村雨誕生日記念SS  「邂逅の夜」


 

 



「はい、サービスよ」
妖艶な笑みを浮かべて彼女がグラスを置いた。
男はは気だるそうに顔をあげ、琥珀色の液体を見つめる。
「珍しいこともあるもんだ。どういう風の吹き回しだ?」
一人でこのバーをきりもりしている彼女は、 高校生の身で
毎晩飲み屋に出入りしている彼のことなどを、客扱いしない。
今まで、酒を勧めてきたことも一度もなかった。

だからといって、飲んでいても咎めることはなく、
苦笑して見つめているだけなのだが。
こんな風に彼女の方から勧めてくることなど初めてだったのだから、
男が驚くのも無理はない。

すると彼女は、まるで母親が手のかかる子どもを
見つめるような瞳で、微笑んだ。
「今日、誕生日じゃないの。おめでとう」
彼女にそう言われて、やっと気づく。
もう長いこと誕生日を祝ってもらったことなどないので、
すっかり忘れていたのだった。
苦笑しつつも、男はプレゼントをありがたく頂くことにした。

グラスを一気にあおると、酔うどころか、かえって頭が冴えてくる。
「今日は七夕ね、二人も今ごろは会っているのかもしれないわね」
少女めいたことを言う彼女にも、クールな言葉を返すだけだ。
「他人の恋路なんて、知ったこっちゃねえな」
「自分のだけで精一杯かしら?」

恋ねぇ…。
俺にはこれほど遠い言葉もねえな。
男は思わず心の中でつぶやいた。
ため息もついて出る。
何となくこれ以上、ここでぼんやりしている気が失せた。

恋を探しに、というわけでもないが、外を歩いてみようか、と席を立った。
そして、彼女に礼を言ってから、重い扉を開けて外に出ようとして、
立ち止まる。
「あら、雨ね。傘あるわよ?」
彼女の言葉に無言で首を振り、そのまま一歩を踏み出した。

しかし思ったよりもひどい降りではない。
しっとりとした小糠雨だった。
夏の暑い夜には、この位の雨がかかってもどうということはない。
そのままぶらぶらあてもなく歩いていると、
人の言い争うような声が聞こえてきた。
男は、野次馬根性を出して、早速そちらへ向かう。

すると、一人の青年が見るからにガラの悪そうなヤツらに囲まれている。
この辺りでは、ごく日常的に見られる光景だ。
男はどこのバカがからまれているのか、と青年の方に目をやった。
そして絶句する。

青年は回りの男たちを静かに見返していたかと思うと、
舞でも舞うかのようにすんなりとした腕をのばした。
その腕が触れていくたびに、男たちが倒れこむ。
あまりのすばやさに青年が何をしたのか、
とっさに判断が出来ないほどだ。
足の運びや腕の動き一つをとっても、全く無駄なところはない。
明らかに訓練されたものの動きだった。

男はただ茫然として、青年の一挙一動を見つめた。
いや、魅入られていたのかもしれない。
そして、青年の前には誰も立っていない。
皆、彼の足元に無残な姿で転がっていた。

相手が悪かったな。
彼は少々やられた男たちに同情する。
そしていまさらながらに気が付いた。
倒れこんでいる男の一人には見覚えがある。
自分が目をかけている弟分だった。

すっと一歩前に踏み出し、青年と対峙する。
こちらを見つめる黒い瞳に吸いこまれそうだった。
男はどうにも居たたまれなくなり、やっとのことで言葉を発する。
「こいつは俺の弟みたいなヤツでね。悪いことをした」

すると青年が驚いたように目を見開いた。
「君の…?そうか」
青年は一人納得すると、口の中で小さくつぶやく。
「道理で手応えがないわけだ」
確かにそう聞こえたため、男は思わず青年をじっと見つめかえした。

しかし青年は男の視線など気にも留めない様子で、
にこやかに微笑んだ。
「気にしなくていいよ。僕はこの程度なら日常茶飯事だから」
青年のやわらかく優しい微笑みとは、まるで似つかわしくない内容に、
男はあっけにとられる。

そして思わず言ってしまっていた。
「そうだろうな、確かにあんたは狙われやすいタイプだ」
すると青年が形の良い眉をすっとひそめる。
「どう言う意味だ」
硬い声で言い返してくる青年に、男は言葉を継いだ。

「それだけ美人だってことさ」
「僕はそういう冗談は嫌いだ」
即座に言い返され、男は、しまった、と思うが、もう仕方がない。
気に入った相手をからかいたくなるのは、昔からの癖だった。
いい大人になって、小学生みたいだ、と自覚はしているのだが。
いまさら直す気もないのだった。

にやにや笑いを浮かべる男に怒りを覚えたのだろう、
青年はきつくにらみ返してきた。
その強い瞳の光も、例えようもなく魅力的だった。
「あんた、あまり人前で怒らない方がいいぜ。
ますます美人になるからな。余計に襲われやすくなる」

男の言葉に、青年も怒るのを通り越して呆れたような顔になる。
何を言っても無駄だ、と悟ったのだろう。
ため息をついてきびすを返そうとする青年に、男が声をかけた。
「あんたの名前を教えてくれないか?」
「それならそちらが先に名乗ったらどうなんだ?」
逆に聞き返され、男は即答する。

「俺の名は、村雨祇孔という」
青年は村雨の方をじっと見つめていたが、やがて
観念したようにぼそりと言った。
「如月翡翠だ」
いかにも嫌そうな言い方に、村雨は苦笑する。
嫌ならば答えなければいいのだが、
律儀に名乗ってしまうところが微笑ましい。

そして『翡翠』という名前の響きの美しさに、心を惹かれた。
まさに目の前の青年にふさわしい名だ。
彼以外の者には、名乗らせたくはないほどに。

「翡翠、と呼んでもいいか?」
村雨の提案はあっさりと却下された。
「断る」
如月はそう言い捨てると、村雨に背を向けた。
さすがにもうこれ以上は引き止めきれないな、と
村雨はため息をつく。

そして自分をきっぱりと拒んでいる背中に向けて言った。
「また、会えそうな気がするな、あんたと」
「僕は二度と会いたくはないね」
如月は言い捨てると、こちらを振り向きもせず、
すたすたと歩き去っていった。

村雨はその後ろ姿をじっと見つめる。
ふと空を見上げると、いつのまにか雨も上がり、
雲間から星がひとつ瞬いていた。
村雨はその星に向かって小さくつぶやく。
「最高のプレゼントをもらったな」
二人が再び出会う日は、まだ遥か先のことだった…。



             おわり

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ここまで読んで下さってありがとうございます。m(_ _)m

村雨の誕生日記念SSです。
実は背景の金魚がお気に入り。
これを見た瞬間に「あ、村雨」と思っちゃったのでした。
よく考えると、「どこが…?」という感じですが。
他に「花札」もあるので、これはいつか使う予定。
どうぞお楽しみにー。

村雨も如月もどっちも好きなキャラクターなので、
幸せになって欲しいなぁ。




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