『青とオレンジ 』 |
夕食も済み、行がリビングのソファでのんびりしていると、仙石が両手にマグカップを持ってやってきた。食後のコーヒーだ。 そのマグカップは一緒に買ったお揃いの物で、仙石が青、行がオレンジだった。目の前に置かれた夕日を思わせるオレンジ色のカップを見つめていると、不思議な安心感と共に、ほんの少しの落ち着かなさを覚えた。 『お揃い』が当たり前に受け容れられるようになるまでには、まだしばらく掛かりそうだった。 そっとカップに手を伸ばして、まだ熱いコーヒーを少しずつ口に運ぶ。 猫舌気味の行には、もう少し冷めたほうが嬉しいのだが、温かいコーヒーが喉を通って、ゆっくりとお腹に落ちて身体が温められる感触が心地良いので、いつも我慢しながら飲んでいるのだ。 今夜もまた、こくんと小さく喉を鳴らして熱いコーヒーを飲み込んでいた所に、仙石が声を掛けてくる。 「行、もうちょっと詰めてくれ」 言いながら、問答無用とばかりに、ぐいぐいと行を押しのけて、仙石はソファに腰を下ろしてしまう。このソファは決して小さいものではないけれど、男二人で座るには狭苦しい。しかも仙石は人一倍身体が大きいのだから。 「何で」 結果としてソファの端っこに追いやられた行は、不満げな顔になる。 テーブルを挟んだ向かい側のソファが空いているのに、わざわざ二人並んで窮屈な思いをしなければいけない理由が分からない。 「俺がここに座りたいんだよ」 「じゃあ、オレがあっちに……」 「バカ、それじゃ意味ねえだろ」 すかさず浮かせた腰をぐいと引き寄せられ、行の身体はますます仙石と密着した。 「コーヒーを飲む間くらい、こうしてろよ」 「……分かった」 行は小さくうなずいた。それでも内心は不満で一杯だったが。 行にとって、コーヒーを飲んでいる間は、ゆったりと落ち着いてリラックスできる貴重な時間なのだ。それなのに……。 自分を包みこむ、たくましくて強い腕の力や、行の身体を受け止める厚い胸板の弾力や、服の上からでも伝わってくる優しいぬくもり……。 そういったものばかりで頭も心も一杯になって、すっかりコーヒーどころではなくなってしまった。 どうして良いか分からなくて、行は一気にコーヒーを飲み干す。まだ熱くて、舌や喉が焼けそうだったけれど。 「おい、そんなに慌てて飲むことないだろ」 「……だって」 仙石が呆れた声を出すが、行自身にも説明の付かない衝動なのだから、どうしようもなかった。 「俺とこうしているの、嫌なのか……?」 ふいに仙石がぼそりとつぶやく。そのひどく傷ついたような響きに、行はハッとして顔を上げた。 しかし、仙石はこちらを見つめてはいなかった。いつも真っ直ぐに行の顔を見ている筈の仙石が、今はただじっと青いマグカップに視線を向けている。まるで、そこに答えがあるかのように。 そして、仙石はおもむろにコーヒーを飲み干した。空になったカップをテーブルに置く音が、行の心にちくりと突き刺さる。 行はテーブルに並んだ、二つのカップを見つめた。 お揃いの色違いのマグカップ。割れてしまった仙石の白いカップの代わりに、今度はこれで新しい思い出を作っていこう、と決めたばかりだというのに。 ……オレは何をやっているんだろう……。 行は意を決して、仙石の方に向き直った。 しかし、仙石はやはりこちらを見てはくれない。 堅い表情の横顔は、どこか遠くを見つめているようだった。いつも当たり前のように向けられていた仙石の笑顔が無いだけで、どうしようもなく寂しい。 「仙石さん、……ゴメン」 行の言葉に、仙石はようやくこちらを向いた。まだいつもの笑顔ではないが、それでも行はホッとする。 「あの、オレ……、嫌じゃないから。だから……」 自分の中にある想いや感情を言葉にするのは難しい。どれだけ言葉を尽くしても、全然足りないと思う。そうして、どんどん心の中に溜まっていく想いは、どうやって仙石に伝えたら良いのだろう。 心の中を直接見せることが出来たら良い。自分がどんなことを思い、どんな風に考えているのか、全てさらけ出すことが出来たなら……。 「仙石さんと一緒にいるのは、……好き、だけど。コーヒーを飲む時は一人の方が良いっていうか……」 やっぱり上手く説明出来なかった。 が、仙石の表情は、見る見るうちに明るくなっていく。 「それじゃ、今は良いんだな?」 「え?」 「もうコーヒーを飲んでいないから、良いんだろ?」 「えーっと、……あっ」 行がどう言おうか迷っているうちに、仙石はぎゅっと行の身体を抱きしめてしまう。もうコーヒーを持っていないから、両腕でしっかりと。 「やっぱり、こうじゃねえとな」 やたらと満足そうにうなずく仙石に、行はハッとした。 「……あんた、さっきのワザとじゃないのか」 結局まんまと仙石の思惑通りになってしまった自分がちょっと悔しくて、思い付きを口にした行だったが、その言葉を聞いた仙石は、真剣な表情になる。 「いや、本気だった」 「……そうか」 その真摯なまなざしが嘘とは思えなくて、行は引き下がるしかなくなった。押し黙ってしまう行を静かに見つめながら、仙石は言葉を継ぐ。 「もしもお前が嫌がっているのだとしたら、俺はずっとお前にひどいことをしてきちまったことになるからな」 「そんなこと……、ある訳ないだろ」 「本当か?」 行は強くうなずいた。 「嫌じゃないか?」 重ねられる問いに、行はまたうなずく。 「それじゃ、嬉しいんだな?」 その言葉にも、行はためらいがちにうなずいた。今まさに仙石の腕の中にいるというのに、それを認めてしまうのは、かなり恥ずかしかったけれど。 「ずっとこうして居たい……か?」 行はもう顔を上げることも出来なくて、うつむいたままで、どうにかうなずく。 「気持ち良くて、うっとりして、もうどうにでもしてって感じ……」 「しつこい!」 すっかりセクハラまがいになった仙石の発言に、行はすかさず一発お見舞いしてやった。 「そんな気になんか、なるか!」 どうやらパンチが思いっきりみぞおちに入ってしまったらしく、腹を抱えて唸っている仙石に構わず、行はソファから立ち上がり、カップを手にしてリビングを後にする。苦しんでいる仙石が追ってくる気配はない。 やがてキッチンで一人になった行は、お揃いのカップを見つめて、そっとつぶやいた。 「……嘘だよ、仙石さん」 そして、お詫びのしるしにコーヒーを淹れてやることにするのだった……。 おわり |
ここまで読んでくださってありがとうございました。 少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。 タイトル思い付きませんでした(苦笑)。 意味不明でスミマセン。カップの色です。 上手いタイトルを付けるのって難しいですね。 「白い欠片」を読んでくださった方は分かるでしょうが、 こんなことをやっていても、この二人、行く所まで行ってます。 やることやっておきながら、今更「嫌か?」も何も…(苦笑)。 でも行って、仙石さんに抱かれて嬉しい、というようなことを、 ちゃんと言葉や態度で示せないような気がするので、 こうして仙石さんから聞いてやらないといけないんでしょう。 勝手にやってろって感じですけどね(笑)。 2006.09.22 |