「君に頼みがある」
成歩堂の事務所にやってきた御剣は、深刻な表情で口を開いた。
「ああ、電話で聞いた話だろ。それに内容も想像が付いてるよ」
成歩堂が微笑むと、御剣はあからさまにホッとした顔になる。
「そうか……、それなら話は早い」
「でも引き受けるとは言っていないけど」
「ム……、それでは……?」
「交換条件だ。僕の頼みを聞いてくれたなら、お前の頼みも引き受けよう」
成歩堂がそう言い出すことは、御剣にも予想が付いていたのだろう。意外な程に素直にうなずく。
「分かった。私に出来ることなら、どんなことでもしよう」
「ふうん? どんなことでも……ね」
成歩堂は意味深に微笑む。
すると、途端に御剣の頬が真っ赤に染まった。
「だ、だからといって、そのようなアレは……っ」
「僕は何も言っていないのに、お前は何を想像してるのかな」
「な……っ」
御剣は赤くなったり、青くなったり、一人でジタバタしている。その反応がいちいち可愛くて、愉しい。
(こういうところは相変わらずか……)
年齢を重ねたことで、外見は落ち着いた雰囲気を増したように見えるのに、中身の方は相変わらず、可憐な少女のような初心さだ。
離れている間に、御剣でもどこかの誰かとそれなりの経験を積んだのではないか、と危惧していた成歩堂だが、要らぬ心配だったようだ。
おそらく御剣ならば、男女問わずに狙っている相手は星の数ほどいるだろう。それでも誰の手にも落ちていなかったことが、単純に嬉しかった。
その理由が成歩堂の存在ではなく、御剣の鈍感さ故にだとしても。
「僕は優しいからね。お前が何を想像したのか、聞かないでおいてあげるよ。で、どうするの?」
「何がだね?」
「本当に僕の願いが、どんなことでもお前は了承すると言うんだよね?」
「ムう……、致し方あるまい」
「あはは、そんなに悲痛な顔をしないでよ。切腹を命じられた武士じゃないんだから」
「だが……」
御剣の表情から不安な色は消えない。いったい何を言い出されるのかと、身構えているのだろう。
「僕は鬼畜な人でなしじゃないよ。お前にとっては容易いことさ」
「いや、どんなことでも、と言ったのだ。引き受けよう」
「それじゃ、服を脱いで」
さらり、と告げた成歩堂の言葉に、御剣は一瞬絶句する。
が、やがて決然とうなずいた。
「……分かった」
そう言うと、御剣はおずおずとジャケットを脱ぎ始める。その姿をいつまでも眺めていたい気持ちはあったが、成歩堂はすぐに制した。
「いくら僕でも、そこで脱げとは言わないよ。奥に部屋がある。そちらを使って良いよ」
「ム……」
「それに裸で出て来いってのも酷だからね。着替えを用意しておいた。テーブルの上の紙袋に入っているから、それを着ておいで」
「着替え……?」
御剣は首を傾げていたが、もう覚悟は決まっているのか、隣の部屋へと消えてゆく。
「さて、どうするかな、あいつ」
成歩堂はくすくすと笑う。
ずいぶんと悲壮な決意をしたらしい御剣には、怒られることは必至だが、その様子を想像するだけで、待っている時間も楽しめそうだった。
そしてしばらくの後、隣の部屋のドアが荒々しく開かれる。
「なななな、成歩堂……ッ! これはいったい何の真似だ!!!」
やはり御剣は烈火のごとく怒っていた。が、その顔が赤いのは、怒りのためだけではなさそうだ。
「ああ、ちゃんと着れたね。よく似合ってるよ」
「な、何故、私がこんな服を……」
わなわなとふるえる御剣は、ひらひらのレースが付いたエプロンがセットになったワンピースを身にまとっている。いわゆるメイド服というヤツだ。
「そんな大きなサイズがあるかと心配だったけど、行くところに行けば、何でも揃っているもんだね。お前に似合いそうな、露出の少ない大人しめのデザインを選んだつもりだけど」
「だ、だが……、スカートが短すぎるではないか!」
「問題はそこ? 袋にニーハイ入れといただろ」
「にーはい?」
「ニーハイソックス。長い靴下のことだよ。それで足は隠れるし、ずり落ちそうなら、ガーターベルトで止めればいい。それも入ってるから」
「ムう……、そうか」
どうやら御剣は納得したらしい。
また部屋に戻ろうと振り向いた彼を、成歩堂は引き留める。
「ファスナー、下がってるよ。もしかしてサイズきつかったかな」
メイド服はエプロンも一体型のワンピースになっていて、後ろにファスナーが付いているのだが、それが肩胛骨辺りまでしか上がっていなかった。
御剣の白い肌とうなじがチラチラ見えるのは、色っぽくもあるけれど、どうせならちゃんと着て欲しいと思う成歩堂だ。
すると御剣は、かすかに頬を染めてつぶやく。
「……手が届かなかった」
「ああ、そうか。自分では上げられなかったか。無理もないよね。男物で、後ろにファスナーが付いている服なんて、あんまり無いもんなぁ」
御剣はこくりとうなずいた。
こんな格好をさせられるのは悔しいが、それ以上に、自分で着られないというのはプライドが傷付くのだろう。着られなくても無理はない、と援護してやると、ホッとした様子だった。
だが成歩堂の次の言葉に、御剣は凍りつく。
「じゃあ、僕が上げてあげるね」
「い、いや結構だ」
「何をそんなに怯えてるの? 変なヤツ」
「本当に上げるだけなのだな?」
「もちろん」
成歩堂はそう言うと、あっさりとファスナーを上げてやった。御剣もちょっと拍子抜けした顔をしている。
内心ではファスナーを下ろして、御剣の滑らかな白い背中に指を這わせつつ、敏感なところを刺激してあんあん言わせたい欲望に駆られてはいたが、まだその段階ではない。
成歩堂としては、やはりメイド御剣を完成させることが最優先だった。
「はい、出来たよ。それじゃ、続きをどうぞ」
御剣の背中をポンと叩いて促すと、御剣もそのまま大人しく部屋の中へと戻っていった。
やがて、御剣の困惑した声が響く。
「こ、これはいったい……。何をどうすれば……」
成歩堂はくすっと微笑むと、ドアの前に立ち、コンコンとノックをした。
「手伝おうか?」
「ひ、必要ない! この程度のこと、私一人で……ッ」
そう言いながらも、ドアの向こうからは、どったんばったんと、着替えをしているとは思えないような音が聞こえてくる。
「これをこうして……? だが、そうするとこっちが……。あっ、引っ掛かった……!」
「無理しなくて良いんだよ?」
成歩堂の言葉に誘われるように、ドアがおずおずと開く。
「……私には、これが限界だ」
「ああ、ニーハイは穿けたね。ガーターベルトはあきらめたんだ?」
「ずり落ちなければ良いのだろう」
「ロマンがないなぁ。ま、良いか。その方が脱がす時も楽だし」
成歩堂がそう言うと、御剣はハッとした顔になる。
「ただ着るだけで終わりだと思った? 甘いなぁ」
「成歩堂……、キサマ」
「コスプレさせたいなら、どんな格好だって構わないだろ。あえてメイド服を着させた理由は、ちょっと考えれば分かることだよね」
御剣は鋭い目で睨み付けながら、ギリギリと歯を食いしばっている。だがメイド服では凄味も無い。ただ微笑ましいだけだ。
「何でもすると言ったのは、嘘だったの? 僕の『お願い』はまだ終わっていないよ?」
「……嘘ではない、だが……」
「それじゃ、ご奉仕してもらおうかな。メイドさんらしく従順にね」
「ご奉仕……」
御剣のまなざしが不安げに揺らめく。
「そうそう、今お前が想像したようなことだよ。出来るだろ?」
成歩堂はどっかりとソファに腰を下ろし、御剣の可愛らしい格好を、上から下まで舐め回すように見つめる。
すると御剣は、とうとう堪えきれなくなったのか、ぺたりと床にしゃがみ込んでしまう。
「…………私には、無理だ」
「あはは、何を想像したのかな。お前って顔に似合わずムッツリだよね。僕はただ隣に座って、お酌でもしてもらおうと思っただけだけど」
「え……?」
成歩堂は自分の座っているソファの隣をぽんぽんと叩く。
「だ、だがキサマは、脱がせるだの何だのと……」
「お前はホントにからかい甲斐があるよね」
「だましたのだな……っ」
「半分はね。もちろん僕としては、そんな展開になってくれても、全然構わなかったんだしさ」
「うぐ……」
御剣の目がうっすら潤んでいるのは、きっと悔し涙だろう。
「ほら、こっちにおいで。変なことはしないからさ」
「……分かった」
御剣は言われたとおりに、成歩堂の隣にちょこんと座る。スカートの裾を気にしているのが可愛らしい。
それを目にした成歩堂は悪戯心を起こした。
スカートの下から覗いている白く艶めかしい太股に、ついと指を這わせると、御剣は色っぽい声を上げる。
「……んっ」
「ここ、絶対領域って言うんだよ。チラリズムってヤツかな。全部出しちゃうよりも、こうやって部分的に見える方がイヤラシイよね」
「へ、変なことはしないと……」
「ごめん、ごめん、つい」
成歩堂が誠意の欠片も無い謝罪をすると、御剣はまたもキツイ目で睨み付けてくる。
その様子はプライドの高い猫のようで、成歩堂は思わずつぶやいた。
「ああ、メイド服も良いけど、猫耳も捨てがたいなぁ。お前の髪の色には、きっと黒猫の耳がよく似合うだろうね」
「君の欲望は果てしないな……」
「お褒めにあずかりどうも」
「褒めていない、これっぽっちも」
御剣はぷりぷりと怒っているが、それでも成歩堂の隣から動こうとしないのは、素直というか、単純というか。
(……さて、次は)
内心でほくそ笑むと、成歩堂はすっと立ち上がる。
「……成歩堂?」
不安げな御剣の声を背中に聞きながら、成歩堂は御剣が着替えをしていた隣の部屋へと入っていった。
そして、すぐに白い布を手にして出てくる。
「何か足りないと思ってたんだよね。ヘッドドレス、忘れてるよ」
「へっどど……?」
「お前がいつも首に巻いているのと同じようなもんだよ。白いヒラヒラ。こっちは頭に付けるものだけどね。後ろ向いてごらん、付けてあげるから」
「ム……」
御剣は小首を傾げながらも、大人しく成歩堂の指示に従った。
そこで成歩堂は、白くてヒラヒラしたヘッドドレスを、御剣の頭の上に乗せてやる。両側に垂れ下がったヒモを首の後ろに回すと、うなじに触れたせいか、御剣が可愛い喘ぎ声を上げた。
「……ぁ……っ」
びくんと身体をふるわせる御剣に、成歩堂は冷静な声で告げる。
「じっとして。動いたら付けられないよ」
「……分かった」
御剣はまたも素直にうなずくので、成歩堂はじっくりと時間を掛けて、首の後ろでヒモを結んでやった。
唇を噛みしめて、喘ぎ声を堪えている御剣は、すっかり耳まで赤くなっていたけれど。
「これで良し。こっち向いて、御剣」
その声に御剣が振り向いたところに、成歩堂は携帯を構える。そこで、ようやく御剣は何をされたのか気付いたようだ。
「ななな……っ」
「大丈夫だよ。絶対に誰にも見せないから」
それは本心だ。こんなに可愛い御剣のメイド姿を、他の誰にも見られたくない。
けれど、そう言ったところで、御剣が安心出来るはずもないだろう。
「その写真を消すのだ! すぐに消したまえ!」
「そう言われてもね。僕は機械オンチだからさ。消し方なんて分からないよ。写真の撮り方も最近ようやく覚えたんだ」
「それでは私が消してやる。こちらに寄こせ」
「ダメだよ。顧客情報とか見られたくないものもあるんだから」
「うぐぐ……」
御剣は恨めしそうに成歩堂の携帯電話を睨み付けているが、そもそもこの電話にはカメラ機能は付いていない。適当なボタンを押してハッタリを利かせただけだ。
それでも、真実を知るまでは、御剣をからかう良いネタになるだろう。
……それにお楽しみはこれからだった。
成歩堂は向かいのソファに携帯を放り投げると、御剣の身体をぐっと抱き寄せた。
「成……っ」
御剣が抗議の声を上げるが、それを甘いキスで封じてしまう。舌で口腔を荒々しく掻き回しながら、白い布に包まれた太股を撫でさすると、それだけで御剣の全身から力が抜けた。
うっとりしたまなざしで、身を委ねてくる御剣が愛おしくて仕方がない。
何もしないと言っておきながら、舌の根も乾かぬうちに、ここからどんな風に啼かせてやろうかと、成歩堂は思案を始める。
やはり、せっかくのコスプレなのだから、全部脱がせてしまっては意味がない。
短いスカートをめくり、下着だけを剥ぎ取って、自分の膝の上に乗ってもらうのが一番良いだろうか。
問題は御剣が言うことを聞くかどうかだが、さっきの写真をネタにすれば、きっと素直になるだろう。
成歩堂は真っ黒な笑みを浮かべる。
そうして御剣のスカートに指をかけた、その瞬間。
……いきなり世界が暗転した。
※ ※ ※
「え……?」
ハッと目を開けた成歩堂の前には、残念ながら御剣は居ない。もちろんメイド服も存在していなかった。
「まさか……、夢……?!」
どうやら御剣を待っているうちに、ソファで眠ってしまったようだった。
成歩堂はがっくりと肩を落とす。
肝心なところで目を覚ましてしまったからではなく、自分はいったい何という夢を見ているのか、と呆れてしまったのだ。
だが、たかが夢だと片付けてしまうには、惜しいくらいのリアリティだった。
「ヘッドドレスも可愛かったけど、やっぱり猫耳かなぁ。そっちの方が似合いそうなんだよな。それにガーターベルトも付けて欲しいし。いっそのこと僕が手取り足取り……」
そこまで妄想して、成歩堂は我に返る。
「何考えてるんだ、僕は……。ゴメンよ、御剣」
ふと時計を見れば、御剣がやって来るまでに、また多少の猶予はある。メイド服を調達しにいく程度の時間は残されていた。
「いや、ダメだって。絶対に無理だろ。でも……惜しいなぁ」
悶々と膨れ上がる欲望を抱えて、成歩堂は一人つぶやくのだった……。
おわり
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