『 どんなときも 』



 和やかな夕食が終わり、のんびりと二人でテレビを眺めていたところで、成歩堂が口を開いた。
「ねぇ、御剣って、もしかして犬好き?」
「いきなり何だね?」
「だって、さっきからテレビに犬が映るたびに、すごく嬉しそうな顔してるよ。鏡で見せてやりたいくらいだ」

 弁護士はニマニマと人の悪い笑顔を浮かべている。御剣はその頬をつねってやりたくなった。
「……君の気のせいだろう」
「そうかなぁ。それとも犬に限らず、可愛い動物が好きだとか?」
「そうではない。どちらかというと苦手な方だ。私はあまり動物に懐かれないのでな」

 子供の頃から動物は苦手だった。犬にはいつも吠えられる。猫には引っかかれる。インコに髪をむしられたこともあるくらいだ。
 おそらく矢張のように裏表のない能天気な人間ならば、動物も警戒することなく懐いてくれるのかもしれないけれど。
 苦悩する御剣の姿に、成歩堂は自分なりの結論を勝手に付けてしまったらしく、一人でうなずきながら、つぶやいている。

「うんうん、分かるよ。御剣の片想いってワケだ。想いが通じないとつらいよね。せめて言葉が分かれば良いんだろうけど、動物相手じゃそうもいかない」
「だから、そうではないと」
「無理しなくてイイって。好きなものは好きだって、キッパリハッキリ言って良いんだよ?」


 何だか話が見えなくなってしまった。御剣は小首を傾げる。
「ム……、君は人の話を聞いているのかね」
「もちろん。御剣は素直じゃなくて可愛いよね」
「君は私との会話を成立させる気が無いのか? そうやってのらりくらりと逃げるのは、どういうつもりなのだ」

 成歩堂は性格が悪い訳ではないのだろうが、たまにこうして御剣をからかって楽しむクセがある。
 御剣は深い溜め息を落とした。

 と、ふいに成歩堂の表情が一変する。
 ヘラヘラと締まりのない笑みは消え、深い色をした双眸が真っ直ぐに御剣を捕らえて離さない。法廷ですら見たことがないような彼の強いまなざしに、御剣は戸惑うばかりだ。

 それでも沈黙が続く。
 成歩堂は御剣を射殺せそうな目を向けていても、何も言おうとはしない。まるで御剣が自分から答えを出すことを待っているかのように。
「……成歩堂?」
 おずおずと御剣が尋ねると、成歩堂はようやく重い口を開いた。
「逃げているのは、御剣の方だろ」


「……え?」
 それが先刻の自分が発した問いへの答えなのだと、すぐには御剣には分からなかった。
 困惑する御剣に構わず、成歩堂は追い打ちを掛ける。
「逃げているんだよ、お前は。好きなものを好きだと言わずに。ずっと僕からも、真実からもね」
「それは……」

「僕は君のことを好きだと、言い続けているのにね」
「……成歩堂……」
 御剣は言葉が出なくなった。
 確かにそのとおりだった。
 自分はただ逃げていたのだ。成歩堂の気持ちを知りながら。
 彼が誰よりも強く深く、自分のことを愛していると知っていながら。

「……すまない」
 御剣はうつむくことしか出来ない。
 成歩堂に愛されているのは心地良かった。彼の想いが嬉しかった。
 けれど、大切な友人を喪いたくもなかったのだ。
 彼と恋人同士になってしまうのは簡単だ。御剣も自分の気持ちを打ち明ければ良い。それで目出度くカップルの出来上がりだ。

 だが、そうして結ばれた先に、幸福な未来を夢見ることは、御剣にはどうしても出来なかった。普通ではない関係は、いつか壊れ、終わりが来るとしか思えなかった。
 だから……。


「御剣はそれで良いの?」
 成歩堂が静かに問い掛けてくる。御剣の心に染み入るような声で。
 そのせいだろうか。御剣も自然と本音を打ち明けることが出来た。
「……私は怖いのだ。君を喪いたくない。君と特別な関係になってしまったら、これまでのことが全て壊れてしまうようで不安だ」

「うん、分かるよ」
 成歩堂がうなずく。御剣は話を続けた。
「だから私はこのままで良いと思った。ただの友人で良いと。そうして、ずっと一緒にいられたら、それだけで十分だと。だが、君はそうではないのだろう?」

「そうだね。僕はそれだけじゃ不満だ」
「……私はどうすれば良いのか分からない。こんなことは初めてで……、だから」
 自分が震えていることに、御剣は気付いていた。
 すると肩にそっと成歩堂の手のひらが置かれる。そのぬくもりが心地良かった。

「僕だって男を好きになったのは初めてだけど。御剣の不安や戸惑いは分かっているつもりだよ。それも全部ひっくるめて、君を欲しいと思う。君を幸せにしてやりたいと思ってるんだ」
「成歩堂。君はいつも真っ直ぐだな。羨ましい限りだ」
「それだけが取り柄だからね」
 成歩堂はへらりと笑う。
 その微笑みが御剣の心を癒してくれる。やっと、いつもの成歩堂が戻ってきたと感じた。


「私も……、君のようになれるだろうか」
「うん、なれるよ。今だって、いつもよりもずっと素直に、自分の気持ちを打ち明けてくれているじゃない。そうやって自分だけで抱え込まないでさ。僕にもちょっとは頼ってくれて良いんだからね?」
 見た目は頼りないかもしれないけどさ、と成歩堂は照れくさそうに笑うけれど。御剣は彼が誰よりも信頼出来る人物だと知っている。

「ああ、そうだな。私もいつまでも逃げていてはいけないな……」
 それは独白のようなものだったけれど、成歩堂は鋭く聞き取って、強い口調で言い放つ。
「そうだよ、御剣。もしもまた僕の前から居なくなるようなことがあったら、僕はお前を二度と赦しはしないからね」

 御剣はハッとして顔を上げる。こちらを見つめる成歩堂のまなざしは、思ったよりもやわらかくて、静かだったけれど。
 感情表現が豊かな彼が、そうして何も見せないという事実こそが、彼の中に眠っている怒りや激情を感じずにはいられなかった。
 己の失踪が彼をひどく傷付けてしまったことは、想像に難くない。そして、おそらくは今も本当は赦してくれていないことも分かっている。


「あの時は……、いや言い訳はするまい。逃げても何も解決しないことを、嫌と言うほど思い知ったからな。私は同じ過ちを二度と繰り返さないと誓う」
 もしかしたら時間が解決してくれるかと思ったのだけれど。
 成歩堂から離れてみても、結局何も変わらなかった。彼への想いが強く重くなりこそすれ、消え去ることは決してなかったのだから。

 とうとう覚悟を決めた御剣を、成歩堂はどう思ったのか。
 彼の唇には皮肉げに歪んだ笑みだけが張り付いている。御剣の口先だけの誓いなど、これっぽっちも信じていないという顔だった。
「それじゃ、どうするの?」
「……成歩堂?」

 唐突に、あまりにも自然な動きで、成歩堂は御剣の頬に手を触れた。
 己を護る鎧のように長く伸ばした前髪も、彼を遮ることなど出来ず、しなやかな指先が器用に動いて、自分の肌の上を這っていくのを、御剣はただ受け容れることしか出来なかった。
「お前がもう逃げないというのなら。僕に言うべき言葉があるんじゃないの?」

「ん……ぁ……」
 首筋を撫でられ、御剣の唇から甘い吐息がこぼれる。
「聞かせて、御剣。君の気持ちは分かっているけど。君の口から、君の言葉で、ちゃんと聞かせてよ」
 ……じゃないと、その唇、ふさいじゃうよ? 
 と、不敵に笑う男を前にして、御剣は全面的に降伏するしかなかった。


「言う……から……、その手を……、離してくれ……」
「了解。これで良い?」
 成歩堂はあっさりと両手を上に挙げて、降参のポーズを取る。それでもこの場の勝者は明らかに彼の方だった。
 これでもう逃げることは出来なくなった。
 御剣は決して言うまいと思っていた言葉を、成歩堂に告げる。

「私は……、君のことが好きだ、成歩堂。君を……、愛している」
「ありがとう、御剣。僕も愛してるよ」
 ずいぶんと軽い返事に、御剣の眉間のしわが深くなる。
「……私は本気で言っているのだが?」
「僕も本気だよ。君に対しては、いつでも、どんな時も本気だからね」
「そうだな……、君はそういう人だった」

 御剣は苦笑する。
 成歩堂による、まるでブルドーザーで全てをなぎ倒して突き進んでくるような、真っ直ぐすぎるアプローチがなければ、彼の想いを受け容れることはなかっただろう。
 もしかしたら誰にも心を開くことも出来なかったかもしれない。


「これからも宜しく頼む、成歩堂」
「もちろん。ところでさ。せっかく両思いになったことだし。キスして良い?」
「いきなり……そのようなアレは……困る」
 真っ赤になってうつむく御剣に、成歩堂はくすくすと笑った。
「ホントに御剣は可愛いなぁ。いいよ、僕は忍耐力には自信があるからね。そのうちにゆっくり落としてあげるよ」

「う……ム……」
 何だかんだ言っても、成歩堂という男は有言実行だ。一度決めたことは必ずやり遂げるし、その為の努力は惜しまない。
 だからこそ弁護士となって自分の前に現れたのだろうから。
 そんな男におそらく勝てるはずもなく。

 きっと近いうちに、彼の言うとおりに落とされてしまうのだろうと思うと、何となく怖いような、楽しみなような、複雑な心境になる御剣なのだった……。


           おわり

 
読んで下さってありがとうございます。

ちゃんとしたナルミツSSはこれが初めてです。
(簡単な小話は書いていますけれど)
そのせいか、こなれていないというか、
動かし慣れていない感じがありありと(苦笑)。

小話くらいの軽い話なら、
それほど気にせずに気楽に書けるんですけどね。
イメージが違う……と言われたら悲しいな。

でも私の場合は可愛い御剣さんを目指しているので、
メソメソしたり、うじうじ悩んだりします。
格好良い御剣さんは出て来ないでしょう(笑)。

それでも良いと言って下さる方がいらしたら、
これからもお付き合い下さいませ。

2013.07.25

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