熱い時間を過ごした後、心地良い気怠さに身を委ねながら、御剣は、うっとりと男の胸に頬を寄せる。
弾力があってたくましい胸板や、力強い腕の中に包まれていると、それだけで満たされるようで、言い知れない幸福を感じた。
けれど、だからこそ不安になる。
今が幸せであればあるほど、それを失ってしまうことが恐ろしかった。
大切な人を目の前で亡くした経験のある御剣にとっては、決して杞憂ではない。
もしかしたら成歩堂も父のように……、と考えない日はなかった。
それでも、この不安を成歩堂に打ち明けることはない。
たとえ話したとしても、彼ならば、明るい笑顔でさらりと言ってのけるだろう。
『バカだね、お前は。起こってもいないことで悩んでも仕方がないだろ。それよりもっと目の前の大切なことを考えようよ』と。
それはそうだろう、と御剣も思う。
もしかしたら落ちるかもしれないから、と不安がって、飛行機に乗らないようなものだ。この程度のことをいちいち気に病んでいたら、日常生活も送れまい。
だが、分かっていても御剣の心は晴れない。理屈では割り切れないからだ。
(……このぬくもりを失いたくない……)
御剣は、ぎゅっと成歩堂の身体にすがりつく。うかつなことを口走らないように、きつく唇を噛みしめながら。
すると、ふいに優しく髪を撫でられた。大きな手のひらで御剣の銀糸の髪をゆっくりと。
「なる……ほどう……?」
「不安なの、御剣」
小さくつぶやかれた彼の言葉に、御剣はハッとする。微かにふるえる御剣をなだめるように、成歩堂の声は穏やかで優しい。
「大丈夫だよ、僕はここに居る。ずっとお前の傍に居るからね」
(……どうして)
御剣は、胸が詰まって言葉が出なくなる。
どうして成歩堂は自分の考えていることが分かってしまうのだろう。どうして一番欲しい言葉を言ってくれるのだろう。
……成歩堂が、もっと冷たい人間だったら良かったのに。
御剣はふと、そんなことを思った。
それならば、こんなにも成歩堂に囚われなくて済むのではないか。こんなにも心を奪われなくて済むのではないか、と。
今だってすでに、言葉では言い表せないくらいに彼のことが好きなのに。
理解してもらえることが嬉しくて。優しくされる度にもっと好きになって。
どんどん、どんどん成歩堂のことを手放しがたくなってしまう。
成歩堂を失うことが怖くなってしまう、悪循環だった。
「……成歩堂」
「ん?」
「もしも……、もしも私が居なくなったら……」
君は他の人を見つけて、幸せになってくれるだろうか。
私は君が居なくても、一人で生きていけるようになるだろうか。
ぐるぐると迷走を続ける思考はまとまらず、冷静な判断力も存在しないままに、ぽつりとつぶやかれた御剣の言葉は、夜の闇に溶けて消えた。
「何……? よく聞こえなかった」
「何でもない。ただの独り言だ」
「そう?」
成歩堂は不審そうな表情を浮かべている。
御剣はそれを封じるように、自分から手を伸ばして、彼の唇に口付けた。すぐに成歩堂も甘いキスで応えてくれる。
「ん……っふ……ぅん……」
蕩けるような口付けに酔いしれて、御剣は考えることを止めた。
たとえ未来がどうなろうとも、今この時は確かに幸福なのだから。ただひたすらに享受すれば良い。
……それが、泡沫の夢だとしても……。
おわり
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