如月誕生日記念SS  「肌身離さず」


 


「やあ、いらっしゃい」
涼やかな笑顔で、店主が出迎える。
客に対しては程よく愛想のいい店主だったが、
心の底から来てもらえたことが嬉しくて微笑む相手は、
ごくわずかだった。
いや、たった一人、と言ってもいいかもしれない。
その一人が目の前に立っているのだから、
自然と店主の顔もほころぶというものだ。

「今、いいかな?」
静かでやわらかい響きの、人を惹きつけずにいられない
声の持ち主は、それ以上に魅力的な微笑を浮かべて言った。
もちろん店主が断るはずもない。
「もちろんだ。ちょうど誰もいないしね」
話しかけながら、店主はすかさず扉の「商い中」の
札をひっくり返す。
そしていそいそと大切な客を奥へ通すのだった。


「来てくれて嬉しいよ。ところで今日は何の用だい?龍麻」
如月骨董品店の若き店主、如月翡翠は、
優雅な手つきでお茶を入れながら、彼に微笑みかけた。
すると彼、緋勇龍麻は、ちょっとはにかみながら口ごもる。

その様子に、如月は心の中で首をかしげた。
確かに彼はおしゃべりなタイプでは無いが、
そんな風にためらう事は珍しかった。
何かあったのか…?
如月はかなり心配をしていたが、
もちろん顔には決して出さない。
ただ、やさしい微笑を浮かべ、彼が話す気になるのを
じっと待つだけだ。


すると沈黙に耐えかねたのか、龍麻がゆっくりと口を開く。
「あのさ、受け取って欲しい物があるんだけど」
言いながら、ポケットから小さな包みを出してくる。
それをことりと卓袱台に置くと、如月の方を
頼りなげな瞳で見つめ返した。

とたんに如月はその黒い瞳から目が離せなくなる。
ずっとこの瞳を見つめていられたら、
何を引き換えにしてもいい、と思えるほどに。
むろんそういう訳にもいかず、やっとの思いで
視線を龍麻の出した包みの方に移す。
それにはかなりの自制心を必要としたが。

「僕に…?開けてもいいかな」
如月の言葉に龍麻はこくりとうなずく。
その仕草もたとえようもなく愛しかった。
どうしたというのだろう、今日の龍麻は何か違うな…。
如月は心の中でつぶやきながら、包みをそっと開いた。

すると緑色の小さな置き物が転がり出てくる。
それはかわいらしい亀の形をしていた。
如月はようやく龍麻の意図に気付き、
はっとして口を開こうとしたが、
すかさずさえぎられた。

「もうすぐ翡翠の誕生日だろ?
だから何かプレゼントしたいな、と思ったんだけど、
どんなものが良いのか分からなくて。
街をうろうろ探して歩いていたら、ふと目に付いたんだ。
それを見たら翡翠のことを思い出したから…」
息をつく間もなく、一気にそこまで話し終えて、
龍麻はふうっとため息をついた。

そして如月の反応をそっとうかがう。
しかし如月はじっと手のひらの中の小さな亀を見つめたままだ。
「気に入らなかった…?」
恐る恐る龍麻が尋ねると、弾かれたように
如月が言い返してきた。
「そんな訳は無いよ。君が僕にくれるというのなら、
  たとえ道端に落ちている石ころでも嬉しいよ」

「石ころって…。それよりはマシなつもりなんだけどな…」
ちょっとスネる龍麻に如月は慌てて言いなおす。
「いや、もちろん石ころって言うのはただの例えだよ。
  これが石ころの価値しか無いという訳ではなくて、
  君がくれたのならば、例え石でも
  ダイヤモンドよりも嬉しいという…」
しどろもどろになる如月に向かって、龍麻がくすっと微笑む。

そこでやっと如月もからかわれた事に気付いたようだ。
「人が悪いぞ、龍麻」
「ごめん、翡翠。だってあんまりムキになるから」
花が開いたかのように、明るく微笑まれては、
如月はそれ以上言い返す事など出来はしない。
ただうっとりと見つめるだけだ。


そしてそっと手のひらの淡い緑色の亀に目をやる。
光り輝く宝石のような華やかさは無いが、
穏やかに眠るような静かな美しさを持っていた。
「翡翠だね。ありがとう、とっても嬉しいよ」

本当に心の底から嬉しかった。
初めてのプレゼントを、誰よりも大切で愛しい相手から貰ったのだ。
今まで誰かに誕生日を祝ってもらった事の無かった如月だが、
それが却って嬉しかった。
この日のために、この喜びを味わうために、
全てがあったのだ、と思えた。

そんな如月の喜びが伝わったのだろう。
龍麻もこの上もなく嬉しそうな笑みを浮かべている。
その微笑みをやはりうっとりと見つめてしまう如月だったが、
思わず、どんな物よりもプレゼントは「龍麻」が良かったな、
などと不埒な考えを抱いてしまうのだった。

すると、いきなり龍麻が立ち上がった。
そしておもむろに着込んでいた学ランのボタンを外し始める。
ま、まさか僕の考えている事が分かったのか…!?
如月は内心はひどく焦っていながら、
口では全く別な事を言っていた。
「暑いのかい?まだ暖房は入れていないけれど…」


しかし龍麻はふるふるとかぶりを振り、
あっさりと学ランを脱ぎ捨てた。
真っ白のワイシャツが目にまぶしい。
細身だが、鍛えられたしなやかな体のラインが、
服の上からでも見て取れる。
どうしよう…。
如月はすっかり頭が混乱していた。

さっきまでプレゼントは「龍麻」がいいな、などと思っていたことも
すっかり吹き飛んでしまっていた。
龍麻は、如月の困惑など気にも留めずに、きっちりとしめていた
一番上のボタンを外し始める。
白い首筋や、のどがあらわになり、なんともなまめかしい風情だ。

ごくり、と如月は唾を呑み込んだ。
何かを期待した訳ではなく、極度の緊張からだ。
すると龍麻のすらりとした指が、胸元からそっと忍び入る。
そしてそのまま中を探るかの様に、さ迷っていたが、
やがて何かをつかんで現れてきた。
如月はその指の動きに気を取られていたので、
龍麻が何をつかみ出してきたのか、全く目に入っていなかった。

「ほら、これ」
あっけらかんと言う龍麻の言葉で、やっと如月は我に返る。
まだ大きく開かれたままの胸元の方が気になったが、
必死の思いで、視線を龍麻の手の中に移した。
そして驚く。

「それは…」
龍麻が取り出したのは、今、如月が手にしているものと
同じ亀の置き物だった。
ただ違うのは、きれいな紐がくくりつけられ、首に下げることが
出来るようになっている所だけだった。
「こうしていると何だか翡翠が護ってくれているような気がして、
  安心できるから」

如月はめまいがするほど嬉しかった。
しかしそれ以上に激しい嫉妬を覚えた。
…龍麻の胸元にいた亀に。
そして気付いた時には思わず口に出していたのだった。
「それ、僕にくれないか?」

いきなりのことに戸惑う龍麻にかまわず、如月はどこからか
紐を持ってきて、龍麻がくれた方の亀にくくりつけた。
「そして、こっちを君に上げるから」
「そういうことなら、いいよ。もちろん」

龍麻はやわらかい微笑を浮かべると、すとん、と
如月の横にしゃがみこんだ。
そして如月が意識する間もなく、ごく自然に、
自分の亀を如月の首にかけてやる。
「はい」
無邪気な微笑を浮かべる龍麻に、如月は震える手で
そっともう一つの亀を彼の首にかけた。

「おそろいだね」
龍麻は嬉しそうにそんなことを言いながら、
シャツのボタンを締めてゆく。
そして夢心地だった如月がはっと我に返った時には、
もうすっかり無粋な黒い学ランを着込んでしまっていたのだった。

如月はがっくりと肩を落とす。
すると胸元の緑色の亀が目に入った。
自分と同じ名の石で出来ているそれは、まるで愚かな如月を
あざ笑っているかのように見えたのだった…。

            おわり

--------------------------------------------

ここまで読んで下さってありがとうございます。m(_ _)m

如月を幸せにしたい、と思って書いたものですが、
全然甘くもラブラブにもならず、しかも何だか格好悪いぞ、如月。
…どこかで間違えてしまったようです(笑)
単に龍麻に翻弄されているだけですね。
あ、いちおう説明しておくと、この龍麻は「平行編」や「異世界編」
とは全く関係ないキャラクターです。
多分如月といつかは両思いになるはず。
いや、今だって両思いなんですよ。これでも。
ごめん、如月。こんな誕生日で良かった?

こんなんでも如月への愛だけは詰まっていますので。
これからもどうぞよろしく。

 



--------戻る-------     TOPへ