「秋の雨」


ピンポーン
小気味いい呼び鈴の音に、如月が扉を開けると、
そこへ立っていたのは村雨だ。
「よお、遅れてすまない」
明るい笑顔で手を上げる挨拶も、いつもと同じである。
しかし…。

村雨の思わぬ姿に、如月は茫然と見つめる。
そしてようやく立ち直ると、不審げに訊ねた。
「いったいどうしたというんだ、それは…」
「ああ、雨に降られてな」
村雨は全くそっけない。まるで他人事だ。
全身ずぶ濡れで、髪からは水がしたたり落ちているというのに。

その豪放磊落さが、如月の心を逆なでする。
「傘くらい、持って歩け!」
怒鳴りつけると、如月はくるりときびすを返した。
もちろん、決して家の中に入るな、と
念を押すのも忘れはしなかった。


程なくして戻ってきた如月は、大きなバスタオルを二枚抱えていた。
そのうちの一枚を無造作に村雨の顔に投げつける。
「おいおい、乱暴だな。もうちょっと優しくしてくれよ」
「このどしゃ降りの中、傘もささずにやってくる大ばか者には
  このくらいがちょうどいいだろう」
如月はきつい言葉をかけつつも、
もう一枚のタオルで村雨の身体を拭いてやっていた。

その素直じゃない優しさが、村雨には心地良い。
こんな風に、顔を合わせるたびに怒鳴られているような気もするが、
その怒りの中に確かに親愛の情が伺えるから、
不快に思うこともなかった。
いや、むしろ、そうして自分の前で感情を昂ぶらせてくれる事が、
嬉しかったのかもしれない。
だから、つい、いつも如月を怒らせるような言動ばかりとってしまう。

とはいえ、今回は不可抗力だった。
先程まで秋晴れの青空が広がっていたというのに、
いきなり夕立に降られてしまったのだから。
秋の空は変わりやすいというが、それを見越して
傘を持ち歩くような用意周到さは、村雨にはない。

こいつなら、きっと晴れていても傘を持って歩くんだろうな。
濡れた髪をタオルでがしがしと拭きながら、村雨は苦笑する。
そこをすかさず如月に見咎められた。
「何が可笑しい?」
「いや、何でもねえよ」

如月の声音に隠しようのない苛立ちを感じ、
村雨はゆるみそうになる頬を引き締めて、自重した。
これ以上怒らせると、ここから叩き出されるかもしれない。
それでは面白くないではないか。
この、本気で怒らせるギリギリの所を見極めるのが、
またスリルがあって楽しかった。
もちろん、そんな村雨の思惑など、如月は知りもしない。
きっと、想像する事も出来やしないのだろうが。

「だが、お前が来いって言ったんだぜ。
  蔵の整理をするんだろ?」
「この雨の中で出来る筈もないだろう?
  まさか来るとは思わなかったよ」
如月は村雨の手からタオルをもぎ取るようにすると、
あっさりと背を向けた。

そのまま戻っていこうとして、小さくつぶやく。
「せっかく来たんだ。あがったらどうだい。
  風呂をわかしておいたから」
そして、如月は、村雨の返事も待たずに、すたすたと歩いていった。
…やっぱり素直じゃねえな、こいつは。
村雨は、如月のすらりとした後ろ姿をうっとりと見つめ、
心の中でつぶやくのだった。


「着替え、ここに置くよ」
如月は風呂の扉ごしに、村雨に声をかけた。
「ああ、悪いな」
村雨の低い声が響くのと同時に、大きな水音も聞こえてくる。
如月は慌てて脱衣所の外に出ると、そこの戸を閉めた。
こうしておけば、村雨が着替えていても見えることはない。
すると、すぐに風呂の扉が開いて、村雨が上がってくる気配がする。

…危なかった。
如月は自分でもよく分からないほどに、焦ってしまっていた。
戸の向こうで、みしり、と床が鳴る。
村雨が着替えを取るために、身を屈ませでもしたのだろう。
その音が、如月の耳にはひどく大きく聞こえ、
自分はいったいここで何をやっているのか、と途方にくれる。

すぐに立ち去ろうとした、次の瞬間、ふいに村雨が声をかけてきた。
「着替えって、これお前のか?」
…どうして僕がここにいる事が分かったんだろう。
如月はどきりとしながら、しかし、その動揺を見せまいと、慌てて答えた。
「あ、いや、父のものだ。僕のではサイズが合わないだろう」
「そうか、親父さんは大柄なんだな。
  お前とは似てないのか?」
「ああ、僕は母親似だそうだから」
「なるほど、そりゃあ、すごい美人だったろうな」
「…どう言う意味だ?」
「別に深い意味はないさ」

如月は淡々と村雨の言葉に答えながら、
こんな風に扉ごしに話をしている事が、やけに奇妙に感じられ、
戸惑いを隠しきれなくなる。
すると村雨はそれを察したのか、またいきなり口をつぐんだ。
戸の向こうからは、村雨の身動きする音と、
衣擦れのさらさらという音だけが聞こえてくるばかりになった。
そこで如月が、今度こそゆっくりと立ち去ろうとすると、
おもむろに扉が開く。
振り返った如月の視線の先には、父の着物を
きっちりと着こなした村雨が立っていたのだった…。

 * * *

如月は茫然とその姿を見つめることしか出来なかった。
「似合うか?」などと冗談めかして村雨が尋ねている言葉も、
全く耳に入ってこない。
―父さん。
目の前の村雨が、思い出の中の父と重なる。
決して顔立ちが似ている訳ではないのだが、
どこか村雨には父を彷彿とさせるものがあった。

それは一つ処にじっとしていられない、自由を好む性分だろうか。
父は、如月が幼い頃からすでに、
ふらふらといつもどこかに出かけていた。
そしてそれは、母が亡くなると、ますます頻繁になっていった。
子供の頃は、漠然と父に見捨てられたのだ、と思っていたものだ。
育ててくれた祖父は『玄武』として、『飛水一族』の忍びとして
如月を見る事はあっても、孫として扱ってくれた事など一度もなかった。
如月はずっと父を恨んでいた。憎んでいた、と言ってもいい。

しかし、その気持ちは、今ではほとんど消えていた。
ある程度成長し、父のことを考え、思いやる事が
出来るようになった為だった。
父は、最愛の母を失った孤独を他のことで埋めようとしていたのだろう。
母に似ている自分の姿を見る事は、父にとっては苦痛にしかならなかったから、
そばにいたくなかったのだろう。
と、まで考えられるようになったのである。

長い長い時をかけて、如月の心はゆっくりと変わっていったのだ…。

 * * *

言葉を無くして立ちすくむ如月を、村雨は戸惑いながら見つめる。
如月が、自分ではない別の誰かを見ている事はすぐに分かった。
それが何よりも腹立たしい。
たとえ相手が誰であろうとも、こうして目の前に存在している
自分が負ける事など、許せるはずもない。
村雨は、おもむろに両手を伸ばし、如月の顔をはさむ込むと、
思いっきり自分の顔を近づけて言い放った。

「如月、俺はここだ」
はっと我に返った如月の目の前には、
村雨の思い詰めたような瞳がある。
その深い色の瞳に吸い込まれそうな気がして、
如月は思わず村雨の手をはねのけた。
そして、うつむき、つぶやく。
「…すまない」

すると村雨はいきなり明るい笑い声を上げた。
「どうした、しんみりしちまって。
  ああ、何だか暑いな。外の風にでも当たるか」
まだ現実に戻れない如月をちらりと横目で見やりながら、
村雨は勝手知ったるとばかりに、つかつかと居間に向かっていく。
慌てて追いかけてくる如月の軽い足音を背中で聞き、
村雨は小さく微笑んだ。
…そうだ、そうやっていつでも俺を見ていろ。
 お前は誰にも渡さない。俺だけのものだ…。

村雨はどこかの誰かに心の中で宣戦布告をすると、
どっかりと縁側に腰を下ろす。
いつのまにか雨も上がり、あたり一面が夕暮れの茜色に包まれていた。
庭の木々はすっかり紅葉し、まるで夕日の色を
映しとったかのように鮮やかだった。

ひらひらと舞い散るもみじの葉を見つめ、村雨はため息をつく。
こんな景色こそ、如月と共に眺めたい。
すると、その気持ちが通じたかのように、隣に如月が座りこんだ。
「きれいだな」
感嘆する村雨の言葉に、如月も応える。
「ああ、そうだな」

村雨も如月も、お互いに相手に言いたいことは山ほどあった。
だが、それでもこうして二人で穏やかでいられることが、
心地良く、何よりも幸せだったのだ。
しばらくそうして庭を眺めていたが、
ふいに村雨の手が何かを探すようにさまよった。
首をかしげる如月に、村雨は微苦笑して言う。
「タバコをどこへ置いたかな」

その言葉に、如月も苦笑した。
「相変わらずだな、君は。未成年のくせに」
「そういうお前こそ、かなり酒はイケる口だろうが」
「…まあね」
如月は答えながらも、乾かすために掛けておいた村雨のジャケットから、
タバコを取り出して渡してやる。
「湿ってるな」
村雨はくしゃくしゃになったタバコの箱を苦労して広げると、
一本取り出して火をつけた。
どうやら中までは水は染み込んでいなかったようだ。

「どうだ?お前も」
村雨が差し出すのを、如月はきっぱりと断った。
「遠慮しておくよ。僕はタバコは嫌いなんだ」
…父がタバコを好きだったからね。

続く言葉を飲み込んで、如月は、ただもみじが舞い散る庭を見つめる。
この庭をいつか父と二人で見られる日が来るのだろうか。
少しはまだ心は痛むけれど、
こうして静かに父のことを思い出すことが出来るようになったのは、
きっと大切な仲間たちが出来たからだろう。

そして、それはこの目の前にいる男も無関係ではなく…。
くすっと微笑む如月に、村雨は不思議そうな顔をする。
だが、まだこの気持ちは教えてやるつもりはなかった。

―そう、今はまだ…。


      おわり

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ここまで読んで下さってありがとうございます。m(_ _)m

村雨よりも如月のお父さんの方が
たくさん出ているような気がします。
全然ラブラブな雰囲気じゃないしねぇ。
本当はもう少し甘くしたかったのですが。

如月も早く自分の気持ちを認めちゃえばいいのにね(笑)
いつになったら結ばれるのか、この二人は…。


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