「花の名前」

「よし、こんなものだろう」
如月は食卓に並べられた献立を見つめ、満足げにうなずいた。
どれもとりたてて珍しいものではなく、ごく普通の和食メニューだが、
一人暮しの男にしては、ちゃんとしたものを食べているよな、と思う。
箸をとり、さあ食べよう、としたその時、玄関の方で騒がしい音がした。

「なんだ…?こんな時間に」
やっと店を閉め、これからがゆっくり出来る安らぎの時間だというのに。
如月は不満に思いながらも、外に出て、絶句する。
「何をやっているんだ、君は…」
ため息をついた如月の前にいるのは、
彼の唯一無二の主、緋勇龍麻だった。

が、そうは思いたくないような有り様である。
他人の家の玄関先で、ぐったりと座り込んでいる龍麻の姿は、
全身が泥だらけで、靴はびしょびしょ、頭には雑草がからみついている。
「とにかく中に入ったらどうだい?」
如月は呆れてしまい、ようやくそれだけ言った…。

それから如月は、着替えを用意して、龍麻を風呂に放りこむ。
するとしばらくして、ちょっと照れくさそうにした龍麻が戻ってきた。
どうやら風呂では何事もなかったらしい。
如月は思わずほっとする。

「洗濯しておいたよ」
龍麻がのんびり風呂に入っている間に、
如月は泥だらけの龍麻の服を洗い、乾燥機に入れて乾かしておいたのだ。
むろん靴もきれいに磨いておいた。
「ありがとう、翡翠」
服を受け取った龍麻はかわいらしい笑みを見せる。
するとそれだけで、如月は何でも許せてしまうような気になるのだった…。

「で、何があったんだい?」
如月が問い詰めると、龍麻はとたんに勢いよく話し始める。
「えーっと、翡翠のうちに遊びに行こうと思っていたら、途中で可愛い犬に会ってね。首輪をしてないから野良犬だと思うんだけど。それがさ、なでようとしたらいきなり襲ってきて、思わず逃げたんだけど、どんどん追いかけてくるんだよ。必死で逃げているうちに土手から落ちちゃったらしくて、川に足がはまっちゃうし、道は分からなくなっちゃうし。もう大変だったんだからね!」

「そんな、怒られても…。僕のせいじゃないよ」
如月はがっくりと肩を落とした。
以前からおっちょこちょいというか、抜けているというか、
おおボケな所があるとは思っていたが、これほどまでとは思わなかった。
これではまるで、ネコ型ロボット漫画の「の●太くん」のようではないか。
本当に彼は『黄龍』なんだろうか…。
如月は心の中で、そっとため息をついた。

「ところで、僕のところに来てくれたのは、何の用だったのかな?」
気を取り直して如月が尋ねると、
龍麻は照れくさそうに笑って言った。
「うん、今日の宿題でわからなかった所があるから、教えてもらおうと思って」
如月はまたも絶句する。
「―それだけ…?」
思わず聞き返すと、龍麻はものすごく驚いたようだ。
「え?!変だった…?でも如月は頭いいし、
 他の人に聞くよりも確実だろうと思ったから」
「そうか、ありがとう…」
たかが宿題のために、あんな目にあった龍麻に、
如月は心の底から同情する。

「じゃあ、宿題をやってしまおうか?見せてごらん」
如月の言葉に従い、龍麻はカバンを取りに行く。
「卓袱台を出したほうがいいかな」
つぶやきながら、部屋に戻った如月は、食卓に並べられた食事を見て、
自分がまだ夕食を済ませていなかったことを思い出す。

仕方がない、ここを片付けるか。
ため息と共に、すっかり冷めてしまった食事を片付けようとしていると、
後ろから盛大な音が聞こえてきた。
ぐう〜きゅるるるー。
今度は何だ!と思い、振り向いた如月の前には、
エサを前に尻尾をぶんぶん振る仔犬の姿が…。

当然、あるわけはなく、やはりそれは龍麻だった。
「食べるかい?」
尋ねると、当然!という顔で、龍麻が何度もうなずく。
如月はくすっと微笑むと、食事を温めなおし、龍麻の分も用意してやった。
「わあ、すごいね、翡翠」
並んだ食事を前に、龍麻が歓声を上げる。
「ブリの照り焼きに、さといもの煮っころがしに、
 大根と油揚げのお味噌汁かぁ。美味しそう〜」
すっかり龍麻ははしゃいでいる。

そんな龍麻を見ていると、如月も今までの苦労など吹き飛んでしまった。
「ねえねえ、この漬物も翡翠が漬けたのー?」
「そうだよ。代々伝わる秘伝のぬか漬けでね」
「忍者漬けだねっ」
「…違うよ」
漫才のような楽しいやりとりをしながら、
食事をしていると、ふいに龍麻が尋ねてきた。

「ね、これ何…?」
龍麻の指差しているものは、白くふわふわしたものと、
色とりどりの野菜が一緒に煮つけられている惣菜だ。
「ああ、それは卯の花だよ」
こともなげに答えた如月に対して、
龍麻の驚き方は尋常ではなかった。
「ええー!? 食べられる花なのっ?!」

そんなに思い切り驚かれた如月の方が、かえって驚く。
如月家では子供の頃から、ごく当たり前に食卓に並んでいたおかずである。
知らない者がいるなど、思いもよらなかったのだ。
茫然とする如月に対して、龍麻はどんどん話し出す。
「あ、そっか。食べられる花もあるよね。菊とか。 この白いふわふわしているのが花なのかなぁ。 『卯の花』かぁ。どんな味がするんだろう。 食べてみようかな、でも花だもんね。ちょっと勇気がいるなぁ」

「いや、あのね…。花じゃなくて、それは…」
しどろもどろになる如月を、龍麻はきょとんとして見つめ返した。
「花じゃないの…?」
可愛らしく小首をかしげて尋ねる龍麻に、如月は微笑みながら答えた。
「そう。豆腐の仲間だよ。
 豆腐を作った残りかすのようなもので、『おから』というんだ」

すると龍麻は目に見えてがっかりする。
「なあんだ。花じゃないんだ。おからっていうの?変な名前」
そう言うと、もぐもぐとおからを食べ始めた。
そしてぱあっと顔が明るくなる。
「おいしいね、これ」
「そう言ってもらえると嬉しいよ」
疲れを覚えながらも、こういう毎日も悪くない、と思う如月だった…。

やがて食事が済むと、如月は庭に龍麻を呼んだ。
「こっちに来てごらん」
「なあに…? 翡翠」
龍麻は飼い主に呼ばれた仔犬のように、一目散に駆け出してくる。
大きい目を期待に輝かせた龍麻に、
如月は庭に植えてある木の一本を指し示した。

「あれが、卯の花だよ」
そこには白く美しい花が咲いていた。
月明かりの元で見ると、まさに幻想的な風景だ。
「わあ、きれいだぁ」
龍麻はうっとりとみとれる。
「本当にあるんだね、卯の花って」
「そうだよ。この花が咲くと、もうすぐ夏だな、という気がするんだ」
「すごいね、翡翠って。なんでも知っているんだね」
龍麻はすっかり感動しているようだ。

如月は、この龍麻が自分の主で良かった、と心の底から思った。
他の誰でもなく、この目の前にいる『龍麻』が、
大切で護りたい、唯一無二の存在なのだ。

「…ありがとう」
万感の思いを込めて、如月はそっとつぶやくのだった…。

           おわり

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ここまで読んで下さってありがとうございます。m(_ _)m

大ボケ龍麻がすっかり気に入ってしまいました。
また次も書こうかな、と思っています。
食べ物ネタにするかどうかは分かりませんが。

ところで私は「卯の花」(=ウツギ)の木をよく知りません(笑)
花が白い、というくらいで。
だからもしかしたら庭に植えるには向かない木かもしれませんが、
如月邸は何でもあり!ということで。
(そんなんでいいのか…?)



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