【えせほし─似非星─ 】 kyo-ko

『名もなき花』

(2)

 しかし、待てと言われても、このリビングには暇をつぶすようなものは何も無い。テレビはおろか雑誌の一冊も置かれてはいなかった。
 座り心地の良いソファと、中央には小さなテーブル。あるのは、たったそれだけだ。

 窓には昼間だというのに、しっかりとカーテンが閉められていて、外を見ることも出来ないが、部屋の中に何もないせいか、それほど窮屈な印象はなかった。
 それでも、こうして閉め切ってあるのは、あるいはまだ行にも監視員がついているからだろうか。だとしたら、どうやって中を伺っているのだろう。仙石は疑問に思う。
 まさか盗聴器や監視カメラなどがあるとは思えない。そんなものがあったとしたら、行が見つけられないはずもないからだ。

 仙石はふと悪戯心を起こして、カーテンを開けてみた。
 家の周囲にうっそうと繁る木立ちの隙間から、降ってくるような木漏れ日が眩しい。夏には暑苦しくなる木々も、今の時期はやわらかな若葉の緑が目にも優しく感じられる。
 まるで絵のように美しく、ずっと眺めていたいくらいだった。
「何だよ、開けとけば良いじゃねえか」

 もうすっかり監視員の存在すら忘れて、そんなことを呟いてしまうくらいに、そこは晴れ晴れとした光景だ。
 だからといって、この家は、それほど人里離れている訳でもない。ほんの数分も歩けば普通の町並みも見えてくる。公園もおそらくその辺りにあるのだろう。


 いっそのことカーテンだけではなく、窓も開け放って、新鮮な空気を入れるか、と仙石が窓に手を掛けた所で、行がやってきた。

「何やってるんだ」
「ん?ああ、開けた方が気持ち良いかと思ってな」
「これから家を出るっていうのに、窓を開ける奴がどこにいる」
 世にも冷たいまなざしで言われ、仙石は恥じ入るより他にない。
「…悪かったよ」

「行くぞ」
 容赦のない行の言葉に、意気消沈する仙石だったが、行はさりげなく付け加えた。
「カーテンくらいは開けておいても良い」
 そんな何気ない一言で、すっかり上機嫌になってしまう仙石なのだった…。


 外は五月の風が爽やかで、そぞろ歩くにもちょうど良い気候だ。
 仙石は行と二人で歩いていると、傍目からはどんな風に見えているのか、とつい考えてしまうのだが、おそらくは自分が思うほど、他人は気にも留めていないのだろう。
 それに少なくとも、隣を歩く行は、人目などこれっぽっちも気にしてはいまい。
 しかしそれでいて、人けの無い所でさりげなく肩を抱こうと手を出したりすれば、人が見ている…、などと言って気にするそぶりを見せる。それはそれで可愛らしくもあるから、仙石も深くは追求しないのだけれど。


 ともかくも、親子にも見えず、もちろん恋人同士などには逆立ちしたって見えっこない二人連れは、程なくして近所の公園に辿り着いた。
「ここか?」
 仙石が尋ねると、行は黙ってうなずく。
 二人の視線の先にはまっすぐに伸びる、きれいに舗装された遊歩道。その両脇に手入れの行き届いた芝生が広がっていた。

「へえ、立派な公園だな」
 こんな近くにこれほど大きな公園があるとは知らず、仙石は感心する。
 しかし行が絵にしたような、自然の状態に近い草原などは見当たらない。きょろきょろと辺りを見回す仙石の視線で、行も言わんとすることに気が付いたのだろう。

 くすりと微笑みながら答えた。
「オレが絵に書いたのはもっと奥だ。あまり人が来ないような所を探していたら見つけたんだ」
「確かに、この辺りはずいぶん人も多いよな」

 これだけ立派な公園であるから、近所に住む人々の憩いの場となっているのだろう。そろそろ昼時も近いせいか、芝生の上にレジャーシートを敷いて、手弁当を広げている家族連れも多かった。
 あるいは犬を散歩させている人や、芝生の上を楽しそうに転がりまわる子供たち。

 …これこそ平和で幸せな光景だ。
 ふと傍らに目を向けると、行がやはり同じように、どこか眩しげなまなざしで、彼らを見つめていた。


 ふいに『あの日』の情景が仙石の脳裏をよぎる。
 心の奥深くに刻み付けられてしまった記憶は、そう簡単に消え去ってはくれないようで、時折こうして気まぐれのように訪れては消えて行くのだ。
 おぼつかない手つきで銃を握ったその瞬間、あるいは深く吸い込まれそうに青い海の中で。

 何のために抗うのか。
 何のために戦うのか。
 何のために生きるのか。
 何度も自問自答したが、答えは出ることはなかった。

 が、今ならば答えられるような気がする。
 こうして、この光景を見るために。
 平和で退屈で、何もすることがない日々を得るために。
 そんな生活を、隣を歩く人と共に過ごすために。

 掛け替えのない、大切な存在と共に……。


 ほろ苦いセンチメンタリズムに満ちた、仙石の物思いは、行の声で唐突に遮られた。
「ほら、ここだ」

 その言葉にハッとして視線を向けると、確かにそこには無造作に草の生える原っぱと、ひょろりと伸びる白い花の姿があった。
 しかし、行に言われなければ、仙石は見逃して通りすぎてしまっていたかも知れない。その程度の、何の変哲もない光景だ。少なくともこれを見て、仙石は絵にしようとは思わないだろう。

 すると行は、草原と呼ぶには貧相な草むらに、無造作に腰を下ろした。仙石もそれにならって、隣に座る。
 自然と二人の視線が、白い花の元に吸い寄せられていく。
 こうして見ても、やはり何のことはない花だ。『雑草』などという美しくない名称を冠されているような。

 行の絵に心を揺さぶられたように、きれいだと思わず口に出してしまったほどの美しさは、そこには無い。

 …現実なんて、こんなもんか。
 仙石はどことなく寂しくなった。


 そこへ行がぽつりとつぶやく。
「この花を見た時、きれいだな…、と思ったんだ。そして、そんなこと今まで考えたことがあっただろうか、と思った。
 確かにきれいな風景はどこにでもある。心を打たれる景色もたくさんある。でも、この花はそうじゃない。誰もが見落としてしまうような小さな花で。 踏みつけられても、気付かれもしないような花で。
 それでもこうして咲いているんだ。しっかりと生きているんだ。それが素晴らしいと思った。そんな風にオレも生きられたら良いと思った…」

「行…」
 仙石は掛けてやる言葉が見つからなかった。こういう時に気の利いたことが言えないのは悔しく思う。
 それに、仙石にとっては、如月行も十分に華やかに咲き誇る花だった。
 少なくともこんな風に誰にも省みられることもなく、咲いては散っていくような名もなき花ではない。

 むしろ仙石の方がずっと、名もなき花だろう。そもそも『花』にたとえられるほど可憐ではないが。
 しかし、仙石が自分をそう思うのと同じように、行もまたそんな思いであるのだとすれば。それは仙石にも理解できるような気がした。


「それでも俺は見つけてやる」
 思わず仙石の口から言葉が突いて出た。
 行が驚いたようにこちらを振り向く。

 それに構うことなく、仙石はひたと白い花に視線を注いだままで、話し続ける。
 行が自分の思いをそっと打ち明けてくれたように。仙石もまたこの胸の中にある想いが伝えられれば、と願って。

「俺はお前を見つける。たとえどんな小さな花でも。どこに咲いていようとも、俺は絶対にお前を見つけてやるから…」
「ありがとう…、仙石さん」
 行がぽつりとつぶやいた。花が風に揺れるように小さな声で。

 こちらを向いていたはずの顔がそっとうつむいて行くから、仙石は行の後ろ頭をくしゃくしゃと掻き回した。先刻やってやれなかった分の埋め合わせだ。
 すると行は、それに逆らうこともなく、じっと仙石の武骨な手のひらを受け止め続ける。


 二人の目の前には、ひょろりと背の高い白い花。
 それがまるで二人を祝福するかのように、あるいはからかうかのように、五月の風に揺れているのだった…。


            おわり

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ここまで読んで下さってありがとうございましたm(_ _)m

ほとんど内容が無くてスミマセン…。
この話で重要なのは、行が行らしくない絵を描くということでして。
その後のこの絵にまつわるエピソードもあるのですが、
いつか出せると良いなぁ。
少なくとも私が忘れないうちに…(苦笑)。

ちなみにこの花の名前は「ハルジオン」です。
BUMPの曲をイメージして書きました。
という訳で、写真もちょっと付けてみたり。
あんまりこういうのやらないけど、いかがでしょう。
意外と良い雰囲気じゃないですか?
ところで、この写真、ハルジオンだよね?(爆)。

ああ、そうだ。
さりげなく「合鍵」なんて台詞がありますが、
その辺の話も書きたいなぁ。いつか。
もちろん二人が出来上がった後ですよ。

この話は再会してちょうど一年後くらいのイメージ。
そのくらい時間が経てば、仙石さんだって、
合鍵の一つや二つもらっても良いでしょう?(笑)。

2005.06.20

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