「如月の受難」  ―渉さまへ


 



「さやかちゃーん」「さーやーかー」
人垣に囲まれながら、歓声を浴びているのは、
まぎれもなくアイドルの舞園さやかだった。
撮影でもやっているのか、スタッフと何やら話をしている様子だ。
近くにはもちろん霧島もナイト然として、さやかを守っている。

どうしてこんな時間に、しかも如月の学校前で撮影をするのか、
如月には理解できなかったが、今はそれどころではない。
時計に目をやると、もう10分を切っている。
芙蓉のおかげで時間の短縮にはなったようだが、
この混雑に巻き込まれたら最後、間に合わなくなってしまうだろう。

普段であれば、挨拶のひとつもするところだったが、
その時間も惜しく、如月はそっと身を潜めるようにして、
人ごみの脇をすり抜ける。
つもりだったが、その背中を荒々しく叩かれ、
如月は飛び上がった。
「よぉ、如月。何やってるんだ?」

振り向くとそこには、京一の姿があった。
額には「さやか命」と書かれたハチマキを巻いている。
俗に言う「追っかけ」というヤツだ。
「君、…暇なんだね」
思わずつぶやいた如月に、
京一はワザとらしいほどに驚いた顔になった。

「お前、どこに目がついているんだよ。
 まさか、さやかちゃんの魅力を分からないってことはないだろ?
 こうしてオレたちの前に現れてくれることなんて、
 めったにないんだぜ。
 こんな機会、見逃すわけにはいかないよなっ!」

僕たちは『仲間』なんだから、
プライベートでいくらでも会っているじゃないか、と
如月はツッコミを入れようとしたが、思い止まった。
京一が憧れているのは『仲間』のさやかではなく、
『アイドル』のさやかなのだ、と気がついたからだ。

「まあ、せいぜい頑張ってくれよ」
少々の嫌味も込めて、呟いた如月だったが、
京一は不満だったらしい。
「分かってねえなぁ、お前は。
 さやかちゃんはな…」
京一が自分なりの『さやか論』をぶちまけようとしたところに、
横から野太い声で制止がかけられた。
「おい、京一。いい加減にしないか」
「全くだ。せっかくのさやかちゃんを見ないでどうする」
あくまでもむさくるしい漢、二人。紫暮と醍醐だった。

紫暮が隠れさやかファンだということは如月も知っていたが、
醍醐までもが追っかけだとは知らなかった。
彼はまともな人種だと思っていたのに。
「君もか、醍醐くん」
思わずため息をつく如月に、醍醐は慌てて言い訳をする。
「い、いや。違うぞ、如月。
 俺はあくまでも京一の付き添いで」
「何言ってんだ、タイショー。
 お前だってさやかちゃんのこと好きなんだろー?」
「ち、違うと言っているだろうが」
「そうやってムキになるのが怪しいよなぁ」

醍醐と京一が言い合いをしている隙に、
この場を離れようと思った如月だが、ふと引っかかりを覚えた。
「そうだ。龍麻はどうしたんだい?」
この二人がここに居て、龍麻が居ない、などということがあろうか。
「ああ、ひーちゃんだったら、美里や桜井と学校に行ったぜ。
 優等生だから、サボる訳にはいかねえんだろ」
「そうか、それなら良いんだ」
如月は安堵のため息をつく。
学校にいれば安全、ということはないが、
一人でふらふらしているよりも何倍もマシだ。

「それじゃ、僕はこれで失礼するよ」
そこで如月はようやく自分も学校のことを思い出し、
京一たちに挨拶をする。
が、当然ながら、彼らはさやかに夢中で、
如月のことなど目にも入っていなかった。
「…何なんだ。まあいい、とにかく学校だ」
時計を見ると、もうあと5分足らずだった。

   * * *

焦りながら、小走りに校門を目指す如月だったが、
そこへ女性の悲鳴が耳に入った。
「きゃあ、止めて下さいっ!」
ここで隣に京一でもいれば、すかさず任せてしまうところだが、
残念ながら、そういう訳にも行かない。
そして、いくら遅刻しそうだからとはいえ、
ここで知らぬ振りをすることは出来なかった。
ましてや、その声に聞き覚えがあったのならば。

慌てて声のした方に駆け寄ると、案の定、
比良坂がガラの悪そうな男たちに囲まれていた。
きっとナンパでもされたのだろう。
「大丈夫か、比良坂くん」
「あ、如月さん…」
比良坂は、助けに来た相手が如月で、
一瞬がっかりした様子だったが、すぐに儚げな笑みを浮かべた。

「あいにく僕には時間がなくてね。
 悠長に手加減している余裕はないんだ。行くぞ」
比良坂の無事を確認した如月は、いきなり物騒なことを言って、
男たちに向かっていこうとしたが、
そこへ割り込んできた者がいる。
「手を貸そう」
クールなまなざしで、低く呟いたのは、壬生だった。

見ていたのなら、最初から出てきたらどうなんだ、
と如月は思わずムッとする。
如月が助けに来た時よりも、
比良坂が嬉しそうにしているのも、何となく気に入らなかった。
ああ、そうかい。僕はお邪魔だという訳か。
半ばふてくされながらも、急いでいる如月である。
「すまない、任せたよ」
そう言って、壬生と比良坂を置いていくのだった…。

   * * *

「…ふう、いったい何なんだ、今日は」
もうこれから何が起ころうとも驚かない、
と思った如月の前を、小さな黒猫が横切る。
「う、不吉だ」
迷信だとは知りつつも、何となく気になってしまう如月だったが、
それは今回に限っては、当たってしまったようだ。

「待って〜〜〜、メフィストォ〜〜〜」
行ってしまった黒猫を追いかけて、
マリィがぱたぱたとこちらに走ってくるのだから。
「あ、如月のオニイチャン、メフィスト見なかった?」
そして愛らしくこんな風に尋ねられたら、
誰だって言ってしまうだろう。

「ああ、さっき見かけたよ。
 一緒に捕まえてあげようか」
心の中では
  『何を言っているんだ、僕は。
  これで完全に遅刻だ、遅刻』と思ってはいても。
しかし、幸か不幸か、如月の遅刻は
首の皮一枚を残して持ちこたえた。

「うっふっふ〜〜」
不気味な笑いとともに現れたのは、もちろん裏密。
腕の中には、例の不気味な人形とともに、
小さな黒猫も乗っている。
メフィストの野生のカンが何かを告げているのか、
まさに『借りてきた猫』状態で大人しくしていた。

「この猫、いらないんだったら、
 ミサちゃんにちょうだ〜〜い」
「いるっ!いるのっ!メフィストはマリィのだモン」
「メフィスト〜、名前もイイわね〜〜〜」
「いやぁ、あげないモン!絶対にあげないのー!」
マリィは裏密に怪しい目つきでにらまれて、
じたばたしながらも、必死にメフィストを取り戻した。

如月はそれを見て、ほっとしつつ、
またも学校へ向かうのだった。

   * * *

しかしもう残された時間はほとんどない。
このまま如月は遅刻してしまうのか。

「冗談じゃない。
 僕は最後の最後まであきらめないぞ」
誰に向かって言っているのか、如月はきっぱりと心に誓った。
が、その決心もあっさりと萎える光景が、眼前に広がっている。
前からやってくるのは、見間違うはずもない。

我が主の龍麻と、それに並んで歩く村雨だった。

この二人だけでも十分に目立っているのに、
その後ろにも続々と仲間たちを引き連れている。
ちなみにメンバーは、
高見沢、藤咲、アラン、雪乃、雛乃、劉、小蒔、葵。
段々と描写がおざなりになるが、
決してこれは手抜きではない。
如月が、見るのを拒否しているのだ。
これに関わったら最後、絶対に
学校には間に合わないことも分かっているのだから。

しかし、龍麻に「翡翠〜!」と呼ばれて、
手を振られてしまっては、答えない訳にもいかない。
「…や、やあ、龍麻。
 どうしたんだい?こんな所で」
笑顔を引きつらせる如月に、龍麻は心配そうな瞳を向けた。
「翡翠、何でもないの?…大丈夫?」

「え?何が」
如月はきょとんとするばかりだ。
そこへ村雨が口を挟む。
「そりゃ、あんたがいきなり俺の電話を切るからだろうが。
 しかも『大変だ!』なんて言いながらな。
 心配するなってのが無理ってものだぜ」
「あ…」
如月はハッとする。
遅刻しそうで慌てていたが、
確かにそんなことをしたような覚えがあった。

「それでさ、村雨から連絡があったから、
 とりあえずみんなを集めてきちゃったんだよ。
 でも何もなかったなら良いんだけどね」
さらりと黒髪を揺らして微笑む龍麻に、如月は胸を痛める。
「すまない、龍麻。
 君に余計な心配をさせてしまったね…」
「そんなの気にしないで良いよ。
 オレよりもずっと心配していたのは祇孔だしね」

「お、おい、俺は別に」
いたずらっぽく微笑む龍麻の言葉に、村雨は目に見えて慌てた。
「悪かった、村雨。僕の説明不足だった。
 大したことじゃないんだよ。
 ちょっと学校に遅刻しそうになっていただけ。
 …ああーっ」
ここでようやく如月は学校のことを思い出した。
時計を見ると、あと一分も残っていない。

「遅刻だ!すまない、龍麻。
 また放課後にでも…」
慌てて駆け出しながらも、
律儀に龍麻にだけは挨拶を忘れない如月である。

「ええー?わざわざやって来たあたし達には挨拶もナシなの?!」
「そんな怒っちゃ駄目だったらぁ、亜里沙ちゃん。
 如月くんは急いでるんだもん〜」
「如月様、間に合うでしょうか、姉様」
「さあな。忍者だし、どうにかするんじゃねえのか?」
「そういや如月サンって忍者やったっけ。
 忍者でも遅刻するんやな」
「オー!ジャパニーズニンジャッ!フジヤマ、ゲイシャねー」
「アランクンってば。あまり関係ないのも入ってるよ」
「ふふふ、外国の人から見たら、そう見えるのかしらね」
「葵もちょっとズレてるよね…」

皆が口々に交わす無責任な会話を背中で聞き流しながら、
如月は必死に走った。
これぞ忍者!さすが如月さん!と忍者好きの二人ならば、
涙を流して喜んだであろう程のスピードだった。
しかし無情にも、校門を目前にしてチャイムの音が鳴り響く。
「チャイムが鳴り終わるまでに入ればセーフかッ!?」

如月はほとんど死に物狂いになっていた。
もう人目なども気にならない。
『品行方正で優等生の如月君』
『王蘭高校のクールビューティ』
そんな評判が地に落ちそうな形相で、校門に駆け寄るが、
ガラガラと音を立てて、門は締め切られた後だった。

「あ、ああ。…そんな」
門扉の鉄柵に手をかけ、がっくりと崩れ落ちる如月に、
そっと声をかけてきた者がいた。
「珍しいわね、如月君が遅刻なんて」
抜け殻のようになりながら、如月がゆるりと顔を上げると、
そこには風紀委員の橘朱日が立っている。

「悪いけど、いくら如月君でも遅刻は遅刻だから。
 生徒手帳没収ね」
最後通告を告げられ、如月は目の前が真っ暗になった。
どうして自分がこれほどまでにショックを受けているのか、
不思議に感じてしまうほどに、とてつもなく打ちのめされていた。

もう立ち直れないかもしれない。
ただ一度の遅刻ごときで…?
ああ、僕はなんて情けない弱い男なんだ…。
絶望に打ちひしがれた如月の意識が徐々に遠のいていく。


そして、ついに、目の前は真の暗闇になった……。


   * * *


如月はそこで目が覚めた。
がばっと飛び起きて、思わず大きな吐息をつく。
「…ああ、夢だったか」
いったい何が原因で、あんな悪夢を見てしまったのだろう。
つい先日、蔵の掃除をしてもらう為に全員を呼び寄せたものの、
結局ただの飲み会に終始してしまったことが、
まだ尾を引いていたのだろうか。

あの時は、散々な目に合った。
京一は大して飲んでもいないくせに、すっかり出来上がって、
霧島を相手に木刀を振り回しては障子をことごとく破ってくれた。
それを止めようとした醍醐と紫暮は余計に被害を拡大させた。
コスモの三人はすかさずパフォーマンスを始め、
それにアランや劉も調子に乗って、
訳の分からないことになっていた。

雪乃と雛乃はどこからか持ち出した槍と長刀を振り回して、
いきなり黒田節を唄い踊り始めるし、
つられた芙蓉までもが日本舞踊の腕前を披露した。
御門と裏密は妙な術の比べ合いを始め、
それに村雨が茶々を入れていた。
雨紋がいきなりギターを取り出して演奏を始め、
それに合わせて比良坂とさやかが大音声で唄を歌い出した。
家はきしみ、ガラスは粉々になった。

この寒空に、庭でのほほんと野点の茶会らしきものを
繰り広げていた龍麻、葵、壬生、高見沢の4人であったが、
そこへ無理やり、小蒔・藤咲・マリィが乱入してめちゃくちゃになった。
ついでにそのときに使っていた名品の茶碗も無残な姿になった。

如月はそれらの後始末をしながら、
料理を出したり、片づけをしたり、と一人で大忙しだったのだ。


「きっと、あんな目に合ったから悪夢を見たんだな」
如月は結論付けた。
そして、ようやく気がつく。
辺りがいつもよりも明るいことに。
すでに夜が明け切っている時間であることに。

「…まさか、そんな。
 あれが正夢だなんてことは、あり得ない」
必死に否定するが、怖くて時計が見られない。

と、そこへ電話のベルが鳴り響いた。
あれがもしも、村雨からの電話だったら…。
それ以上は考えたくはなかった。

如月は、思い切り頭から布団をかぶった。
電話は聞かなかったことにする。
時間も気にしないことにした。
無断欠席だろうが、遅刻だろうが、もうどうだって良かった。
ヤケになって開き直ると、如月は再び眠りなおすのだった。

これも夢であってくれ、と祈りながら…。


           おわり

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ここまで読んで下さってありがとうございます。m(_ _)m

今回のお題は「ねぼすけ翡翠」でした。
うちの翡翠くんは寝坊をするようなタイプではないので、
ものすごーく悩んだのですが、
「コメディ」「全員集合」を決めてしまうと、
後はもう出るわ出るわ。
長くなりすぎて、どうしよう…、と困ったくらいです。
でも久々のコメディは書いていて楽しかったですね。
読んだ方はお疲れ様でした(苦笑)。

そういえば橘さんは風紀委員じゃないような気がしますが、
何となく出してあげたかったのでした(笑)。

これでコメディ熱が復活したので、
またしばらくしたらもう一本書く予定。
お楽しみにー。




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