……ん、ひ…ちゃ…
「ひーちゃん、…ひーちゃんって。」
学生服をだらしなく着崩した少年が、土に背を預けて横たわる少年の名を呼んでいる。
かざした手の隙間から零れ落ちる陽光が目に痛い。
「…ひーちゃん?」
一向に目覚める気配を見せない少年に不安になったのか、
その白い頬に手を伸ばす。
あたたかい。
指先から伝わる確かなぬくもりに、ほっと息を吐き出して
少年の傍らに腰を下ろした。
「…ったく。この京一様がオネ−チャンの誘いを断ってまでわざわざ来てやったって言うのに
コイツは気持ち良さそーに寝てやがるし。」
拗ねた口調とは裏腹に丁寧なしぐさで髪についた草を払ってやっていた京一は、目を覚まさないのを良いことに少年―緋勇龍麻―の美貌を無遠慮に眺めた。
艶やかな黒い髪。鋭さと甘さの同居する顎のライン。確固たる意志に護られた揺るがない瞳。
強く、優しい龍麻。しかしそこに秘められた真実を見る者はいない。――強く、冷たい龍麻。
「少し痩せたか?」
美少年鑑賞会にもいいかげん飽きてきたので、京一はなんとなく龍麻の頬をむにっと掴んでみた。
「おいひーちゃん、さっさと起きねーと帰っちまうぜ。」
「それは困る。」
「!」
がこっ!
龍麻が起こした体をひねって音のした方を見やると、京一が両手で頭を抱えてうずくまっていた。足元には愛用の木刀が所在無さげに転がっている。龍麻が前触れもなく身を起こしたので、驚いたはずみで地面に転がしてあった木刀に足を取られてしまったらしい。人の顔で遊んでいた罰だ。
「う゛う゛っ」
うっすらと目に涙を浮かべた京一が恨みがましく目線をよこす。龍麻は今年で18にもなる男を捕まえて可愛らしいと思ってしまった自分に苦笑をうかべた。腕を引いて立たせてやる。
「お前な。驚かせたのは悪かったけど、仮にも剣士を名乗る身なら受身ぐらい取れよ。それとも咄嗟に反応できなくなるくらい俺に見とれてたとか?」
にやりと笑う龍麻にとんでもないと京一は否定する。慌てる目元には隠し切れない、赤。
「な、なに言ってやがるっ。何でオレが野郎の顔に見とれなきゃなんねえんだよっ。やっと起きたかと思ったらくだらねえことばっかり言いやがって。冗談じゃねぇ。」
「それだけ喚けるなら大丈夫だな。で?俺を心配したって?」
「さわんなよ。まだ痛ぇんだから。」
すっかり機嫌を損ねた様子の京一に傷を確かめようと伸ばした手を払い落とされる。
「聞いてたんなら、とっとと起きろって」
横を向いて拗ねていた京一だが、龍麻がなにも言わずにじっと待っているのを感じて、しぶしぶ口を開いた。
「あの、よ。おまえ、最近自分の顔見てるか?」
「はあ?」
「素っ頓狂な声だすなって。ひーちゃん、おまえ最近ひでェ面してるぜ。醍醐達は気付いてねえみたいだけどな。なあ、おまえまた一人でつまんねえコト考えてんじゃねえのか?」
「…。仲間たちの安全とこの街の未来を『つまらないこと』とは。まったく恐れ入るな。」
「だからっ!そういう風に言うんじゃねえって言ってんだよ!」
いつもと変わらない平坦な口調に抑えていた苛立ちを刺激され、京一は上から見下ろしてくる端正な顔を憎憎しげに睨み付けた。
「…おまえはいつもそうだ。そうやって平気なフリしやがって。確かに仲間の事を考えるのはお前に取っちゃ当たり前でなんでもねえ事なんだろうよ。おまえは強えし頭も悪かねえからな!でもおまえは?おまえはどうなる。てめえで考えないで誰がてめえのこと考えてやるんだよ!!」
龍麻が自分のことは必要ないと言うのは分かっていた。それでも止まらない。まるで心臓に口が付いているみたいに。苦しくて、苦しくて、龍麻の腕に縋り付く。
「オレがいるだろ…?相棒だと思ってんのはオレだけか?そうじゃねえよな。…だったらオレにもおまえを護らせろよ。オレはおまえに何をしてやれる?言ってくれよ。なあ、どうしたらおまえは笑っていられるんだ…?」
懸命に息をつないでも、龍麻の表情が崩れることはない。
届かないのか。
京一は痛みをこらえるようにして赤毛を龍麻の硬い胸に押し付けた。
「京一。」
背中に落ちる、静かな応え。
白く握り締められた京一の手をそっと外し、ゆるく空気を震わせる。
「いつも言っているだろう。」
ゆっくりと。紡ぐ言葉が閉ざされた扉へ二人を誘う。
「ひとつだけだ」
見詰め合う。刻が止まる。
揺るぎ無き王者の瞳が一つの記憶を揺り起こす。
それは幾度となく繰り返された言葉。
人に頼ることを知らない龍麻のただひとつのわがまま。
「俺を、欲しがってくれ。」
「俺を」
―――呼んで。
龍が。
龍が吼える。
こんな熱を自分は知らない。丸ごと攫われてしまいそうで、怖い。
「な、に…?」
震える声で呼びかけても龍麻は答えない。
飲み込まれる恐怖に喉が焼け付く。
「不満、か?預かった命を護りきる自信がない、背負わされた重責につぶされそうだ、とでも言えば満足だったか?」
「ちがっ、」
「俺は全て話した。京一。それだけだ。」
どうして。
何も要らないというのか。同情も気休めも思いやりさえも、この男は。
昏い双眸が映し出すのは欲しいと願うひとつだけ。見つめる瞳に閉じ込められた己の姿が欲望に照らされて無様に歪む。
「呼べよ。」
「…っ!」
不意に腕を引かれ、京一はそのまま龍麻の胸に倒れ込んだ。触れ合う肌が熱い。掻き抱く腕の強さに泣きたくなって龍麻を呼んだ。
「ひーちゃん、ひーちゃ…。龍麻、龍麻、たつまぁ!!」
龍麻の望みを叶えるべく全身で叫ぶ京一。
縋り付いてくる京一の髪を、頬を、指先で確かめる。存在をこの腕に閉じ込める。
「龍麻、龍麻…」
龍麻は飽くこともなく呼び続ける唇に、堪らなくなって自らの唇を押し付けた。
「ん…、たつ…ま…」
ただひとつと望んだ唇は蕩けそうなほどに甘い。内臓まで届きそうな、深い、くちづけ。この身体から生まれる全てを食らい―あたえたい―尽くしたい。
「龍…麻、んん!…っくぅ」
息の出来ない苦しさに涙が滲む。飲み下せずに伝い落ちた唾液をねっとりと舐め取る舌の動きが、支える腰に甘美な昂ぶりを呼び起こし、情欲に溺れる魂を自覚せずにはいられなかった。
「もっと、もっとだ…」
朱に染まった身体に手を這わせながら、うわ言のように龍麻が求める。
強く、優しい龍麻。大勢の仲間に慕われていながらいつも一人だった。無条件に与えられる龍麻の愛情に包まれて、皆その瞳の奥を覗く事を忘れていた。龍麻は何も言わない。何も求めない。だから愛していることを知って欲しかった。ここに自分がいることを知って欲しかった――。
「…ま、龍麻…」
京一は息苦しさに朦朧となりながらも龍麻の名を呼ぶことをやめなかった。その存在の全てをかけて。ひとことも洩らさぬようにと己の名を貪る龍麻に、京一は熱い吐息だけで答え続けた。
*****
「何が『それだけ』だ、エロ黄龍。死ぬかと思ったぜ。」
うんざりと、京一が龍麻に背中から抱きかかえられた格好で発した第一声がこれだった。
えろこうりゅう。その言われ様はあんまりだろうと思った龍麻だったが、京一がおとなしく自分に身を預けている様子にどうでも良くなって、太陽の匂いのする赤い髪に唇を寄せた。ついでに前髪を掻き揚げて額にキスを落とすのも忘れない。
しなやかな指が顎を捕らえてきたので京一は素直に目を閉じて龍麻を待った。しかし動く気配がない影を不審に思って目を開けると、なにやら得心がいった様子の龍麻がしきりに頷いていた。
「ひ−ちゃん?」
「ん?ああ、お前に似てるヤツを思い出してた。」
「オレに似てる?」
「そ。俺の運命。」
「なんだそりゃ?」
いぶかしげな視線をよこす京一の髪をくしゃりと掻きまわす。
真っ直ぐで暖かくて。単純で複雑な俺の相棒。
「もうここへは来ない。」
「ああ?なに言ってんだ。やっぱりおまえワケわかんねェ。」
「いいよ、お前はそれで。」
京一に思いきり渋面を向けられて、龍麻は笑みを浮かべた。久しぶりに見た龍麻のやさしい表情に、京一も嬉しくなって全開の笑顔を返す。
まるで太陽。眩しそうに目を細める龍麻をよそに、京一は勢い良く立ち上がった。あふれる愛しさが龍麻を満たす。
「よっ。」
京一は拾い上げた愛刀を肩に乗せて後ろを振り返った。日に焼けた腕がこちらに向けて真っ直ぐに差し伸べられている。
「ひーちゃん。」
赤毛の龍が太陽を連れて龍麻―友―を呼ぶ。
この場所は、もう、必要ない。
attacca
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ここまで読んで下さってありがとうございます。m(_
_)m
これは「Ouvrir」の八雲渉さんから頂いたものです。
詩的で美しい文章にうっとりです…。
この龍麻は、渉さんいわく「誘い攻め」だそうで。
いかにひーちゃんが上手く京一を篭絡しているか、
堪能していただけたでしょうか?(笑)
無口であまり感情を見せない謎めいたひーちゃんが、
私はとてもお気に入りなのです。
ちなみに、題名の「OVERTURE」(英)は
オペラの幕開けに演奏される曲の事 (日本語では「序曲」)。
最後に付いてるattacca(アタッカ・伊)は
一つの楽章が終わって、 息をつかずに
すぐ次の楽章を始める場合に使う音楽用語です。
Endは付けたくなかったからこっちにしました。
とは、渉さんより。こんなセンスも素敵ですね。
ありがとうございましたー。次もよろしくね〜(笑)。
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