『嘘と真実と』 |
新婚さんの二人が、横須賀の新居に引っ越してきたのは数日前のことだった。 仙石は朝から荷解きに精を出している。自分の荷物はとっくに片付けてしまっているから、いま開けている箱は、もちろん行のものだ。いつまで経っても行が全く荷解きをしないからである。 『使う時に箱から出せば良いだろ』というのが行の言い分だったが、せっかくの新居に段ボール箱が山積みになっていても気にしない神経には、さすがの仙石も呆れてしまう。あるいは行自身が自分の持ち物に愛着や執着を持たないせいだろうか、とひそかに考えていた。 仙石は、行の部屋に入るたびに、その段ボール箱が気になって仕方がないのだが、行は全く気にも留めていない様子だ。箱が散乱する中で、平然とキャンバスに向かっている。絵の中には窓の外に見える横須賀の海が広がっていた。 行が絵を描き始めてしまうと、他のことに気が向かないことは知っている。新居の景色を気に入ってもらえただけマシか、とあきらめて、仙石は行の荷物を片付けることに決めた。 「行、これ片付けるからな」 一応、声も掛けておく。行は聞いているのかいないのか、おざなりにうなずいた。それを了承と受けとって、仙石は段ボール箱を調べていく。荷解きどころか、まだ箱を開けていないものすらあって、途方に暮れた。 まずは箱から洋服の類を取り出して、クローゼットを開けると、何も掛かっていないハンガーが寂しげに揺れている。そこにジャケットやコートを掛け、他の物は引き出しにしまう。元々、それほど服を持っている訳でもないので、あっという間に終わった。 大きなクローゼットの半分くらいが洋服ではなく、イーゼルや白いキャンバスで埋まっているのが、行らしいと言えるかもしれない。 さて次は…、と仙石が別の箱を開いたその時。 ピンポーン── ドアベルの音に、仙石は顔を上げる。すると行も同時にこちらに顔を向けて、一言つぶやいた。 「鳴ってるぞ」 「言われなくても分かってるよ」 こんな時に行が出てくれる訳がないことも分かっている。仙石は、よっこらしょ、と声を掛けながら腰を上げて、インターフォンに向かった。 「はい」 「管理人です」 「ああ、いま開けます」 玄関に向かいながら、仙石はこのマンションに管理人なんて居たか?と首をかしげる。不審に思って、そっとドアを開けると、そこに立っていたのは人の良さそうな老人だった。 「今日からここの管理人となりました。木村です。よろしくお願いします」 「いえ、こちらこそ、これからよろしくお願いします」 「こちらにご記入いただきたいのですが」 管理人はそう言うと、一枚の紙を取り出す。そこには名前・電話番号・家族構成などの記入枠があった。 「いざという時のためです。決して悪用は致しません」 「はぁ」 仙石はあいまいにうなずく。この程度は調べればすぐに分かることだ。管理人に知られてもどうということはない。 「では、後で取りに参りますので」 頭を下げて帰ろうとする管理人を、仙石は慌てて引き止めた。 「これくらいなら、いま書いてしまいますよ」 そして、リビングの方に向かって声をかける。 「行、ボールペン持って来てくれ」 来客があると気になるのか、行はいつもリビングの所までやってきて、そっと様子を伺っていることを、仙石は知っていた。それでも行は決して玄関に出ることはない。残念ながら番犬代わりにはならないようだ。 仙石の言葉に、行はいかにも面倒くさそうな態度で現れる。それでも右手にはちゃんとボールペンを持っていた。 「はい」 手渡すと、それだけできびすを返そうとするので、仙石は肩を抱くようにして、ぐいとこちらに引き寄せた。 「息子の行です」 「……どうも」 小さく頭を下げる行に、仙石は手にしていた紙とボールペンを押し付ける。 「これ、書いてくれよ」 「どうしてオレが」 「お前の方が、字がきれいだからな」 「…分かったよ」 客の前でこれ以上もめるのも大人気ないと思ったのか、行は不承不承うなずいた。そしてそのままリビングの方に行ってしまう。ここで書けば良いだろ、という仙石の言葉も全く無視だ。 「愛想のない奴ですみません」 「いやいや、あのくらいの年頃はそんなものでしょう」 「もういい大人なんですけどね」 仙石は苦笑を浮かべた。目の前の老人にとっては、10代も20代も大して変わりはないのだろう。 二人でそんな世間話をしていると、奥から行が呼ぶ声がする。 「仙石さん」 「何だ?」 「ここの電話番号が分からない」 「お前の携帯のメモリーに入ってるだろ」 仙石が答えると、自分の部屋に向かう行の後ろ姿が見えた。そしてすぐにまた戻ってくる。携帯を取りに行っていたのだろう。 「息子さんに、『仙石さん』と呼ばれているんですね」 管理人にふいに尋ねられ、仙石は内心で慌てた。 親子だと言いながら、『仙石さん』では不審に思われても仕方がない。さりとて、行が人前では『お父さん』と呼ぶような器用な真似が出来るとも思われないのだが。 せめて名前で呼んでくれたら、と思う仙石だった。 「ああ、いや…。実は、息子と言ってもずっと離れて暮らしていたんですよ。それがようやく一緒に住むことになりましてね。でもまだ慣れていないせいか、お父さんとは呼んでもらえないんですよ」 「そうでしたか。すぐに慣れるでしょう」 「そうだと良いんですけどねぇ」 はっはっは、と仙石が空々しい笑いを浮かべていると、行が紙を手にして戻ってきた。 「はい」 「おう、すまんな」 「それでは、これからよろしくお願いします」 頭を下げて帰っていく管理人を二人並んで見送ると、仙石はほっと安堵の息を吐いた。 「ああ、焦っちまったよ。お前が俺のことを『仙石さん』なんて呼びやがるから。…ん?」 仙石がそちらに顔を向けると、なぜか行は拗ねたような、ふてくされたような表情を浮かべていた。 「どうした?」 「別に」 そう言うが、明らかに何でもないという顔ではないので、仙石は重ねて問う。 「どうしたんだよ」 すると、ようやく行はこちらを向いた。その黒い瞳に射るように見つめられ、仙石はたじろぐ。これにはいつまで経っても慣れることはない。一人でどきどきしていると、行がボソリとつぶやいた。 「よくあんな平気な顔で、ベラベラと嘘が吐けるな」 「え?」 「……呆れた」 思ってもみなかったことを言われて、仙石は戸惑いを隠せない。 「何だよ、いきなり。それに嘘は言っていないぞ。ずっと離れていたのも、ようやく一緒に暮らせるようになったのも本当だろ」 「なるほど。そうやって自分に言い聞かせれば、罪悪感もないだろうな」 「なんかトゲがあるな…。ああいうのは、嘘って言うんじゃねえよ。処世術ってんだ。それに、正直に俺たちのことを説明する訳にもいかねえだろ」 「だからって…」 明らかに納得していない行に、仙石は苦笑を浮かべた。そして、こちらをじっと見つめるまなざしに、やわらかな視線で答える。行のまるで少年のような潔癖さと頑なさも、やはり愛しいことに変わりはなかった。 むしろ、そうされることで、自分との年齢差を嫌でも感じてしまい、逆にこちらの気が引けるくらいだ。 仙石は行の頭に大きな手のひらを置き、長い髪をくしゃくしゃと掻き回した。 「お前がどう思ってるのか、知らないが。俺はお前の倍くらい生きてんだぞ。そのくらいのことは朝飯前なんだよ」 「分かってる。オレが勝手に誤解していたんだ。あんたは不器用で嘘なんて吐けないって」 「いくらでも嘘くらい吐くさ。俺とお前を護る為だったらな」 仙石の言葉に、行は顔を上げる。そして小さくうなずいた。 「…そうだな」 そっと伏せた行のまぶたには、どこか哀しみが宿っているように見えた。仙石はボソリとつぶやく。 「こんな男で幻滅したか?」 「…え?」 「嫌いになったかって、聞いてんだ」 すると行は、しばらく仙石を見つめていたが、ハッとして顔を逸らした。長い髪の下で、頬が赤く染まっていく。白い肌が艶めくのを仙石はうっとりと見惚れた。 そして、行はほんのかすかな声で独り言のようにつぶやく。 「………なる訳ないだろ」 「そりゃあ、良かった」 晴れ晴れとした顔で答えると、仙石は耳まで赤く染めた行をぎゅっと抱きしめるのだった…。 おわり |
ここまで読んで下さってありがとうございましたm(_
_)m
えーっと、これは仙行本を買ってくださったHさんが メールで書いていた設定を、使わせていただきました。 ハンドルが分からなかったのでイニシャルで。 ありがとうございましたー。 というか、勝手に使ってすみません(苦笑)。 親子なのに『仙石さん』と呼ぶ行のことを、 テキトーに言い訳する仙石さんの図が浮かんじゃって、 気がついたら、こんな長い話になってしまいました。 荷解きするシーンとか、管理人さんの名前とか、 あんまり関係ないよなぁ、と思いながら。 それにいちいち管理人さんがやってきて 用紙書けとか言わないと思うんですが、 人前で「仙石さん」と呼ばせるために仕方がなく…(苦笑)。 つい細かいことにまでこだわってしまうのは、 いつものことですけれど(笑)。 むしろこだわるなら変な描写じゃなく、 二人の内面とかラブラブ描写とかにしろ、と 自分でも思うんですけどね…。 こういう生活感がにじみ出るのが、 新婚話の良さだと思っていただいて。 許してやってください(苦笑)。 2005.10.03 |