『 静かな宵に 』



「……ん」
 御剣はふと目を覚ました。

 ゆるりと顔を上げると、そこには愛しい男がすやすやと気持ち良さそうに眠っている。
 暗闇が苦手な御剣のために点けてあるベッドサイドの小さなランプの灯かりが、彼の横顔を暖かなオレンジ色にやわらかく浮かび上がらせていた。

 成歩堂のトレードマークであるツンツンした前髪も、下ろしていると、どことなく子供っぽく、あどけなく見えて、御剣は思わず微笑みを浮かべる。
 このままずっと見つめていても、いつまでも飽きないのではないかと思う。普段は成歩堂の寝顔など、ほとんど見ることがないからかもしれない。


 いつも御剣の方が先に、意識を失うようにして、眠りに落ちてしまうから。
 彼に抱かれていたはずなのに、気が付いたら朝だった。そんなことも少なくないのだ。
 そういう時の成歩堂は、きっちりと後始末を済ませて、御剣の身体もきれいに拭き清めてくれている。

 それはありがたいと思うのと同時に、御剣にとっては悔しいことでもあった。
 意識を失った自分の、無防備で無造作で無頓着な肉体を、愛しい男の眼前に晒さねばならないのは、やはりプライドが許さない。
 増してや、いつもはこんな風に自分が見つめられているのだと思えば尚の事。


 成歩堂は古い携帯だからカメラ機能はついていないなどと言っているが、もしかしたら御剣の寝顔が山のように保存されているかもしれない。
 そう考えると、ちょっとシャクだった。
 ならば今度は自分の携帯に成歩堂の寝顔を収めてやろう、と悪戯心が湧いてくる。

 とはいえ、辺りを見回しても目に付くところに携帯電話は置いていなかった。
 それもそのはず。
 せっかく二人でイチャイチャしているのに、緊急の呼び出しなどで邪魔をされては敵わないと、成歩堂がきっちり鞄にしまい込んでおいたのだから。

 ベッドから起き上がり、寝室のドアを出て、書斎に置いてあるカバンから携帯電話を取り出して、また戻ってくる……なんて、かなり面倒な作業だろう。しかも御剣は全裸なのだ。
 それに御剣がガタガタやっていると、成歩堂が起きてしまうかもしれない。それでは本末転倒だ。


(仕方がない……。写真は次回だな)
 次がいつになるか分からないが、会った時には必ずと言っていいほど、夜を共に過ごす関係だ。機会はおそらくあるだろう。
 とりあえず今夜は、このまま見守るより他に出来ることもなさそうだ。

(そういえば……)
 成歩堂は携帯にカメラ機能は付いていないけれど、心のアルバムにはちゃんと収めているから大丈夫だ、などと自慢していた。
 これでも記憶力は良い方なんだよ、と胸を張っていた姿を思い出す。

「心のアルバムか……」
 考えてみれば、御剣の心の中にも、成歩堂の姿はたくさん宿っている。
 自慢ではないが、御剣も記憶力は良いのだから。


 出会った小学生の時から始まって、弁護士として再会した時の大人になった姿、御剣の弁護を引き受けてくれた時の頼もしい背中も、想いを打ち明けてくれた時の真摯なまなざし。
 初めてキスをした時の甘いささやきも、抱きしめられた時の力強い腕も何もかも、鮮明に心に焼き付いていた。

(色々あったな……)
 記憶の中の成歩堂はどれも好きだと思うけれど、それ以上に、目の前に存在している今の成歩堂が一番好きだった。
 もちろん苦手だと思うこともある。うっとうしいと思うこともあるし、ここだけはどうしても我慢できないという部分もあるけれど。

 成歩堂に会うたびに、好きになってゆく自分がいる。
 今もこんなに好きなのに、明日はもっと好きになる。
 次に会う時はもっともっともっと。
(……それは怖いな)
 御剣は思わず、ぞくりと身を震わせる。


 もしも好きだと思う気持ちに限界があるのなら。
 いつか成歩堂を好きだと思えなくなる日が来るのかもしれない。隣にいることが当たり前になって、好きだとかそんなことじゃなく、ただ共にある。
 それは穏やかで微笑ましい関係かもしれないけれど、自分と成歩堂がそんな風になっているなんて想像したくもない。

 いや、それならまだマシだろう。
 もしも好きだと思う気持ちに限界が無かったら。
 成歩堂を好きになって、好きになって、好きになりすぎた果てに、自分はきっと成歩堂なしでは生きていけなくなってしまう。
 すでに今も片足くらいは突っ込んでいるような気がするのに。

 そうなれば行き着く先は破滅しかない。
 成歩堂が御剣の狂気に呑み込まれるか。
 それとも御剣を恐れて去ってゆくか。
 どちらにしても御剣は成歩堂を傷つけ、不幸にしてしまうだろう。


(……私は間違っているのだろうか)
 御剣は答えの出ない問いを投げかける。

 成歩堂のことが好きだから離れられない。
 成歩堂のことが好きならば離れるべきだ。

 そんな相反する思いが御剣の中でせめぎあい、がんじがらめに縛りつけられて、どうしようもなくなってゆく。
 恋とはこんなにも苦しいものなのだろうか、なんて詩人のようなことを思いながら、御剣は成歩堂の横顔を見つめ続けた。


「……成歩堂」
 御剣は想いを込めてそっとささやく。成歩堂は一度眠ってしまったら、そう簡単に目を覚まさないことは知っている。
 だから安心していたのだけれど。
 ふいに成歩堂は、御剣の言葉に応えるかのように寝返りを打ち、むにゃむにゃと寝言をつぶやいた。

「ううん……、御剣……、愛してるよ……」
「な……っ」
 もしかして起きていたのかと、まじまじと見つめてみても、やはり彼はしっかり眠っているようだった。

(……あまり驚かせるな)
 頬を赤く染めた御剣の唇には微笑みが浮かんでいた。御剣にその自覚はなかったが。
 こういう男だからこそ好きになってしまう。好きで好きで好きで、どうしようもないくらいに好きになってしまうのだろうから。

「私も……愛しているよ、成歩堂」
 そっとささやいてから、急に恥ずかしくなって、御剣は男から背を向ける。
 火照った頬を隠すように、すっぽりと毛布をかぶると、今のことは忘れて、さっさと眠ってしまおうと心に決めた御剣なのだった……。

 
         おわり

 
読んで下さってありがとうございます。

本当はナルホド君は起きていました、
という展開にするか、最後まで悩んだのですが、
やっぱり眠っていてもらうことにしました。
じゃないと寝言の信ぴょう性が無くなりますからね(苦笑)。

御剣さんが悪夢を見るのは、
ナルホド君のおかげで減っているといいなと思いますが、
ナルホド君は能天気な夢を見ていそうですよね。

夢の中でも悩み多き御剣さんと対照的に、
夢の中でも幸せそうなナルホド君。
だからこそ御剣さんを受け止めてあげられるのだろう、
と思ったりもします。

2013.12/30

戻る     MENU