――この先は、決して越えてはならない線だ……。
行は胡乱な頭でぼんやりと、そう思う。
『死線』というものがある。
戦いの中にずっと身を置いてきた行は、それを肌で感じてきた。これ以上先に進むと死ぬかもしれない、命を失うかもしれない、という警告が閃く。
それこそが、行を救ってきたといっても過言ではないだろう。
実際に何度も死にかけたことがある。死んだ方がマシだと思う目に遭ったことも、このまま死ぬのではないかという状態に陥ったこともある。
それでも行は生き抜いてきた。決して死線を越えることはなかったのだ。
だから行は、自分自身のこの感覚を確信していた。頭に鳴り響く警戒警報に従わなくてはならないのだ、と。
「……もう、ダメだ……。仙石……さん」
行がふるふると首を横に振ると、仙石は困ったように微笑んで、軽い口付けを落としてくれる。
「どうした、痛いか……?」
耳元でささやかれる声はひどく優しい。行はそれにも首を横に振った。
痛い訳ではないのだ。そうではなくて。
「………怖い」
「俺が、か?」
「……違う」
行はただ、いやいやと首を振ることしか出来ない。
もう、どうして良いのか分からなかった。今にも逃げ出したいくらいに、怖くて怖くて堪らないのに、それをうまく言葉にして説明することが出来ないのだ。
「そこは……、嫌だ」
どうにかそれだけを言うと、仙石は何故か不敵に笑った。
「でも、気持ち良いだろ?」
ささやく仙石の声は確信に満ちていた。
おそらくは行と同じなのだろう。行が今の状況を危険だ、と感じているように。仙石は自分の過去の経験から、行の状態を正確に認識している。
「………怖い」
行はもう一度つぶやいた。
そこでようやく仙石にも、行の真意が伝わったようだった。
「ああ、そうか。それじゃ、お前が怖くないように、ゆっくりやるからな」
それでも仙石は、もう止めてくれるつもりはないらしい。
行の最奥に入ったままで、行の身体をやわらかく抱きしめると、仙石は真っ直ぐにこちらを見つめた。
「行、俺を見ろ。怖かったら、ずっと俺を見てろ」
「でも……」
それが出来るのなら、苦労はない。
すると今度は、もう少し強めに抱きしめられた。
「それじゃ、俺の声だけを聞いていろ。大丈夫だ。俺も一緒に行くからな。二人なら、怖くないだろ……?」
「分から……ない」
仙石の声はやはり優しかった。こんな状態でうだうだと言う行に、呆れても嫌気がさしても仕方がないだろうと思うのに。
「怖いのは今だけだ。ここを乗り越えちまえば、後は何も気にならなくなる。ほんのちょっとだけ勇気を出せば良い」
けれど、行は返事が出来なかった。そのちょっとの勇気が振り絞れない。
無言で目を逸らす行に、仙石は苦笑を浮かべる。
「お前がどうしても嫌だって言うなら、無理強いはしねえよ。そこまでしなくても、どうにか、やることはやれるだろうからな」
行はハッとして仙石を見つめる。見捨てられた、と思った。自分で拒否しておきながら、仙石が従うと不安になる。勝手なものだ。
すると仙石は、行の髪を優しく撫でてささやいた。
「……でもな。俺はお前と分かち合いたいと思うんだよ。せっかく、こうして繋がっているんだ。俺だけが気持ち良くても意味が無えだろ。一緒に行こう。な?」
行は逡巡した。
仙石は、これ以上はないというほどに誠意を見せてくれている。後は自分が勇気を出すだけなのだと、頭では分かっている。
けれど、恐怖はなかなか消えてくれない。理屈ではないのだ。本能が警告を発している。
すでに行は、死の淵に足をかけているような状態だ。ぽっかりと口を開けた暗闇に身を投じるのは、やはり恐ろしかった。
たとえ、その先に仙石が待ってくれているのだとしても。
行は唇を噛みしめる。
自分が泣きそうになっているのが分かった。まるで子供のようだ。バカみたいだと思う。何をやっているのかと呆れてしまう。
それでも仙石は、ずっと待ってくれている。こんな中途半端な状態で、おあずけを食わされて、焦れていないはずがないのに。
危険だ危険だ危険だ、死ぬぞ死ぬぞ死ぬぞ。頭の中ではガンガンと警鐘が鳴っている。
それでも行には、もう分かっていた。これで死ぬことはないのだ、と。
いや、最初から分かっていたのかもしれない。認めたくなかっただけで。
だが自分が、未知の領域に踏み込もうとしていることに変わりはない。その先に何があるのか分からないのは、やはり怖かった。
けれど行は、ようやく覚悟を決めて、小さくうなずいた。
「よし、良い子だ。続きするぞ。怖かったら、ちゃんと言えよ」
それに行が返事をする間もなく、質量を増したものに、ズンと突き上げられた。
「んあ……っ」
身体を鋭い快感が突き抜ける。けれど、これはまだ良い。問題はこれからだ。
すでに、その場所を知っている仙石は、ゆっくりと腰を動かして、行の一番弱いところを刺激する。仙石自身で内壁を擦られる度に、行は全身をふるわせた。
「や……ぁ……っ」
行がいやいやをしても、もう仙石は止めてくれなかった。優しく抱きしめて、キスをして、大丈夫だ、とささやいてくれるけれど。
だから、行はただ恐怖に耐えるしかない。
泣きながら母親に手を引かれる子供のように。仙石が、行の知らない場所へ連れて行ってくれるのを待つしかなかった。
もう声も出せなくて、はあはあと荒い息を吐くだけで。遠くなりゆく意識を必死に繋ぎ止めて。
快楽なのか苦痛なのか分からない感覚に掻き乱されながら、行はそれでも少しずつ昇りつめていった。
そして、一気に奈落の底に突き落とされる。
「んあああ……ッ!」
ぷつん、と糸が切れるように意識が吹き飛ぶ瞬間、行はここで死ぬのかもしれない、と思った。
それでも最期に仙石の声を聞き、仙石のぬくもりを感じて逝けるなら、どんな死よりも甘美で幸福なことだろう。
……ありがとう。
行は心の中で、そっとつぶやくのだった……。
「……う、……行……」
仙石の声が遠くに聞こえ、行はゆるりと目を覚ました。まだ自分では何が起こったのか、良く分かっていなかった。
「仙石……さん?」
「目ぇ覚めたか。飛んじまってたみたいだな。大丈夫か?」
「飛んで……?」
「ああ、意識を失ってた。一瞬だけどな」
「……そっか」
行は納得した。
あの瞬間、自分はきっと死んだのだろう。それでも怖くはなかった。ただ、ただ幸福なだけだった。だから……。
「次は、もう平気だよ」
不敵に微笑む行の姿に、仙石は驚いた顔を見せるが、すぐに明るく笑う。
「それじゃ、さっそく試してみるか」
「え……? 今から?」
「善は急げって言うだろ」
「そう……、なのかな……」
結局、そのまま仙石の強い押しに負けて流されてしまい、また意識を飛ばすことになった行なのだった……。
おわり
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