『 甘いだけのキス 』



「お先にやってるよ」
 成歩堂は缶ビールを掲げて微笑む。やはり風呂上がりには、これが最高だ。
 御剣も成歩堂に寄り添うように、ソファの隣に腰を下ろすと、小さくうなずいた。
「私も頂こう」

「ビールで良いのかい?」
「ああ。シャワーの後は缶ビールも悪くない」
 そう言って、御剣は右手をこちらに差し出す。
「ん……?」
「それで良い」
 御剣が指差したのは、成歩堂の飲みかけのビールだ。

「新しいのが冷蔵庫に入ってるのに」
「どうせ君は半分くらいしか呑めないではないか」
「最近はだいぶ強くなってきたんだよ」
 何だか馬鹿にされている気がして、成歩堂は言い返した。
 だが御剣は、からかうように笑うばかりだ。
「無理はするものではないぞ」
「無理じゃないって」


「いいから、それを渡したまえ」
 とうとう強引にビールを奪い取られてしまった。
「もう温いんじゃないかなぁ」
「これが良いのだよ」
 御剣はどこか楽しげに言うと、缶にそっと唇を触れさせた。そのまま目を閉じて、こくこくとビールを嚥下する御剣の姿を、成歩堂はぼんやりと見つめる。

 程なくして、御剣は満足そうにうなずき、色素の薄い美しい目を開く。
「……苦いな」
 吐息交じりにささやいて、唇の端にこぼれた雫を舌先で舐める仕草が、やけに扇情的だった。
 それを目にした成歩堂は、どうしようもなく欲望を刺激されてしまう。風呂上がりの御剣は良い香りがして、ただでさえ色っぽいというのに。

(こいつに誘っているつもりは、ないんだろうけどな……)
 成歩堂は心の中で苦笑を浮かべる。自覚が無いから厄介で、だからこそ魅力的な御剣に、いつも翻弄されっぱなしだ。
 ただ振り回されるだけなのはシャクなので、成歩堂は自身の欲望に忠実に従うことにした。多少は酔いの勢いもあったかもしれない。


「……それじゃ、もっと甘いもの、呑んでみるかい?」
「え?」
 愛らしく小首をかしげる御剣をぐいと抱き寄せ、成歩堂はビールを自分の口に含んだ。そして、それをキスと共に御剣の中に流し込む。
「ん……ぅ……」
 御剣が喉を鳴らして呑み込む音が、ひどく淫靡に聞こえた。

「美味しい?」
 成歩堂の問いに、御剣は素直にうなずく。
「もっと呑む……?」
 それにも御剣はうなずくから、成歩堂は二度、三度と繰り返した。
 けれど唇は軽く触れるだけ、舌も入れずに、ただビールだけを注ぎ込まれる行為に焦れたのか、御剣が甘ったるい声を上げる。
「や……ぁ……」
「おねだりかい? でももうビールは空っぽだよ。お前が全部呑んじゃったからね」
「ん……」

 すると御剣は、うっとりと成歩堂の肩にもたれかかってくる。あれしきの量でも酔ってしまったのか、白い頬がほんのり染まって艶めかしかった。
「御剣、こっち向いてごらん」
 成歩堂の言葉に、御剣はゆるりと顔を上げる。
 そして、こちらがそれ以上の要求をする前に、自分から唇をしどけなく開き、赤い舌を差し出してきた。


 その情欲を誘う姿に、成歩堂は思わず生唾を飲み込む。今すぐにでもむしゃぶりついて、御剣の口腔を蹂躙したいところだけれど。
 成歩堂はひとまず欲望を抑えて、自分も同じように舌を伸ばすだけにした。
 お互いに至近距離で見つめあい、舌先をくすぐるように触れさせる。
 キスとも呼べないような他愛もない遊戯だけれど、たったこれだけで脳髄がしびれるような刺激を感じた。

 法廷では、御剣の色素の薄い瞳は酷薄にすら見えてしまうが、今の彼の目には成歩堂に対する想いが満ち溢れ、甘く蕩けるようだった。
(……きれいだなぁ)
 成歩堂は飽きもせずに、愛しい恋人の顔を見つめる。
 無論、もっとアレコレしたい気持ちはあるけれど、御剣のあまりの可愛さに、このままいつまででも見ていられそうだった。

 普段キスをする時は目を閉じてしまうから、御剣がどんな表情を浮かべているのか分からない。どんな風に成歩堂を受け止めているのか知る由もないけれど。
 きっと、いつもこんな顔をしているのだな、と嬉しくなる成歩堂だ。


 御剣の表情には恥じらいの色も感じられるけれど、成歩堂への対抗意識からなのか、頑なに目を閉じようとはしない。
 だから二人は、そのまま舌先を触れ合わせるだけの、キス未満のじゃれあいを何分も続けることになった。
 そして、とうとう耐えられなくなったのは、御剣の方だった。
 成歩堂の首にぎゅっと抱きつくと、まるで噛み付くようなキスを自分から仕掛けてくる。熱を帯びた二人の舌が、成歩堂の口内で淫靡に絡み合った。

 そこまでされては成歩堂も黙ってはいられない。
 御剣の舌を甘く噛んで刺激しつつ、息継ぎのために御剣の唇が離れたタイミングを見計らって、今度はこちらから侵入していった。
「っふ……ん……ぅ…」
 御剣の唇から切ない吐息がこぼれる。
 やがて、それは甘い喘ぎへと変わっていった。すすり泣くような、続きをねだるような声が静かな室内に響いてゆく。

 あの御剣をこんな風に啼かせているという事実だけで、成歩堂はぞくぞくするような満足感を味わった。
 こういう時、いつもの成歩堂ならば、速攻で御剣をベッドに連れて行くか、あるいは、それすら待てずに、ソファで押し倒してしまうのだけれど。
 不思議と今日は気持ちに余裕があった。このところ、割と頻繁に会えていたからかもしれない。


 欲望のままに御剣を追い込むのではなく、この時間をゆっくりと楽しみながら、二人で昇ってゆきたい気分だった。
 そこで成歩堂は、御剣をなだめるように優しく髪を撫でて、そっと彼の身体を離す。唾液の糸を引きながら、二人の唇が離れると、御剣が物足りなさそうな声を上げた。

「も……、ゃ……ぁ」
 しどけなく唇を開いて、続きをねだる御剣の姿に、成歩堂はくすっと笑う。
「本当にお前はキスが好きだね。求められるのは嬉しいけど、ちょっと休憩しようか」
「ム……う」

 不満そうにする御剣を、成歩堂は自分の腕の中にやわらかく抱き留めた。絹糸のような髪を撫で続けてやっているうちに、ようやく御剣もリラックスした様子で全身を預けてくる。
 そのまま目を閉じると、意外なほどに落ち着いた声音で、御剣は話し始めた。


「君が先刻言っていたが、確かに私は君とキスをするのが好きだ。ムロン、それ以上の行為も嫌いではないけれど、どうしても私の方が追い詰められて、自分が自分で居られなくなってしまうからな。その点、キスまでならば私も理性を保っていられるし、何より……」
「うん」
「お互いに対等に愛し合っているという気がするのだ。男としてのプライド……、ということかもしれんな」

「そっか……」
 御剣は何も言わずに成歩堂を受け入れてくれているけれど、やはり女性のように扱われることには、彼自身にも思うところはあるのだろう。
 だからといって、ならば成歩堂も受け入れれば良い、という問題でもないのだろうし、そんなことを御剣が望んでいるとも思えない。

(……そのはずだよな?)
 ふと生じた疑問を、成歩堂はそっと尋ねる。
「だったら、たまには逆にしてみる?」
「……逆とは?」
「つまり、お前が僕に挿れるってこと」


 すると御剣は、きょとんとした顔でこちらを見つめて、しばらく絶句した後に、弾かれたように笑い出した。
「いきなり何を言い出すかと思えば。そんなことを考えたこともないし、考えたくもない。君を屈服させるのは、法廷だけで十分だ」
「法廷でも勘弁して欲しいけどね」
「ならば、もっと精進したまえ」
 御剣は勝ち誇ったような笑みを浮かべると、さりげなく付け加えた。

「それより続きはしないのかね? ベッドに行く準備は出来ているぞ」
「さっきまで、セックスよりもキスが良いって言ってたのに。何だよ、それ」
「君がこれ以上、下らない世迷言を言い出さないようにな」
「だから、あれはちょっとした確認というか。本気じゃなかったよ、もちろん」

「それでは証拠を見せたまえ」
 御剣はすっかり検事口調になっている。
「……どうせなら、もっと可愛くおねだりして欲しいなぁ」
「しないのかね?」
「するよ、するってば」

 すっかり御剣のペースにはまっている成歩堂だ。
 それでも、このおねだりを拒むことなど出来やしないので、いそいそとベッドへと向かうことにするのだった……。


           おわり

 
読んで下さってありがとうございます。

キスだけでエロく、が隠しテーマでしたが、
あえなく敗れ去りました。難しいなぁ。
力不足を思い知らされますね。

エロ方面の引き出しが少ないので、
出来れば、それ以外で
ラブラブいちゃいちゃさせたいのです。
なんならキスもしなくても良いくらいなのです。
(いや、ダメだろう、それは)

読んでいる人はたいくつかもしれませんけれど、
延々と二人の会話をだらだら書いていたい、
そんな気分なのでした。

2014.01.26

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