【えせほし─似非星─ 】 kyo-ko

『待ちぼうけ』

(2)

 …捨てられた。

 まず頭に浮かんだ言葉はそれだった。
 それが引き金になり、目の前が深紅に染まる。

 誰もが自分を置いて先に行ってしまう。母も、祖父も。それからこの手で命を奪った父も。自分に優しい言葉を掛けてくれた人も。まるで友人のように親しく接してくれた人たちも。

 そしてきっと、仙石も先に逝くのだ…。


 馬鹿なことを考えているとは分かっていた。
 これは単なる待ち合わせだ。
 仙石はただ勘違いをしただけで、声を掛ければすぐに戻ってきてくれるだろうし、自分を置いて行った訳ではないことも、理性では分かっていた。

 それでも、決して傷つかない揺るがない、と思っていた自分の心を、そうではないのだと教えられたから。
 本当は傷ついているのだから、それを真っ直ぐ見つめなくてはならないと教えてくれた人がいるから。

 現在の行は、こんな些細なことでも容易く揺れてしまう。とっくにふさがっている筈の古い傷がじくじくと疼きだして、行を弱くしてしまう。
 それこそが自分の弱さから目を逸らして、逃げ続けた代償なのだと、この痛みこそが人間なのだと、受け入れるより他にないのだけれど。

 …もう逃げない。


 そうして心が落ち着いてしまえば、行はすぐに立ち直った。
 そこで、きょろきょろと辺りをせわしなく見回している仙石の、左腕に触れるか触れないかの距離で、そっと声を掛ける。
「おい」

 ここで可愛らしく名前でも呼んでやれたら良いのだが、行はそこまで気が回らない。そもそもそんな性分でもないのだ。
 すると仙石は驚いたように振り向き、なぜかいきなり真っ赤になった。
「ああっと失礼。えー、何かご用ですか?」

 しどろもどろに答えながら、じっと行の顔を見返していたが、やがて所在無げに頭を掻き、ぼそりとつぶやく。
「……もしかして、行か?」
「他に誰がいる」
「すまん…。とっさに見知らぬネェちゃんに声掛けられたかと思って、焦っちまったよ。だってお前、その髪…」
 仙石は深々と頭を下げながら、それでも言い訳するかのように、愚痴をこぼした。

「あんたは髪の色が変わるだけで、見分けが付かなくなるのか?」
「変わるにも程があるだろ。そりゃ、やりすぎだ」
 仙石はわざとらしいほどの大きな溜め息を吐く。


 しかし、それも無理はないかもしれなかった。仙石の言うとおり、今の行の髪は、茶髪を通り越して、ほとんど金色に近い状態なのだから。
 担当した美容師は、夏は黒だと暑苦しいからこのくらいがちょうど良い、などとテキトーなことを言っていたが。

 もちろん行が頼んだ訳ではないけれど、全く同意も得ずにここまでする筈もないので、おそらくは『うん』だの『ああ』だの言ったのだろう。行の記憶にはなくても。
 待ち合わせまでに時間があれば、染め直すことも出来たが、昨日の今日ではどうしようもなかった。

「オレだって好きでこうなった訳じゃない」
「そうなのか?」
「ああ、美容師にやられただけだ」
 すると、いきなり仙石はぱあっと明るい表情になる。
「もしかして今日俺と会うから、美容院に行ったのか?」
「違…っ。単なる偶然だ。髪が伸びすぎたから、それで…」

 行は必死に良い訳をするけれど、自分でも頬が染まってしまっているのに気付いていた。これでは何を言おうと、仙石の言葉を肯定したと同じである。
 それでも行は、最後の抵抗を試みた。
「それよりあんたこそ、どこへ行こうとしていた? 待ち合わせはここだろ」


 かなり強引に話題を変えられた仙石だったが、そこは心得たもので、これ以上の深入りはせず、素直に乗ってくれる。
「いやな、東口ってちゃんと言わなかったし、もしかしたら反対側で待ってるのか、と思ってさ。それとも京成千葉駅の方に行っちまったか、とウロウロしていたって訳だ」
「それじゃ仕方がないな」

 この場所だとはっきり確信していたのなら、そこに立っていた行のことも、もうちょっと意識できたかもしれないが、待ち合わせ場所すらあいまいな状態では、そこまで望むことは無理だろう。
 それに、仙石がいい加減で適当で大雑把なのはいつものことである。それにいちいち腹を立てていたのでは付き合っていられない。

 髪の色が変わったくらいで認識してもらえなかった事実も、そういう人なのだから、と思って、あきらめるしかないのだろう。
 それでも落胆の色をにじませて深い吐息を付いた行に、仙石はしれっと言ってのける。

「でもそれ、似合ってるぞ」
 後ろ頭をくしゃくしゃと掻き回され、仙石の手のひらを感じながら、行はどうして良いか分からなくなった。

 もちろん自宅では、そんな風にされるのも良くあることで、もう慣れたせいもあろうか、それほど抵抗なく受け容れられるようになっている。それどころか心地良さすら感じるほどだ。
 しかし、ここは外で、人目もある。しかも男女ならともかく男同士で。それとも傍目には仲の良い親子にでも見えるのだろうか。それはそれで悔しいけれど。


 気の利いた言葉も思いつかず、ただこの状況をどうにかしなくては、と思い詰めた末に…、行はいきなり闇雲に走り出した。
 つい先刻、逃げないと自分に誓ったばかりだというのに。これが逃げでなくて何だと言うのか。

「お、おい。どこ行くんだ」
 仙石が慌てながら走ってくる重い足音が背中に聞こえた。
 行は歩調をゆるめて、ぼそりとつぶやく。
「千葉市美術館」
「それなら反対側だぞ」

 どことなくからかうような口調の仙石の言葉に、行はかあっと頬を染めた。その顔を見られないように、行はまた足を速める。
「うるさい、分かってる」
「だから、そっちじゃねえって」
「こっちの方が近道なんだ」
「そんな訳ねえだろ」

 行の速足に合わせて、仙石も必死に付いてきているから、二人はまるで競争でもしているようだった。
「オレはこっちから行くんだ。もう決めたんだ」
「意地っ張りだな、ったく」
「うるさい、放っとけよ」
「そう出来れば良いんだけどな」

 すっかり意固地になってしまった行は、もう引っ込みが付かなくなっている。
「なら付いてこなきゃいいだろ」
「一緒にいなきゃ、デートにならねえだろうが」
 デート、という単語に、行は思わず足を止めた。


「バカか、あんたは。そんなこと大声で言うな!」
「お前の声の方がずっと大きいぞ」
「あんたはそもそも地声がデカイいんだよ」
「仕方がねえな。それは生まれつきだ」
「嘘つけ、仕事柄だろ」
「それもあるな」

 駅前広場で、男二人がやいのやいのと言い合っているのを、人々が遠巻きにしながらも、興味津々で眺めている。その視線に本人たちもようやく気が付いた。
「…行くか」
「そうだな…」

 頬をお揃いのピンク色に染めながら、二人は慌ててその場を後にする。今度はまぎれもなく正しい美術館への方向へ。
 そんな二人の後ろ姿を、人々が微笑ましく見送っているのだった…。

               
            おわり

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ここまで読んで下さってありがとうございましたm(_ _)m

これは先日チャットでご一緒した雪だるまさんが、
私のイラスト(これです)を見て、
考えてくださった話が元になっています。

髪の色が変わっている行に気付かない仙石さん。
それをいたずらっぽく眺める行、という図です。
それ以外の細かなエピソードも雪だるまさんに頂いたので、
私はほとんど考えていません(苦笑)。

そのせいか、かなり分量は多いんですけど、
あっという間に仕上がりました。
こういうのもたまには楽でイイなぁ(笑)。
雪だるまさんのイメージしていたものに、
これが近いかどうかはアヤシイ所ですけれど。

ちなみにあのイラストの方は、単なるイメージで、
本当に金髪になっている訳じゃないです。
どちらかというとセピア色にしたかったんです(苦笑)。

2005.08.01

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