「祈り」

空気までが凍りつきそうに冷え込む冬の日。
やっと夜が白々と明けてきた早朝、
ひと気のない神社の境内に一人の青年が静かに立っていた。
辺りには、邪なる者は一歩たりとも踏み入れることの出来ないだろう、
『神気』が凛として張りつめている。
青年はまるでその『神気』を発しているのが、彼自身ではないか
と思えるような、誰も近寄ることの出来ない清冽さを持っていた。

しかし青年はもちろん神ではない。
反対に、神に祈りを捧げていたのだった。
よほど深い願いなのだろう。
かなり長い間、一人でじっと手を合わせている。
冷たい風にあおられ、美しい黒髪が頬にかかるが、
端正な横顔は全く変わらず、
ただ一心不乱に祈りつづけている―。


ふいに、青年は固く閉ざしていた目をあけた。
黒い瞳が穏やかな美貌に似合わず、鋭い光を放つ。
肩口で切りそろえられた黒髪が、顔を上げた瞬間、さらり、と音を立てた。
そして間髪を入れずに、勢いよく振り向く。

と、 その視線の先には「夜」があった。
夜の暗闇をそのまま切り取ったかのような、全身黒ずくめの男。
長いコートが風にふわりと揺れる。
もちろんこれも、黒だった。
確かに今は朝であるはずなのに、彼の周りだけ夜が明けていないようだ。
服装だけではなく、彼自身の持つ雰囲気が、
闇にふちどられているのだ。

しかし青年の張り詰めていた気は、
黒い男の姿を目に留めた瞬間、すうっと跡形もなく消える。

「やあ、壬生、君だったのか」
やわらかく優しい声で青年が言うと、
男は彼らしくもなく、ほっとしたようだ。
「…邪魔をするつもりはなかった、如月」
男、壬生はぽつりとつぶやく。
さして大きくはないのに、低くよく通る声で、
かなり離れて対峙している如月の元にも、しっかりと響いた。

如月はかぶりを振ると、穏やかな笑みを見せる。
「いいんだよ、もう帰る所だったからね」
そう言いながら、壬生のそばに歩み寄っていく。
「君もここに用があったのかい?」
如月が尋ねると、壬生はくすっと微笑んだ。
そんな笑みを浮かべると、先程までの暗さが嘘のように消え失せる。
「ジョギングの途中でね」

「まさか、君の家からここまで走ってきたとでも言うのか?」
驚きをあらわにする如月に、壬生はぽつりと言った。
「…冗談だ」
如月は一瞬、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたが、
ふいに思い切り笑い出した。
「君がそんな冗談を言える人だなんて、知らなかったよ」
よほど可笑しかったのだろう、腹を抱えたまま、まだ笑っている。
「笑い過ぎだ」
壬生はため息をつくが、その瞳は微笑んでいた。

そして、小さくつぶやく。
「ここは気が澄んでいるからね。仕事帰りにはちょうど良いのさ」
如月は笑うのを止めて、じっと壬生の顔を見つめる。
「相変わらずのようだな、君は…」
「僕はこの生き方しか出来ないんでね」
心配そうな如月に、壬生は苦笑で返した。
「それに…」
壬生は続ける。
「贖罪とでもいうのかな、この僕でもそんな気分になるんだよ。
  仕事のあとはね。
  だから、いつもこういう澄んだ気のある所に寄って帰ることにしている。
  それで何が救われる訳でもないけれど、
  暗殺者ではなく、ただの『壬生紅葉』に戻る為の儀式のようなものかな」

「壬生…」
如月は、思わぬ所で壬生の内面を垣間見た気がし、
気遣わしげな目を向ける。
しかし壬生はそんな同情めいた思いなど、
これっぽっちも欲しくはないらしい。
如月の視線を平然と強い瞳で跳ね返すと、今度は逆に問い詰める。
「君こそ、ずいぶんと熱心に祈っていたじゃないか?」
「あ、いや、それは…」
如月はちょっと口ごもった。

が、すぐに話し始める。
「僕が祈るのは、ただ一人、龍麻の為だけだ。
  龍麻の無事を祈っていた。それだけだよ」
きっぱりと言い切った如月に、壬生はフッと微笑む。
「そちらこそ、相変わらず、だ」
そう言われ、如月も苦笑した。
「確かにそうだね。僕もこの生き方しか出来はしないから。
 『玄武』としてしか生きられないんだろうな、きっと」

如月の言葉をじっと聞いていた壬生だったが、
ふいに背を向けると、先程まで如月が祈っていたのと同じ場所に立ち、
そっと手を合わせた。
如月はただ茫然とその後ろ姿を見つめているだけだ。
ほどなくして、壬生が黒いコートをひるがえして戻ってきたところへ尋ねる。

「何を祈っていたんだい?」
しかし、壬生はそれには答えず、すっと如月の横をすり抜けた。
そしてそのまま立ち去っていこうとし、つと、足を止める。
壬生は、如月に背を向けたまま、一言つぶやいた。
「…君の無事を」
如月ははっとするが、引き止める間もなく、
壬生の黒い後ろ姿は小さくなっていく。
その後ろ姿に、如月はそっとささやいた。
「ありがとう…」

                おわり

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ここまで読んで下さってありがとうございます。m(_ _)m

如月イラストのお礼にかおり様に差し上げたのですが、
うーん、意味不明ですね。
シリアスにしようとすると、とんでもなく暗くなる傾向がある私なので、
なるべく明るく明るく、と思ったのですが、なっています…?

壬生と如月の書き分けって難しいですね。
こんなの壬生じゃない〜!と言われてしまいそう(^^;)

 


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