。 ……こいつには、俺がいてやらなくては駄目だ、と思うのだ。 それはただの自己満足かもしれないけれど。 今更、父親のように……、なんて白々しいことは言えないが、『行を護る』という想いは、まるでそれが俺の使命でもあるかのように、いつの間にか俺の中に宿っていた。 だが、それを行に言うことは出来ない。 俺がそんな風に思っていると知ったら、あいつはきっと傷つくだろう。 『オレは弱くなんてない。あんたに護られる必要なんてない』 そう言う姿すら、想像できるような気がした。 しかし、それがお前の弱さなのだ、と、俺は行に教えてやりたい。 自分の弱さに気付いていない者が、本当は一番弱いのだ。 ぽっきりと折れてしまうまで、そのことに気付かないから。 精神の強さと肉体の強さのアンバランス、それこそが如月行の魅力でもあるのだろうし、俺が惹かれている原因でもあるのだろうが、行にとっては、そのままで良い筈がないのだ。 とはいえ、そんな行に『強くなれ』と言葉で言うのは簡単だが、それでいきなり強くなれる訳もない。 心の強さとはいったい何だ? 傷つかないことか、傷ついてもすぐに立ち直ることか。 それとも、傷ついたことを、決して忘れないことだろうか。 ダイヤモンドは衝撃に弱いという。 強いことが壊れないことと同じではない。 そのことをどうやって、あの頑なな魂に教えてやれるだろうか。 あえて言うなら。 自分が弱いことを認めないことが、弱さだと。 自分が強いと思っていることが、弱さなのだと。 そして、その弱さは誰もが抱えているものであり、恥じることでもなければ、恐れることでもないのだ、ということを。 自分の弱さを自覚することで、初めて他人の弱さを認めてやることも出来るのではないだろうか。 強さや力は表面上に見えるだけのものだが、表に現れない弱さをも理解し、それを互いに分かち合うことが出来れば、それが深い絆となるのではないだろうか。 行にとっての弱さとは、自分が誰かを頼りにしたり、必要としているということを、自分で認められないことだ。 たった一人で生きていけると思っていることだ。 だが、心のどこかでは、それが間違いだと分かっている。 ……これは大いなる思い込み、あるいは自惚れかもしれないが、俺と関わり合ったことで、行はそれを知ったのではないのかと思っている。 だからこそ、行は決してそれを認めないのだ。 自分が俺を頼ったり、俺に助けられたりしたことに、行の高いプライドはさぞや傷ついてるのだろうから。 むしろ、より頑なに、もう決して俺の力は借りるまい、と心に誓っていたとしてもおかしくない。あんな醜態をさらすのはゴメンだと思っていたとしても不思議ではなかった。 俺の想いは全く正反対だというのに。 もっと俺を頼れ、俺に甘えろ、お前の弱い所を見せてみろ、と思っているというのに。 ──それでも、いつの日か。 行が自分の弱さも脆さも何もかも、さらけ出してくれる日が来ることを、俺は強く信じているのだった……。 おわり |
ここまで読んでくださってありがとうございました。 少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。 すみません。いきなり謝ります(笑)。 全く読む人のことを考えずに、自分の書きたいものを書きました! しかも内容がほとんど無くて、 私のイメージする仙石さんはこんな感じ、 行はこんな感じなんだよー!というだけのことです。 相変わらず辛気くさくてスミマセン。 2006.09.11 |