『 味 見 』



「御剣、ちょっと来て」
 キッチンで料理をしている成歩堂がおたまを片手に、ちょいちょいと手招きする。
 のんびりと食前酒を楽しんでいた御剣はいぶかしげに眉をひそめた。
「……何かね?」

「くつろいでいるところに悪いけどさ。ちょっとこれ、味見してくれないかな」
「私が……?」
 御剣の眉間のヒビがますます深くなる。
 今まで成歩堂がそんなことを言ったことはなかったし、御剣は成歩堂の料理の味付けに不満を抱いたこともなかった。

 そんな御剣の困惑が伝わったのか、成歩堂は苦笑を浮かべる。
「実はアクアパッツアを作ってみたんだよ。お前、魚料理好きだけど、食べるの苦手じゃないか。これなら食べやすいと思ってね」
 御剣はうなずいた。
 箸の使い方が下手な訳ではないのだが、魚の骨だけは上手く取れないのだ。


「気を遣ってもらってすまない」
「いや、良いんだよ。僕が好きでやってるんだから。でも初めて作ったからさ。あんまり自信が無いんだよね」
「私は君の舌を信用しているから、君が良いと思った味付けで構わんよ」
「まぁ、そう言わずに頼むよ」
「ふむ……。君がそこまで言うのならば」

 成歩堂が差し出した小皿を受け取り、トマトのスープを口にする。魚介類のだしが良く出ていて、美味しかった。
 確かに美味しい……、とは思うのだが。
 御剣が応えをためらっていると、先読みした成歩堂が困ったような笑みを浮かべる。

「やっぱり味見してもらって良かったみたいだね。あんまり美味しくなかったかい?」
 御剣は慌ててかぶりを振った。
「そんなことはない。とても美味しかった」
「でも、すぐにそう言えなかった理由があるんだろう?」
「……ムう」
「怒らないから言ってごらんよ。僕はお前に満足して欲しいんだからね」


 御剣はためらいがちに口を開く。
「だが、私にも良く分からないのだ。ただ……、何か物足りないような気がするだけで」
「そっか。何だろう……。これ以上ニンニクを効かせると、明日の匂いが気になるし。白ワインをもうちょっと足そうかな。それとも仕上げにレモンでも……」
 腕組みをして成歩堂は悩んでいるようだ。

「……すまない、本当に気にしないでくれ。そのままで十分に美味しいのだから」
「そう? どうも納得いかないけど、初めて作ったんだから仕方がないかな。それじゃ、食事にしようか」
 成歩堂は苦笑しながら、アクアパッツアを大皿に盛りつける。魚介類がたっぷり使われていて、それだけで豪華なディナーに見えた。


「いただきます」
 御剣はスプーンを手に取り、トマトスープを口に運ぶ。
「ム……?」
「どうしたの? やっぱり美味しくなかったかい?」
 心配そうに尋ねる成歩堂に、御剣は首を横に振った。
「違う、そうではなく、むしろ……」

 不思議だとしか言いようがなかったが、先ほど味見をしたときよりも、ずっと美味しくなっていたのだ。正確に表現するならば、物足りないと思った部分が無くなっている。
「とても美味しい……、と思う。先刻と何が違うのか問われたら、分からないのだが……」
 困惑しながらも正直に答えると、成歩堂は嬉しそうに微笑んだ。

「ホント? それは良かった。仕上げに味を調えたのが効いたのかな。何にせよ、お前が美味しいと思ってくれるのなら、僕は満足だけどね」
 考えてみれば、最初から成歩堂は御剣を喜ばせようと、これを作ってくれたのだ。その思いだけでも十分に嬉しかった。先刻、物足りないなどと思ってしまった自分を殴ってやりたいほどだ。


「ありがとう、成歩堂」
「こちらこそ、どういたしまして。たくさん食べてよ。まだお代わりもあるからね。それにパスタを入れても美味しいと思うよ。もしも、お前が嫌じゃなかったら、明日の昼食に作ってあげようか?」
 同じものを連続で食べることになってしまうが、成歩堂に任せておけば、飽きない工夫をしてくれるだろう。御剣は素直にうなずいた。

 すると成歩堂は太陽のように明るい笑顔を浮かべる。
 法廷では不敵な笑みや、皮肉げな微笑をたたえていることが多い成歩堂だが、御剣と二人の時は、天真爛漫とでもいうべき無邪気な笑顔を見せてくれるのだ。

 御剣はその顔が好きだった。
 好きな人が自分と一緒にいる時に、何よりも幸福そうな笑顔を浮かべてくれるのだから。
 それを見ているだけで、御剣もまた幸せな気持ちになれた。
 自分では分からないが、きっと御剣自身も幸福な笑顔を浮かべているだろう。想像すると、ちょっと気恥ずかしいけれど。


「どうしたの、御剣。早く食べないと冷めちゃうよ?」
 どうやら成歩堂に不審げなまなざしを向けられるくらいに、御剣はずいぶんと彼の笑みに見惚れていたらしい。
 こほん、と咳払いをしてごまかすと、御剣はまたアクアパッツアを口に運ぶ。それは味見をした時よりも、ずっとずっと美味しかった。

(……ああ、そうか)
 御剣はふいに納得する。パズルのピースがかちりと嵌るように。
 心を尽くして作ってくれた料理の向こうに、愛する人の優しい笑顔がある。それだけで、いや、それこそが何よりも食事を美味しくしてくれるスパイスなのだ。

「君のおかげだな、成歩堂」
「何のこと?」
 きょとんとする成歩堂の顔が可笑しくて、くすくすと笑ってしまう御剣なのだった……。


           おわり

 
読んで下さってありがとうございます。

今回は、ふと思いついた小ネタで、
『小話』の方に入れても良いくらいの長さですが、
全体的な雰囲気は気に入っているので、
こちらにしました。

私はやっぱり二人のラブラブイチャイチャよりも、
ほのぼの日常を描くのが好きです。
いや、もちろんイチャイチャも好きですが。
単純に苦手なんですよね、ラブシーン。

でも読んでいる方は物足りないだろうな……。
毎回エロ、とまではいかなくても、
せめてキスくらいはした方が良いのでは。
ちょっと反省する今日この頃です(苦笑)。

2015.01.24

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