「羽根の如く」  ―青伯鈴さまへ


 


(4)

 ───人が人と出会うこと、
  それが運命と言うのなら。
    宿星と呼ぶのなら。
      僕が如月さんと出会ったのは、
        きっとこの為だったんだ──。


如月さんは、長い長い話をして、最後には声を荒げて、
まるで僕に怒鳴りつけるかのように言ったけれど、
それも僕を打ちのめしはしなかった。
そうやって自分自身をさらけ出して、
必死に僕を傷つけたつもりなんだろう。

でも、彼の剣はやっぱり峰打ちだから。
僕を傷つけているように見えても、
誰よりも傷ついているのは彼の方だ。
刀を振りかざす度に、血を流していくのは彼なんだ。
それを僕は知ってしまった。

知ってしまったからには、
彼が自分で自分を傷つけていくのに
手をこまねいている訳にはいかない。
如月さんの思惑通りにはなってあげられない。
そう、これが僕だから。


「もう分かったろう?
 君がここにいる理由は何もない。
 僕は君を必要としていないし、
 もっと他に君を必要としている人が居る筈だよ。
 その人の元へ帰るんだな。
 僕はもちろん引止めやしない」

いつの間にか立ち上がっていた如月さんは、
毅然として僕を見つめる。
髪のひとすじから、つま先まで一分の隙もなく、
出来の良い彫像のように。
そして彼はゆっくりと左手を上げ、
白い指で店の扉を差す。
「出口はそこだよ」

そう言って、かすかに微笑みすら浮かべる彼は、
今にもハラハラと崩れ落ちてしまいそうだった。
それを彼はきっと自覚していないのだろうけれど。

僕は、そんな彼を救ってあげたい。
如月さんの心や身体につけられた、
たくさんの傷痕を癒してあげることは
出来ないかもしれないけれど、
もうこれ以上傷つけないようにすることは出来る。

僕の羽で、彼を包み、護ることが出来るんだ。
僕はそう確信した。
だから微笑む。自信に満ちたまなざしで。
如月さんを圧倒するくらいに強い瞳で。


「僕は帰りません。如月さんの傍にいます。
 理由がないなんて、そんなの嘘です。
 こちらが在ればそちらは要らない、
 なんて単純な訳ないんです。
 如月さんは知らないだけです。
 あなたの手にはまだたくさんの物が乗せられるってことを。
 あなたはもっともっと大切な物を抱えられるってことを」
「君は…」

そう言ったきり、如月さんは絶句する。
それも当然だろう。
僕は彼の期待している答えと、
全く正反対のことを言っているのだから。
彼は、あまり表情が出ない人だけれど、
今の顔には困惑・失望・不信・驚愕…、
複雑なものが入り混じっていた。

きっと自分で自分を制する余裕がないんだと思う。
先刻の殺意すら込められた冷たい表情にも、
彼があえてそう振舞っていたのだ、と見受けられたのに。
どうやら僕は彼の仮面を剥ぎ取ることに成功したらしい。
彼が頑なに身にまとっていた鎧を、
奪い去ることが出来たようだった。


僕はそう感じた瞬間、
言い知れないほどの快楽を覚えた。
全身がぞくりと震え、知らずして深い吐息が洩れる。

これはいったい何だろう。
自分の内部から発露したものだとは信じられない。
僕の乏しい知識の中で、当てはまる言葉を探すとすれば、
征服欲というのかも知れなかった。

僕は経験がないけれど、
これはもしかしたら女性を抱いた後の気持ちに
似ているのだろうか。
想いを寄せた人の、他人には見せない顔や姿を見て、
自分だけが特別なのだと感じる。
その人の全てを手に入れたかのような錯覚をする…。


そうだ、僕はいま、
誰も知らない如月さんを見ているんだ。
ああ…、どうしようもなく惹かれてしまう。
そんな顔をされたら、じっとしていられない。

気がついた時には、
僕は如月さんの身体を抱きしめていた。
僕と如月さんはほぼ背格好は同じくらいの筈なのに、
彼の身体は思ったよりもずっと細くて、
こんな僕の腕の中にも収まってしまう。

「…な、何を…」
驚いた彼の声が、僕の耳元をかすめて、くすぐったかった。
如月さんは動かない右腕で、
必死に抵抗をしようとするけれど、
僕は無視して話し始める。

「ねぇ、如月さん。温かいでしょう?
 こうして誰かのぬくもりを感じていると、
 それだけで心が安らぐ気がしませんか。
 あなたにはもっとこういうものが必要なんです。
 理屈じゃなくて、身体で感じるものが」
「君が僕の何を知っていると言うんだ」

如月さんは声を荒げる。
でもそれは良い兆候だ。
彼はもっともっと感情的になるべきなんだから。
怒鳴られても、殴られても構わない。
僕は彼を離すつもりはないから。

しかし、如月さんはさして抵抗を見せなかった。
逆に僕は少し寂しくなるけれど、話をするにはちょうど良い。
「僕があなたにあげられるものが、
 一つだけあるんです。
 龍麻さんにもそれは出来ない。
 きっとあなたも龍麻さんもそれを何よりも欲していて、
 手に入れたいと望んでいるものが。
 それを持っているのは僕だけなんです。
 あなたにあげられるのも、僕だけ」

「…そんなもの、ありはしない」
如月さんはうつむきながら、弱々しく反論する。
僕はくすっと微笑みながら、応えた。
「ありますよ、たった一つ。
 それは…、『平凡』です」

僕の言葉に、如月さんが顔を上げた。
思いもかけない言葉を聞いたかのように、
きょとんとしている。
そんな顔は彼らしくなくて、ちょっと可愛らしかった。
「何の変哲もなく、だからこそ穏やかで安らいだ日々。
 誰もが当たり前のように持っているけれど、
 如月さんや龍麻さんからは程遠い言葉。
 そうでしょう?」

「それはそうかもしれないが…、だからと言って、
 どうやってそれを君が
 僕に与えてくれるというんだ?」
毒気を抜かれたのか、すっかり素直になっている如月さんに、
僕は得意気に説明する。

「簡単ですよ。
 ごく普通の高校生がしていることをやれば良いんです。
 そうだなぁ。学校帰りにコンビニに寄ったり、
 ゲームセンターに行くのも楽しそうだ。
  それから休日には映画を見るのも良いですね。
 あ、そうだ、如月さん、カラオケ行ったことありますか?
 今度一緒に行きましょう」
「そんな暇もなければ興味もないよ」

如月さんの答えはそっけない。
それでも僕はあきらめる訳にはいかなかった。
「そうそう、僕の家に遊びに来ませんか。
 如月さんを見たら、みんなびっくりするだろうなぁ。
 忍者だ、なんて言わない方が良いですよ。
 大騒ぎになっちゃうから。
 僕の妹はね、結構ミーハーな所があって、
 僕に誰々さんのサインを持ってきて、
 なんて気軽に頼むんですよ。
 でもさやかちゃんならともかく、
 部外者の僕がサインなんて頼める訳ないですからね。
 無理だよ、っていつも断るんですけどね。
 この前の時代劇のロケでは、
 母まで一緒になって○○さんのサインが欲しい、
 なんて言い出すし。無理だって言っているのに。
 僕はさやかちゃんと違って
 一般人なんだよ、って言うんですけど」

「…そうか」
僕のくだらない話を如月さんは黙って聞いていた。
が、不意に険しい顔つきになる。
そして拗ねた口ぶりで、小さくつぶやいた。
「君には彼女がいるじゃないか。
 こういうことは彼女にしてやるんだな」

今度は僕がきょとんとする番だ。
「さやかちゃんのことですか?」
「他に誰が居ると言うんだ」
如月さんの言葉に、僕はくすっと笑う。

「さやかちゃんは、そんなんじゃないです。
 えーっと、どう説明すれば良いんだろう。
 さやかちゃんは、ああ見えて、とても強い人なんですよ。
 芸能界という周囲全部がライバルみたいな場所で、
 たった一人で戦っているんです。
 それを僕は助けてあげたいと思う。
 彼女を護りたいと思っているけれど、
 僕なんてずっとずっと彼女よりも弱いんですから。
 でもやっぱりさやかちゃんも特殊な世界にいると、
 普通に接してくれる相手が欲しいみたいで、
 僕がちょうど良いんです。
 僕とさやかちゃんは、最初から対等じゃないんですよ。
 僕にとっては京一先輩みたいなものです」

「彼女が京一くんと同じ…?よく分からないな」
首をかしげる如月さんを見て、僕はますます可笑しくなる。
如月さんをやわらかく抱きしめたまま笑い続ける僕に、
彼はそっと尋ねてきた。
「それじゃ、君にとっての僕は…」

彼は言いかけてから、
失言した、とばかりに口をつぐんでしまうが、
僕はもちろん聞き逃さなかった。
「あのね、如月さん。
 僕は多分、あなたの家族になりたいんです。
 普段はそれほど大切に思えなくても、
 いざという時には支えになってくれる。
 決して裏切ることもなく、
 無条件で信じ、愛してくれるような存在。
 僕にとっての家族とはそういうものですから」

「…そんな『家族』を僕は知らないよ」
反論する彼の声には、これまでのような力はない。
「だから僕がその『家族』になろう、
 って言ってるんじゃないですか。
 ああ、心配しないで下さい。
 別にあなたを束縛しようとは思いません。
 あなたは好きにして良いんです。
 そのままで良いんです。
 ただ、走り疲れてしまったら。
 戦いに疲れてしまったら、
 僕のことを思い出してもらえれば、それで。
 あなたが帰りたいと思えば、
 僕はどんなことをしてもあなたを受け入れますから」

「そんなものは必要ないと言ったら…?」
おずおずと尋ねる如月さんに、僕は明るく笑う。
「嘘をついてもダメです。
 誰だって走り続けてはいられないんだから。
 鳥だって、羽を休める場所は必要です。
 あなたにも無防備になれる場所が必要なんですよ」

するといきなり如月さんはムキになった。
「僕はここに満足している。
 この家の中ならば、何も怖れることなんてない」
「本当ですか?たった一人なのに…?」
「僕は一人で居ることが好きなんだ」

…全く、如月さんって、意地っ張りな人だ。
でもそんな所もとても可愛い。
だから、目が離せないんだな、きっと。
「それならどうして僕の腕の中に居るんですか?」
「それは…」
如月さんは絶句するが、すぐに小さく付け加えた。
「…君が離さないからだ」

もちろんそんなのは可愛い言い訳。
如月さんが本気になったら、
僕なんて敵いはしないんだから。
「如月さん、今度の日曜日、どこかへ行きませんか?
 そうだなぁ、如月さんだったら
 美術館とか、博物館の方が良いのかな。
 あ、そうだ。骨董市に行くのも良いですね。
 掘り出し物があるかもしれませんよ。
 如月さんはどこか行きたい所はありますか?
 お寺めぐりも良いですよね。
 七福神にゆかりのある場所を廻るとか、
 如月さんだから水とか亀とかに縁の深い
 寺社に行ってみるっていうのはどうでしょう?
 どこか知りませんか。
 もちろん僕が調べておいても良いですけど。
 それから…」

如月さんが反論する隙を与えずに、
僕は延々と話し続けた。
考えてみれば、店の中で男二人、
何やっているんだろうと思われちゃうかもしれないな。
ここが暇な店で感謝しなきゃ。

「そうだ。今日の夕飯は僕の家に食べに来ませんか。
 しばらくはこっちに泊まるって言ってあるけど、
 電話すれば大丈夫だろうと思うし。
 実はみんな気になって仕方がないんです。
 いくら僕が怪我させたとはいえ、
 そこまでする相手のことを。
 それに僕も如月さんを家族に会わせたいんですよ。
 僕の大切な人だって、紹介しても良いですか?」

「…君はいったい何を言ってるんだ…」
呆れたような溜め息をつく如月さんに、
僕はいたずらっぽくささやく。
「それじゃ、うちには来ないんですか?」
「………行くよ」

ボソリとつぶやかれたその一言は、
僕を歓喜させるに十分だった。
「じゃあ、さっそく電話してきますね。
 電話をお借りしても良いですか?」

そう言って僕はあっさりと如月さんから手を離す。
ようやく解放された彼は、
あからさまにホッとした顔をしていたけれど、
その中にほんの少し落胆の色が混じっているのを、
もちろん僕は見逃さなかった。

今ここでスキップしたいくらいに浮かれながら、
僕は店の片隅に置かれている電話を手にとって、
家に掛ける。
電話に出た母とあれこれ話している僕を、
少し離れた所から如月さんが見つめていた。

その姿がとても寂しげで、
僕は電話をしていることも忘れて、
彼をじっと見つめ返し、微笑んでみせる。
すると途端に如月さんは頬を染めて、
照れくさそうに背を向けた。

うわあ、可愛い。…困ったな。
今すぐにでも駆け寄って抱きしめたいくらいだ。
そんなことをしたら、
今度こそ殴られるかもしれないけれど。
僕は母と電話で話しながら、
如月さんの背中をずっと見つめるのだった…。

* * *

それから如月さんの腕が完治するまでの二週間。
僕たちは共に生活を続けた。
もしかしたら一ヶ月くらい掛かるんじゃないか、
という僕の目論みはあっさりと外れ、
如月さんは気合いで怪我をあっという間に治してしまった。
やっぱりスゴイ人だった。

しかも本当に腕が使えなかったのは
最初の一週間くらいだったから、
ほとんど僕の存在意義なんて、
無いようなものだったけれど。

むしろ如月さんは一人の方が気楽だったろうし、
僕がいては邪魔だと思っていることも分かっていた。
だからこれは如月さんのためではなく、
僕が如月さんへの罪滅ぼしをした、ということで。
そうしなくては僕の気が済まなかったからだ、
と彼も知っているから、
あからさまに邪魔者扱いはしなかった。

何を言おうが、僕の気持ちを変えることは出来ないと
悟ったからかもしれない。
とはいえ、やはり如月さんはあくまでも如月さんで、
態度が軟化することもなく、
日々は過ぎて行ったのだけれど。


そう、つまり僕たちは何の進展もしなかったのだ。
少なくとも形の上では。

あれ以来、僕に抱きしめられるような
隙を見せる如月さんじゃなかったし。
着替えを手伝うと言っても、
お風呂で背中を流すと言っても、頑として断られた。
ま、僕の下心が透けて見えたのかもしれないな。

夜も決して僕より先に眠ろうとはしなかった。
眠ったかと声を掛けてみると、
いつもすぐに小さな返事が戻ってくる。
そうして隣の如月さんの様子を気にしているうちに、
僕が眠ってしまうのだ。

朝は当然のように如月さんの方が早起きだ。
いったいいつ眠っているのか、と思うけれど、
今までも彼はそうやって生きてきたんだろうと思う。
家の中ですら完全に気を抜くことはせずに。
僕を警戒していた所もあったのかもしれないが、
それだけじゃないだろう。
長年の習慣で身に付いた習性は、
そう簡単に変えることは出来ないのだから。


それでもほんの時折、
彼が僕の前でふっと気配をゆるめることがある。
バリヤーのように張り巡らせている
≪氣≫を解いてくれるのだ。
意識的になのか、あるいは無意識になのか。

そんな時の如月さんは、
ちょっと子供っぽい無邪気な微笑みを見せてくれて、
可愛くてたまらなくなる。
こんな顔を他の人には見せないでくれ、と言いたくなる。
この人をどこかに閉じ込めてしまって、
誰の目にも触れさせないように、
僕だけのものに出来たらどんなに良いだろう。
そんなことは出来ないからこそ…。


当面の僕のささやかな夢は、
如月さんに僕の手料理を美味しいと言ってもらうことだ。
僕の母の料理はあんなに美味しそうに食べるくせに、
僕の作ったものには良い反応を見せてくれたことがない。
「まだまだだね」なんて言うばかりだ。

そりゃあ、母の料理に比べたら、
僕なんて『まだまだ』かも知れないけれど、
たまには美味しいの一言でも言ってくれたって
罰は当たらないのにな。

今週末も僕の家に来ることになっている。
如月さんは最初は緊張していたようだったけれど、
僕の家族のペースにすっかり巻き込まれて、
あっという間に打ち解けてしまっていた。

父とは歴史や骨董品の話に花を咲かせ、
母には料理の味付けを習っていたりする。
妹には宿題を手伝ってやったり、
テスト前の勉強を見てやったり。
お兄ちゃんよりもずっと教え方が上手い、と評判だ。
近頃では『翡翠くんがウチの子だったら良いのに』が
母の口癖になっている。

翡翠くんだなんてずるいよな。
僕だってまだ名前で呼べないのに。
今度、どさくさにまぎれて『翡翠さん』って呼んでみようかな。
怒られるかな、怒られるだろうなぁ。

まだまだ如月さんにとって、
僕が特別な存在になるのは、当分先みたいだ。
でも僕はあきらめが悪いし、執念深い所があるから、
そんな簡単に挫折しないけどね。

いつか如月さんが、自分のそばに僕がいるのが
当たり前だと思える日が来るまで。

彼が、僕を必要だと言ってくれるその日まで…。


           おわり

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ここまで読んで下さってありがとうございます。m(_ _)m

長すぎて、すみません(苦笑)。
これでもかなり短くなったんです。
本当はもっと霧島にお世話をさせてあげたかった…。

いえ、当初はキリ番リクエストだったので、
前後編くらいで収める予定ではありました。
それが書き始めてみたら、長くなる長くなる。
いきなり如月が身の上話を始めたからです。
軽いコメディにするつもりだったのに、
そのせいですごくシリアスになりました…。

この設定はずっと前から考えていたものですが、
別の場所で使う筈だったのに(TWINの龍麻編)。
ま、でも私の書く如月は、どれも同じ如月です。
それぞれ相手が違っていても(笑)、キャラクターは同じ。
どうしても性格も設定も同じになってしまいます。

だから同じように苦しみ悩んでいる訳で、
それを救ってくれるのは時に龍麻だったり、
村雨だったり、京一だったり、するのですけれど。
まさか、ここに霧島が入るとは。
自分でも書いていて驚いてしまうくらいですが、
これはこれでアリだなー、と思わず納得。

意外なリクエストをしてくださった青伯鈴さまへ感謝です。
でもこんな長文を差し上げて、
恩をあだで返すような真似をしちゃってすみません(汗)。
こんなキリ番リク、有り得ないよ。
しかも後書きという名の言い訳も長くなりました…。

こんな所も最後まで読んで下さった方に、最大限の感謝を。
これからもどうぞよろしくお願い致します。


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