『抱きしめたい』 |
(1)感動の再会を終えた俺たちは、どことなく気恥ずかしいような、座り心地の悪いような気持ちで、行の家に戻った。正確には、今の行が住んでいる館山の自宅だが。 それからの時間はあっという間だった。 行も自分の家に居ることで落ち着いたのか、まるで別人のように良くしゃべったし、俺はもちろん話の尽きることが無かった。二人で和やかな夕食を済ませた後、ふと気付いた時には、すでに9時を回っていた。 「おっと、こんな時間か。もう帰らないとな」 俺が何気ない口調でそう言うと、向かい側のソファに座っていた行が、ハッとした様子で顔を上げた。 そしてまたすぐにうつむく。口の中で何やらつぶやいていたようだったが、独り言で俺に聞かせるつもりはなさそうだ。本当に伝えたいことだったら、はっきりと言うだろう。 「じゃあな、行」 名残惜しい気はしたが、これが今生の別れになる訳ではない。またいつでも会えるのだ、俺たちは。 重い腰をソファから持ち上げて、俺はうつむいたままの行の頭をくしゃりと掻き回した。 すると行は、俺の手のひらの下で顔をおずおずと上げると、上目遣いにつぶやく。 「泊まって行けばいいだろ。どうせ、もう電車ないし。ここは田舎だから」 「え……」 俺は思わず絶句した。 いくら俺でも、帰りの電車の時刻くらいは調べてある。ここから館山駅まではそれほど遠くない。今なら十分に間に合う時間だった。そして、地元の行が電車の時刻を知らないはずもないだろう。 ということは、つまり……、どういうことなのだ? 誘われているのか?と即座に思ってしまった俺は、自分でも馬鹿だと思う。こいつにそんな芸当が出来るものか。 本当にただ単純に、もう遅いから泊まって行けば良いじゃないか、とそんな他愛もない言葉に過ぎないのだろう。おそらくは。 調子に乗るなよ、仙石恒史。 こいつの言葉には、そんな深い意味なんてありゃしないんだ。 都合の良いことを考えて、後でがっかりするのは自分だぞ。 俺の理性はそう告げていたが、行の表情を見た瞬間、そんなものはどこかに吹っ飛んでしまった。 俺の手に髪を撫でさせながら、行は恥らったように目を伏せている。長いまつげがためらいがちに震え、頬はほのかに赤く染まっていた。 賭けてもいい。俺の勘違いじゃない。行は明らかに俺を誘っている。少なくとも、俺を引き留めたいと思っているのは確かだ。 俺は行の座っている二人掛けのソファに、無理やり身体をねじ込むようにして腰を下ろした。行が慌てて身体をどかして、俺のスペースを作るが、それでもお互いの体温が感じられるほどに、二人の距離は近い。 行はもう耳まで赤くして、俺に背中を向けながらつぶやく。 「どうなんだ。泊まっていくのか、いかないのか」 精一杯の虚勢を張っている様子に、俺は思わず微笑んだ。正確には、だらしなくニヤけたというのが正直な所だ。こいつが可愛くてたまらない。 だからこそ、これはいったい何の試練なのか。 素直に手を出して良いのだろうか。俺の忍耐力が試されているのだろうか。 「……良いのか?」 俺はあえて尋ねた。ダメ押しだ。ずるいやり方だと思う。俺が決めることが出来ないから、決定権を行に委ねた。 それなのに、行の答えときたら。 「……好きにすれば良いだろ」 だから、それはどういう意味なんだ。 好きにして良いってことか。どうにでもしてくれってことなのか。 俺は後ろから行の身体を抱きしめてしまいたい衝動を、必死に堪えた。自分でも何をやっているのか、良く分からない。 我慢したいのか、したくないのか。 自分の気持ちすら、把握出来なくなって、俺はとにかく行動に移してみることにした。 右手を伸ばして、行の肩にそっと触れる。それだけで行が身体を硬くしたのが感じられた。 ……やはり無理か、と思った。 それと同時に、行も少なからず俺のことを意識しているのだと分かった。 行の鍛えられたしなやかな身体が、俺の手のひらの下で小さく震えていた。まるで恥らう乙女のように。 それでも、行は熱を帯びていく。俺の触れている場所から少しずつ侵食されるように。 日が落ちてからは、すっかり気温が下がって肌寒いほどで、俺が最初に触れた時の行の肌はシャツの上からでもひんやりと冷たかったというのに。 今はもう、身体を接している俺の方が火照ってしまいそうなほどに、行の身体は熱くなっていた。長く伸びた髪の下から覗く首筋に、うっすらと汗が浮かんでいる。 それを目にした俺は、突き上げられる様な衝動を覚えた。匂い立つとでも言うのか。フェロモンと言ってしまえば簡単だが、そんな即物的なことではなく、そこはかとない色気を行から感じたのだ。 キスしたい、と思った。 この肌に舌を這わせ、唇を強く当てて、吸い付いて、俺の痕を付けてしまいたい。誰にも渡したくない。 俺の、俺だけの行でいて欲しい……。 「帰りたくねぇな……」 俺はぽつりとつぶやいた。 その言葉に弾かれたように行が振り向く。俺を静かに見つめる瞳の中に、まぎれもなく歓喜の色が見て取れる。 ……もう、限界だった。 あまりにも余裕がなくなっている自分に苦笑しながらも、俺は行の身体を抱きしめた。 「……仙石さ……っ」 行が戸惑ったような声を上げるが、それでも俺の腕を振りほどくことはない。そのことに安堵する。行が本気を出したら、俺など指一本で無力化してしまうだろうから。そうしないのは、多少なりとも期待して良いということか。 ……ああ、行だ。 こうやって抱きしめていると、行の鼓動やぬくもりを感じられる。確かに行は生きて、俺の前にいるのだと信じられる。 俺はずっとこうしたかったんだ。 行は死んでいると思っていた。生きているかもしれないと思った時も、実際に会うまでは信じられなかった。生きている行を目の前にしても、まだ心のどこかでは実感出来ていなかった。 だから、この手で触れて、俺の全身で行を感じたかった。 いや、そんなことは単なる方便に過ぎないのかもしれない。どんな理由をつけようとも、俺が行を欲しいと思い、抱きたいと思っていたことは、紛れもない事実なのだから。 だが、こうして抱きしめてみると、行は俺の思っていたよりも、ずっと頼りなく、きゃしゃに感じられる。腕も肩も俺よりずっと細い。腰回りなんて、俺の半分くらいしかなさそうだ。いくら何でもそれは大げさか。 だとしても。 こいつはこんな細い身体で、ずっと戦ってきたんだ……。 俺の心に、行への愛しさが込み上げてくる。胸が締め付けられるほどに。 きっと行は、俺の想像も出来ないような日々を越えてきたのだろう。もしかしたら今もなお、そんな生活が続いていたかもしれない。たとえ、生きていたとしても、戦いから逃れられなかったかもしれない。 ダイスが行を解放した理由は、俺には分からない。 優秀な工作員への温情か。あの時のケガのせいで本来の働きができなくなったのか。『考える前に撃つ』ことが出来なくなってしまったからか。 どんな理由があるとしても、行がダイスの工作員としてではなく、ただの画家として、俺の前に現れてくれたことに、何よりも感謝したかった。 もう二度と、こいつを戦場に赴かせたくはない。 「行……、もう離さねぇぞ。もうどこにも行かせないからな」 俺は、行の耳に吐息を吹き込むようにして、そっとささやく。すると行は、びくりと身体をふるわせた。言葉に反応したのか、耳が敏感なのかは知らないが。 それでも行は、ますます身体を硬直させながらも、か細い声でつぶやいた。 「オレも……、ずっとこうしていたい……」 その言葉に、俺は鈍器で殴られたような衝撃を受けた。 ……何てこった。俺の、中年男の醜い独占欲から発した言葉に、行はこんなにも真っ直ぐに純粋に応えてくれている。 俺は罪悪感でいっぱいになった。 行はきれいだ。 まだ何にも染まっていない真っ白な、赤ん坊みたいなもんだ。 そんな行を、俺の物にしちまっていいのか……? おそらく、あとほんの一押しで、行は俺の手に落ちるだろう。よしんば行自身もそれを望んでいるとしても、このまま据え膳を食っちまって良いものか。 行には、きっと俺よりも、もっと相応しい相手がいるに違いない。 そう思いはしたものの、俺の身体は、俺の理性を聞いてくれやしなかった。 折れよとばかりに強く抱きしめていた行の身体を少し離すと、自然とお互いの顔が向き会う。俺から注がれるぶしつけなまでの視線に耐えられなくなったのか、行はそっと目を伏せた。 それが誘いだろうと、無意識だろうと、もうどちらでも構わなかった。 行の小さな頭を抱え込むようにして、俺は……、行にキスをした。 つづく |
ここまで読んで下さってありがとうございましたm(_
_)m
うああ…。すみません。 また再会直後の話を書いちゃったよ〜(苦笑)。 しかも二人が出会ったその日に身も心も結ばれるという、 うちのサイトではあり得ない展開です。 他所様では割とよく見かけますが、 私はこの展開は絶対に無いと思っています。 仙石さんはそう簡単に手を出さないでしょう。 ましてや、こんな風に行の方から誘うなんて!? ああー、あり得ないわ、本当に。 これはいったい、どこの世界の仙行だ。 自分でも書いていてクラクラしてきましたが、 やっちゃったもんは仕方がありません(爆)。 こうなったら、あまり深く考えずに、 こんな仙行だって、あっても良いよね。 くらいの気持ちで、割り切っていこうと思います。 それに、読んでいる方は、それほど違和感ないんだろうしね。 そんなもんだよね……。 2006.12.29 |