『 邂逅……、そして 』

(4)



「成歩堂、私を……、抱いてくれないか」
 御剣は確かにそう言った。
 ただ単に抱きしめてくれという意味ではないことくらい、混乱した成歩堂の頭でも分かる。
 いや、分るからこそ、ますます大混乱だった。

「えっと、どういう意味?」
 成歩堂が問いかけると、御剣は真剣なまなざしをこちらに向けた。
「改めて君に聞くのだが」
「うん」
「君は私のことを好きだと言ったな。その気持ちはまだ変わっていないか?」
「当たり前だよ。そんな簡単に嫌いになったりしないよ」
 成歩堂は即答する。その言葉に、御剣は安堵したようだった。

「それなら良かった。前回、ひどい態度を取ってしまったので、もしかしたら……、と思っていたのだ」
「でも、それといったいどんな関係が……」
 そう口にしているうちに、成歩堂は全てを理解した。
「つまり、それが『お礼』って訳かい?」
 御剣はこくりとうなずく。

 今夜の御剣の雰囲気が違うのも当然だった。ずっと成歩堂に抱かれることを考えていたというのなら、意識しない方がおかしい。しかも初めてならば尚更だ。
 キスだけで震えていたような御剣が、抱いてくれとまで言うのは、さぞや勇気が要っただろう。よほどの覚悟だったに違いない。
 それは分かる。……けれど。


「……最悪だな」
 吐き捨てられた言葉に、御剣の表情がこわばるが、成歩堂には彼のことまで思いやれるほどの気持ちの余裕はなかった。
「そうやって躰を差し出せば、僕が喜ぶとでも思った? 冗談じゃない。僕はそこまで落ちぶれちゃいないさ」
「……成歩堂」

「ごめん、今日は帰るよ」
「待ってくれ」
 ソファから腰を上げた成歩堂に、御剣が必死に取りすがってくる。
「成歩堂、私は……、何を間違えた……?」
「本当に分かっていないの?」
「……確かに唐突だったかもしれないが……」
「違うよ、そうじゃない」

 ためらいがちの御剣の言葉を遮って、成歩堂はきっぱりと答える。
「僕が欲しいのは、お前の躰じゃない。心なんだよ」
「……心」
「そうだよ。いくら恩義を感じているといってもね、お礼に抱かれてあげようなんて、バカにされているとしか思えないじゃないか」


 すると御剣は、いきなり晴れ晴れとした明るい笑顔を浮かべる。
「なんだ、そんなことか」
「そんなことじゃない。一番大事なことだよ」
「ならば、君こそ私をバカにしているな」
「……え?」
 戸惑う成歩堂に、御剣は不敵な笑みを向けた。
「いくら『お礼』だと言っても、この私が好きでもない男に抱かれるとでも思ったのかね?」

「…………え?」
「何を呆けている」
「いや、ちょっと理解が追い付かなくて」
「それほど難しい話はしていないつもりだがな」
「僕だって、言葉の意味は分かってるよ!」
 御剣の言葉に脊髄反射で答えていると、ようやく気持ちが落ち着いてくる。

 そして成歩堂は、とてつもなく間抜けな問いを返した。
「お前が、僕のことを、好き……?」
「先刻から、そう言っているな」
「……嘘だろう?」
「何故そう思う」
 御剣の眉間のヒビがひときわ深く刻まれる。どうやら、ご立腹のようだ。


「だって、今までそんなそぶり、全く見せなかったじゃないか」
「それは……、そうかもしれないが」
「それとも今朝起きたら、いきなり僕のことを好きになっていたんだ、とでも言うつもりかい?」
「そういう訳では」
「だったら、どういう訳なんだ!」

 つい感情的になる成歩堂に対し、御剣の反応はいたって冷静だ。
「君は何を怒っているのだ」
「お前のせいじゃないか」
「……フム。確かに私が順序を間違えたことは認めよう。抱いてくれと頼む前に、好きだと言えば良かったのだな」
 どうにも御剣の反応はずれている。成歩堂は頭を抱えたくなった。

「あのね、御剣。僕が気にしているのは、お前がいつ、どんな風に僕のことを好きになってくれたのか、ってことなんだよ」
「ム……?」
「そもそも僕たちは『敵同士』だったはずだろう? 少なくともお前にとっては」
 成歩堂の言葉に、御剣はうなずく。
「ああ、そう言った。けれど、それは怖かったからだ」

「怖かった……? 僕が……?」
 成歩堂の頭の中が疑問符だらけになったのを察したのか、御剣はソファに腰を下ろし、成歩堂にも同様にすすめる。
「少し長くなるかもしれない。落ち着いて座って聞いてくれるか?」
 そう言うと御剣は、アルバムのページをめくるように、訥々と自分のことを語り始めた。


「私が父を亡くした時のことは、今更あれこれ説明せずとも、君にも分かっているだろうが。私はあの日以来、何度となく悪夢を見続けてきたのだ」
「悪夢?」
「ああ、そうだ。私はずっと、もしかしたら自分が父を死なせたのではないかと思っていた。その疑問が払拭せぬままに、父と同じ弁護士になることはためらわれて検事になってからも、私は罪の意識にさいなまれていた」

「……そんな」
 成歩堂は御剣の話にショックを受ける。
 弁護士になりたいと言っていた御剣が検事になっていたことは、成歩堂もずっと気に掛けてはいたが、まさかそんな理由だったとは。

「だが、私はつい先日、父の夢を見た。ずっと悪夢の中にしか出てこなかった父が、その日は美しい花畑のような場所にいて、穏やかな表情で微笑んでいた。そして私に『ありがとう』と言ったのだよ」
 その御剣もまたやわらかく微笑んでいる。

「無論、あくまでも私のイメージであって、これで父がやっと成仏出来たのだろう、などと非科学的なことを言うつもりはない。だが、君は父と私を真実の光で照らしてくれた。法廷に立つ君は、私の目にはとても眩しく見えたものだ」
 御剣の語る『君』が自分のことだとは思えない成歩堂だったが、彼にとって、あの事件が解決したのは、それだけ重大事だったのだろうとは想像がつく。おそらくは人生が変わってしまうほどの。


(もしかして助けられたから、僕のことを好きになった……?)
 それはまるでヒーローにヒロインが一目惚れをするようなことだ。
 そういうのも成歩堂は嫌いではないし、ロマンがあって良いとは思うけれど、どうにも御剣のイメージにはそぐわなかった。
 そして御剣の話は続く。

「君はいつも一途に真っ直ぐに、私に向かって来てくれる。それを嬉しいと思うのと同時に、とても怖くもあったんだ。私などに関わっては、君が歪んでしまうのではないかと思った。私と一緒にいても、君を闇の中に引きずり込むばかりではないのか、と」
「うん」
 御剣の話はひどく抽象的で、成歩堂は相槌を打つことしか出来ない。

「だから、私は君から逃げるしかなかった。君に惹かれている自分に気付きながらも、そこから目を逸らし続けて。君と私は『敵同士』だと思い込んで」
「……そうか」
 あのキスの後、御剣の態度が急変したのは、そういうことかと腑に落ちた。

 置いていかれた成歩堂はショックだったが、御剣もあれで精一杯だったのだろう。
 そもそも同性の友人相手に、いきなり告白した挙句、抱きしめてキスをするという暴挙に出た成歩堂に、御剣を責める資格など欠片もないのだが。


 あの時は済まなかった、と言って、御剣は照れくさそうな笑みを浮かべる。
「私自身、罪の意識を抱えていたせいか、他人と深く関わることを避けていた部分もあるのだ。だが今はもう、ためらう理由も無くなってしまった。だから私は君と真っ直ぐに向き合い、自分の気持ちに正直になろうと決心したのだよ」

 どうやら御剣は言いたいことを全部言ったらしく、すっきりした顔をしているが、成歩堂はまだあまりピンと来ていなかった。
 だが、成歩堂が御剣に、いつどんな風に好きになったのか、を公園のベンチで説明した時も、聞いていた御剣にとっては、今の成歩堂と同様だったのかもしれない。
 そもそも恋を言葉で説明するのが無理な話だ。理屈ではないのだから。

 だとすれば、素直に受け入れるしかない、ということだろう。
「つまり僕たちは両想いってことだね」
「そうなるな」
「なんか実感が湧かないけど、喜ぶべきところなんだろうな」
「……不満かね」
「いえいえ、滅相もない」


 冗談めかした成歩堂に対し、御剣は超の付くほどの『本気』で返す。
「ならば、抱いてくれるのだな?」
「え?! いや、それとこれとは別問題で」
「まだ何か問題があるとでも言うのか」
「その……、心の準備というか……、ね」

 もちろん成歩堂だって、御剣にそういうことをしたいと思わなかった訳もない。
 今夜のことも、御剣の家に招かれて、全く期待をしなかった、と言えるほどに聖人君子でもない。
 御剣の言いなりになって据え膳をいただくのは、なんかプライドが傷付く、ということでもなくて。

 この期に及んで、成歩堂をためらわせている唯一の理由は、あまりにも急展開すぎるよ!というだけのことなのだった……。


              

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2014/09/21